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第三十九話 君の魔力は誰のもの?①



自分の部屋のものより少し硬い、けれどそれすら気持ちがいいと思えるほどに心地よい寝具に包まれていた。


目を開けると、そこには見慣れない天井が広がっていた。

ぼんやりと天井の模様を見つめるうち、徐々に記憶がよみがえる。


(そうだ、魔造競技で……私は倒れて……。ここは医務室かしら?)


体を起こそうと手を動かしたその時、ふわりとした柔らかな感触に指先が触れた。


──アイスブルーの髪。


見慣れたその髪色が、私のベッドの縁に伏せたまま眠っているアレスのものであると気づくまでに、そう時間はかからなかった。


「……アレスが居眠りなんて、めずらしいわね」


思わず、小さく笑みがこぼれる。

普段は誰よりも気を張っていて、常に人の先を見ている彼が、こんなふうに無防備な寝顔を晒しているなんて。まるで幼少の頃を思い出す。


彼の肩がわずかに上下していて、規則正しい寝息が聞こえてくる。


そっと、アレスの髪を指先で撫でた。

さらさらと指の間をすべるその感触は、どこか安心できるものだった。


「……アレスもあまり眠れていなかったんじゃないか?」


ふと、声がしてびくりと身体を震わせ、アレスの反対側の椅子に視線を移すと、そこには腕を組んだまま座っているマティアス様の姿があった。


「マティアス様……!」


驚いて声を上げると、彼は片眉をわずかに上げて答えた。


「ステラ、俺のことを空気のように扱うのは君くらいだぞ」


「そ、そんなつもりじゃ……すみません」


気まずくなって軽く頭を下げると、彼はふっと笑って首を振った。


「君のおかげで、少しだけだがアレスとの距離が縮まった。ありがとう」


その言葉は思いのほか温かく、胸の奥にじんわりと染みこんできた。

代理の出場者を探していたあのとき、マティアス様がアレスを避けていた理由。

それはきっと、ただの拒絶ではなく──相手を思っての、複雑な感情だったのだろう。


「私はなにもしていませんわ……」


そう答えた私に、マティアス様は静かに首を振る。


「そんなことはないよ。ステラが背中を押してくれなかったら、俺は一生アレスと向き合うことはなかったと思う。……あれは、俺自身への罰だと思っていたから」


彼の横顔は、少し陰を帯びていた。

静かな語り口の中に、何年も胸の奥に閉じ込めてきた後悔が滲んでいる。


「ステラをまた怒らせてしまうかもしれないが、俺にとってもアレスは可愛い弟だ。たとえ、自分の母親がアレスを殺したいほど嫌っていようともな」


「そんなことで怒りません。むしろ嬉しいです」


「それに……知っていたんですね。アレスが皇后陛下から命を狙われていたこと」


「……ああ。母が、アレスを塔から出すなんて……それしか理由が思いつかなかったからね」


言葉は静かだったけれど、その内側にある痛みは重たく響いた。

彼自身、たった八歳の時にそんな現実と向き合わされていたなんて──。


「……ステラ、アレスのそばにいてくれて……ありがとう」


その声は、かすかに震えていた。


「アレスが生きていてくれて……本当に……よかった」


その目には涙こそなかったが、心では涙を流していることが伝わってきた。


きっとマティアス様は、この国を背負う立場の人間として泣いてはいけないと教えられて育ってきたのだろう。


でも、今この瞬間の彼の声は、どんな涙よりも深く、切実だった。


「本当の俺は、素直になるのが苦手だし、口も悪いし、アレスより慈悲深い心は持っていない。なにもアレスに優っていない。……きっと、次期皇帝に相応しいのは本当はアレスの方なんだ」


「そんなこと……。マティアス様にだって、マティアス様のいいところがありますわ」


少しでも否定したくて、私は必死に言葉を返す。


けれど、マティアス様はどこか諦めたような表情で、遠くを見るように呟いた。


「……でも、国を背負って立つには、ふさわしくないんだよ」


彼の目に、強い覚悟のような光が宿っていた。


(……マティアス様はいったい、これから何をしようとしているの?)


なにか大きな決断を、もう胸の中で固めているように見えて……私は言葉を探しながらも、問いかけることができなかった。


そのとき。


「──なぁ、そろそろ起きていいか?」


思いがけず、ベッド脇から少し低くて眠たげな声が響いた。


私はぴくりと肩を震わせた。


(や、やばい……起きてた?)


「盗み聞きか? アレス」


「お前らが勝手にここで話し始めたんだろ」


ふてくされたように言いながら、アレスは上半身を起こし、ぼさぼさの前髪をかき上げた。


けれど、その瞳には確かに、静かな優しさが宿っていた。


どこか照れくさそうに、けれど確かに嬉しそうに。

アレスは、私とマティアス様を見つめていた。まるで、頬の奥で笑みを押し殺しているような、そんな穏やかな視線だった。


「マティアスが、話があるからステラが起きるまで転移魔法で帰るなって言ってきたから、だから待ってたのに……そんな話だったのかよ」


少し拗ねたような声音。けれど、声の端には安堵が滲んでいた。


「マティアス……」


思わず敬称なしの呼び捨てで口にしてしまった。

彼が、兄の名を口にするのを私は初めて聞いた。いつも「あいつ」と呼んでいたのに。

その変化があまりにも新鮮で、思わずくすっと笑ってしまう。


「ステラ、なに笑ってんだよ! べ、別に好きで名前呼んだんじゃないからな!」


「とか言って、昔は俺のこと“兄上”って呼んでたはずだがな?」


「……っ!! 余計なこと言うなよっ!」


「そうなんですか!? かわいい……!!」


思わず抱きしめたくなるような、照れ隠しで真っ赤になったアレスの顔が可愛すぎて、笑いが止まらない。


「ねぇ、アレス……私のことも、一度だけ『お姉ちゃん』って呼───」


口にした瞬間、ハッとした。

私は彼を姉弟として見てはいけない。

アレスはもう、ただの“弟”じゃないと考えるんだ。

その関係性の重みと、線引きの必要性を思い出して、慌てて言葉を切った。


私たちの間に、ふっと気まずい空気が漂う。

マティアス様も、どこか困ったような笑みを浮かべていた。


そんな空気を断ち切るように、アレスが私に視線を向ける。


「ステラ……体は? まだ顔、赤いぞ」


「少し寝たから、もう大丈夫だよ。あ、そういえば魔法祭……どの班が優勝したの?」


「A班が優勝、C班は二位だった。俺がアレスに勝ってれば、C班が優勝だったのに……悪いな」


「はっ、マティアスが俺に勝てるわけないだろ」


呆れたように肩をすくめながら、アレスは私の手を取った。


「ほら、ステラ。そろそろ帰るぞ」


その手は、私を引っ張るでもなく、ただそっと包み込むようだった。

けれど、そのぬくもりが嬉しくて、私は自然と力を預ける。


──けれど。


「……お前、全然熱下がってねぇじゃん」


気付けば、私の額に触れたアレスの手が、ぴたりと止まった。

思わず心臓が跳ねる。アレスの指先が少しだけ震えているように感じた。


「ほんと? まだ寝足りないのかもね」


私は笑って誤魔化したが、アレスの表情はあまり緩まない。


その様子に、マティアス様がふと口を開いた。


「そういえば、神官に診てもらったんだよね? なんで治してもらわなかったの?」


その言葉に、アレスの肩がぴくりと動く。


「……それは……」


低く、沈んだ声。


「マティアスに話すことはない。……俺らは帰る。じゃあな」


それだけ言い残し、アレスは転移魔法を発動させた。

光に包まれ、世界が揺れたような感覚とともに――気づけば、私は自分の寝室に横たわっていた。


布団の感触。微かな風の流れ。見慣れた天蓋。


そのすべてが戻ってきたことに安堵する間もなく、私は彼を見つめた。


「ねぇ、さっきの。なんで神官は私のこと、治さなかったの?」


するとアレスは、ふいに顔をしかめた。少し怒っているような表情だった。


「……俺に言ってないことあるんじゃないか?」


「え?」


「ステラの魔法レベルは八歳で64。ディルの意向でなるべくレベル上げずに魔法知識だけ詰め込んでても、今の時点でレベルは70のはずだ」


「……それが、どうしたの?」


「神官が言ってた。お前はいま“魔力過小状態”だって。

……魔造競技のあの熊を作り出すのに、お前が魔力を使い切るなんて“有り得ない”んだよ」


静かな声だった。でも、その瞳は激しかった。

怒りではなく、強い焦燥と、心配。そして――私のことを見抜こうとする、まっすぐな眼差し。


「お前は、一体……“誰に”魔力を吸われてるんだ?」


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