第三十三話 兄弟対決 ②
「はぁ……? なんで」
会場に足を踏み入れた瞬間、そんな声が耳に飛び込んできた。
視線の先にはアレスが立っている。あからさまに不服そうな表情。けれど──その奥に見え隠れするのは、驚きと困惑。そして、ほんの少しの警戒心だった。
「出場予定だった生徒が体調不良で欠席になったんだ。代わりに俺が出ることになった」
簡潔に事情を説明する。
アレスはじっと俺を見たまま、舌打ちするように言った。
「……そうかよ」
それだけ。
そっけなく返されても、俺はそれ以上は何も言えなかった。
(やっぱり、俺のことを嫌っているか……)
目を逸らすことなくアレスの顔を見つめながら、俺は心の中で自嘲した。
血を分けた弟と、剣を交えることになるなんて。
心の中で本当は嬉しくてたまらなかった。
魔力暴走事故が起きた時大規模な被害を防ぐため、競技は魔法中継で生徒たちに映される形式だ。
剣を交わす俺たちは、今この場所に二人だけ。
魔法レベルの差は歴然としている。
それでも、剣だけは負けない。そう自分に言い聞かせる。
小さな頃から叩き込まれた宮廷剣術。
決して逃げるな。負けるな。
立場に恥じぬよう、すべてを制して立て──そう育てられてきた。
俺だけが、皇子として……
(異母弟として生まれ、どれほど息苦しい日々を過ごしてきたか……
それを、知っていたはずなのに)
魔法の拡声音声が響く。「開始位置について!」
俺とアレスは、定められた距離まで歩みを進める。
一歩、また一歩。
踏み出すたびに、過去の自分が重くのしかかるようだった。
──なぜ、もっと早く手を伸ばしてやれなかった?
子供だったからか?いや、そんなの言い訳にはならない。
それが赤子の頃から魔法を使えてしまう彼のためになると、どこかで思い込んでいたのかもしれない。
兄としての優しさも、責任も、すべて中途半端なまま……今、俺はようやく正面からアレスと向き合おうとしている。
アレスの瞳が俺を射抜く。
その眼差しに宿るのは、敵意だけじゃない。
(怒り、哀しみ、そして……どこかで俺を見限ったような目だ)
痛かった。
弟に、そんな顔をさせてしまっていたのだという事実が。
兄として、護るべき相手だったはずなのに──。
「……アレス」
呼びかけた声は、思ったよりもかすれていた。
けれど、アレスは何も言わずに構えを取る。
いつもの、無駄のない美しい剣捌きの初動。
構えながら、俺は思った。
(せめて今だけは──お前の真っ正面に立たせてくれ)
せめてこの剣を通してでも、伝えたい。
お前を見ている、俺はここにいる、と。
審判の声が響いた。
「──始め!」
剣を抜く音が重なる。
青白い風が巻いた。
アレスの剣に風属性の魔力が宿る。
《風剣》。軽やかに、鋭く。間合いを詰める速度は、ほとんど視認すらできない。
──斬っ──!
「っ……!」
肩口を風が裂いた。防御布の一部が切り飛ばされ、警告灯が一つ点る。
(やはり、早い……!)
俺も剣に魔力を流し込む。
雷の音が剣身に奔る──《雷剣》。一撃必中の速さで、反撃を仕掛ける。
「──ッ!!」
アレスはそれを読み切っていた。
剣と剣が衝突するたび、空気が震え、魔力の火花が四方に散る。
まるで雷鳴と烈風が交錯する嵐の中にいるようだった。
けれど──
(これは、ただの模擬戦じゃない)
俺の中には、言葉にならない重みが渦巻いていた。
アレスの存在が封じられていたこと。
誰も彼を“いないもの”として扱ってきたこと。
その「誰も」の中に、俺も含まれていること──
「アレス──!」
斬撃と共に、声が漏れた。
「……俺は、お前と向き合いたいんだ」
「……は?」
瞬間、アレスの動きがわずかに鈍った。
「今更、兄貴ヅラかよ」
燃えるような怒りが、アレスの剣に宿る。
《炎剣》。
剣身に赤熱した炎が巻きつき、揺らめく残光を引きずって斬り込んでくる。
(本気だ……この怒りは、本物だ)
火花が散る。的の保護魔力が軋みを上げる。
「……分かってる。全部、遅すぎたって分かってるんだ……」
雷と風、炎と想い。
剣に託されたものが、ぶつかり合って火柱を生む。
俺の剣も《炎剣》へと変化する。
二つの炎が交差する──
その一瞬の静寂のあと、爆ぜるような衝突音。
アレスの一撃が、俺の防御膜を大きく割った。
警告灯が赤に変わり──敗北を告げる鐘が鳴る。
──でも、その胸の内では、別の何かが鳴っていた。
俺は息を切らしながら、ゆっくりと剣を地面に突いた。
「……お前が、今まで生きていてくれて……よかった」
たったそれだけの言葉が、今日の本当の勝利だったのかもしれない。