第三十話 義弟の知らない顔
一週間と少しが経ち。魔法対決祭の三日前。
校舎の奥にある広大な大広間には、今まで見たことのないほど多くの生徒が集まっていた。
「わぁぁ!!こんなに人がいるところ初めて見たかも!!」
「たしかに、この学校ってこんなに生徒いたんだな」
ざわつく空気の中、初めて顔を合わせる生徒たちが緊張と興奮の入り混じった声を交わしていた。
貴族も平民も関係なく行われる今回の魔法対決祭。全校生徒が一堂に集まり、チームで行われる競技の確認とリハーサルをするのだという。
「嫌だわ、平民と一緒なんて。貧しい匂いが移りますわ」
「ほんとですわ、一体なんのためにあるイベントなのかしら」
貴族令嬢たちの高慢な囁きが耳に入るが、私は小さくため息をついた。
(……そんなこと言ってる彼女たちより、よほど平民の方が魔法の腕は上なんだけど)
平民がこの学校に入れるのは、並外れた魔法の才能を持っている者だけ。そんなことは、少し考えればすぐに分かる。
私は今回、“友達を作る”というささやかな目標を立てていた。貴族も平民も関係ない。誰とでも仲良くなりたい。
「ステラ様~!」
朗らかな声が私を呼ぶ。振り向けば、制服のスカートを揺らして駆けてくるのは──ノヴァトニー侯爵家のニヴィア様だった。
「ニヴィア様! ごきげんよう。お久しぶりです」
「ごきげんよう、ステラ様。お茶会ぶりですわね。学年が違うとなかなか会えませんこと」
「そういえば、そうですね」
(あれ?同じ学年のフレッド様とはよく会うのに……たまたま?)
少し首を傾げながらも、視線をニヴィア様に戻した瞬間、彼女の視線がアレスの方へと向いているのに気づく。
(……そういえば、紹介してなかったっけ)
私は隣でぼんやりと余所見をしていたアレスの腕を引き、にこやかに紹介した。
「ニヴィア様、こちら義弟のアレスです」
「……あぁ、そっか」
アレスは誰に聞こえるでもない小さな声で呟くと、次の瞬間──これまで一度も見たことのない、絵画のように完璧な笑顔を浮かべた。
「初めまして、ノヴァトニー侯爵令嬢。侯爵家のご栄光は、かねてより耳にしております。義姉共々、今後ともよろしくお願いいたします。──レディ」
「はっ、はいっ!こちらこそ……!!」
ニヴィア様の顔が一気に赤く染まり、慌てて私の腕を引き、自分の隣へと立たせた。
「ステラ様、こんな麗しい義弟様がいらっしゃるなんて……どちらのご家門からのご養子ですの?」
「ええと……子どもの頃のことなので、すっかり忘れてしまいましたわ、ふふふ」
(言えない……まさか皇子だったなんて)
「アレス様に、婚約者はおりまして?」
「いいえ?」
「……アレス様、年上の女性はお嫌いかしら?」
にこやかに微笑むニヴィア様の表情は、まさに恋する乙女そのものだった。
(……アレスがモテてる!?)
校内でそれなりに注目を浴びているとは思っていたけれど、ここまでとは。普段気づかなかっただけで、彼は見目麗しい少年として十分すぎるほど目立っているのかもしれない。
「さぁ……?義弟の恋愛事情には、私もあまり詳しくないのです」
「そ、そうですわよね……」
顔を両手で覆って照れるニヴィア様の姿に、私は思わず微笑んだ。
「そろそろ自分の班に戻らなくては……またお会いしましょう、ステラ様。……ア、アレス様……!」
「ええ、また。ノヴァトニー嬢」
アレスは柔らかい声で彼女を見送り、振り返って私に向き直った。
「アレスって、あんな喋り方もできるんだね」
少し悔しくて、嫌味っぽく口にしてしまった。
「はぁ……俺だって、いつまでも子供じゃねぇよ。立ち回りは覚えるさ。公爵を継ぐ身だしな」
「……そっか。そういうことなら、納得。でもなんか……少し、寂しいな」
「寂しい?」
「私はアレスのこと、全部知ってるって思ってた。でも、そうじゃないんだなって」
少し先の未来を、ふと想像してしまう。
アレスが公爵を継ぎ、夫人を迎え、やがて子どもができた時、私の知らないアレスの顔がもっと増えていくのだろうと──
一緒に過ごした日々はいつか、ただの思い出になるのだと。
胸がきゅっと締めつけられた。
「……知りたいなら、知ればいいじゃん。気になるなら俺の全部、隣で見てろよ。ずっと、さ」
アレスの金の瞳が、まっすぐに私を捉える。その真剣な眼差しに、私は思わず視線を逸らしてしまった。
「そんな、ずっとなんて……非現実的なこと言わないで。私は結婚したら嫁に行くんだから」
「はいはい……また今度、言い直すよ」
「なにが?」
「なんでもな~い。……ほら、班ごとに集合だって。ステラC班だったろ?送ってく」
ごく自然な流れでアレスが私の手を取り、C班の集合場所まで連れていってくれる。
そして、C班の目の前に着いた時だった。
「あ、ステラ嬢……」
マティアス殿下がこちらに気づき、手を挙げかけたが──私の隣にいるアレスを見て、その手をゆっくりと降ろした。
「……あんま、うちのステラからかわないでくださいね。皇太子様?」
アレスがにじり寄るように言うその声音には、嫌味の香りがたっぷりと混ざっていた。
「安心してくれ、義弟くん。ステラ嬢は俺に任せてくれていい。このイベントは“距離を詰める”ためのものだからね。──仲良くならなくては」
「はっ、まだ仲良くもない令嬢を名前呼びするのは皇太子としてどうなんだか」
「アルジェラン家は君とステラ嬢の二人いるからね、わかりやすい方で読んでるだけさ」
二人の間に、稲妻が走ったような気がした。ほんの一瞬で、空気がぴりつく。
「ほら、アレス。私は大丈夫だから、そろそろ行きなさい」
アレスの背を軽く押すと、彼は渋々と歩き出しながら、最後まで私に言い残していった。
「絶対、あいつの企みに巻き込まれんなよ。距離、ちゃんととれよ?」
「はいはい、わかってますって。……また後でね」
私が軽く手を振ると、アレスはそれをじっと見てから、ようやく背を向けた。
(……アレスってば、ほんとに心配性なんだから)
けれど、彼が私のことを想ってくれているのは……とても、よく伝わってきた。