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第二十九話 新しい先生



あの後、フレッド様は私を一年生のフロアまで静かに送り届けると、そっと私の前で立ち止まり、無理に作ったような笑みを浮かべてから一礼し、踵を返した。


「……それじゃあ、またね」


背筋を伸ばしたまま歩き去るその姿が、なぜかとても遠く見えた。


(寂しそう……だった、気がする)


 


「んで? 聞いてきたのかよ」


教室に戻ると、アレスが腕を組み、背もたれに寄りかかった姿勢で私を睨むように出迎えた。


その表情はほんの少し拗ねたようで、眉間に皺が寄っている。


「なんか拗ねてる? 置いていったから?」


私が机の隣に腰かけながら尋ねると、アレスはむくれたように顔を背けた。


「……別に」


ふいっと目線を外す仕草があまりにも分かりやすくて、思わずくすっと笑ってしまう。


私が「アレスのせいで友達ができない」と言ったのを、ちゃんと覚えてくれていて、追いかけてこなかったのだ。


(優しいな、アレスは)


「それで?」

「あ、そうそう。行事の話ね、フレッド様に聞いてきたよ」

「おい、なんで教師じゃなくて女装野郎に聞いてんだよ!!」


アレスが勢いよく椅子から立ち上がり、机に手を突いて声を荒げた。


「まぁ、いろいろあって……」


(……言えるわけない。迷子になったなんて……!!また過保護にどこへでも付いてきちゃう)


目を逸らしつつ肩をすくめる私に、アレスはしばらく不満げな表情を見せていたが、やがて座り直し、唇を引き結んで黙り込んだ。


彼も私に指摘された過干渉を少し抑えようとしてくれているみたいだった。


教室の窓から差し込む光が、アレスのアイスブルーの髪を照らして揺らす。


風に靡いた髪が頬にかかり、いつもの鋭い印象とは違って、どこか幻想的に見えた。


その姿に、私は思わず心を奪われていた。


 


「やっぱアレスって、美人だよね……」


ぼそりと呟いた私の声に、アレスの眉がぴくりと跳ねる。


「は!? なんだよいきなり。嬉しくねぇ」


頬をかすかに染めながら、アレスは足を組み直し、肘を膝に乗せてそっぽを向いた。


その横顔が見えないように、わざとらしく目線を外す姿に、私はますます笑いを堪えきれなくなる。


 

「ふふっじゃあ、なんて言われたら嬉しいの?」

「そりゃ……かっこいいとかじゃねぇの? 男はさ……」

「美人とそんなに変わるかな? アレスがかっこいいのは、もう十分知ってるよ」


そう言って微笑みかけると、アレスは顔をさらに背けた。


「俺みたいな顔がタイプってこと?」


小さく呟いたその言葉に、頬の赤みが一層濃くなった。


私は口元に手を当てて、考えるような素振りを見せる。


「ん〜……私のタイプは、背が高くてー、程よく筋肉がついててー、ちょっと髪が長めでー……」


(お父様みたいな、なんて言ったら怒られそう)


ちらりとアレスの方を盗み見ると、ふーんと興味のないそぶりをして他のことを考えているのがわかった。


「もう、聞いといて────」


くすくす笑いながら言いかけたその瞬間。


ガラッ。


教室の扉が音を立てて開いた。


 


私たちが一斉に視線を向けると、そこには見慣れない大人の男性が立っていた。


赤褐色の髪が夕陽のように揺れ、左頬には火傷の痕。整った顔立ちに、穏やかそうな──けれどどこか、無機質な笑みを浮かべている。


「かっこいい人……」


無意識に呟いた私の声に、アレスがびくりと反応して立ち上がった。


「はァ!?!?」


隣から椅子が軋む音がして、アレスが私の方へ詰め寄ってくる。


「今なんて言った!?」

「いや、つい……」


アレスの睨みにたじろぎつつ、私は男の方へ目を戻した。彼は微笑を崩さず、私たちを見下ろしていた。


 

「君たちが、一年研究クラスのアルジェラン公爵家のご姉弟ですね」

「……はい」


立ち上がって小さく頭を下げると、彼はゆっくりと一歩教室に入ってきた。


「初めまして。今日から臨時の担当になったハルです。二人とも、よろしくお願いします」

「ハル……? 先生、フルネームは教えてくださらないのですか?」


私が尋ねると、彼はわずかに微笑の角度を変えた。


「家族の事情でね、しばらくは伏せさせてもらうことになったんです。そのうち分かるから、安心してください」


その時、微笑みの奥に一瞬だけ覗いた無感情な瞳に、私は思わず肩を震わせた。


(目の奥が、空っぽ……)


隣に座るアレスの方を見ると、彼はなぜか私の顔をじっと見つめ、口を小さく動かしていた。


(……俺の方がかっこいい、よな……?)


その顔があまりにも真剣だったので、私はつい吹き出してしまった。


 

「さぁ、これからは毎時間ちゃんとここに来ますから。何かあれば聞いてくださいね」

「そういや、前の担任だったやつは?」


アレスが椅子の背もたれに肘をかけて、胡乱な目で尋ねる。


「……不幸なことに、馬車の事故に遭われたそうです。命に別状はなかったようですが、教師は続けられないとか」

「ふーん、大変なんだな」


私はその言葉に小さく反応した。


(馬車の事故……お父様のご両親……私の祖父母と同じね)


一瞬だけ胸の奥がひやりと冷たくなった。


 


「それで、俺らに何教えられるって?」

「私は国家高技術魔法使いでしてね。君たちと同じです」

「……いや、俺は登録されてねぇし。ステラもだろ?」

「そうですね。公爵家のご令嬢には、そうした配慮があると伺っています」


アレスは腕を組み直し、椅子に深くもたれた。


 

「……で、レベルは?」

「最後に測った時は──161、だったかな」

「161!?」


アレスが目を見開いて上半身を起こした。


私も思わず息を呑む。


(アレスよりも……上?)


──ただの先生、ではない。

そもそも、国家に仕えている高技術魔法使いが教師というのもおかしい話……


でもそれ以上に──。


なぜか、胸の奥でじわりと広がるこの感覚は何なのだろう。


「私のことは置いておいて、再来週の金の曜日に、全校生徒参加のイベントがあるのは知ってるよね?」


教室の前でハル先生がパンと手を叩き、私たちを見渡しながら言った。


「はい、先ほど三学年の知り合いに聞きました」


私が答えると──


「え……さっき?」


ハル先生が目をまんまるにして固まった。


まるで一瞬、呼吸を忘れたかのように動きが止まる。


「いやぁ……一年研究クラスは放置されすぎって噂は聞いてたけど……ここまでとはなぁ……」


と、乾いた笑みを浮かべながら後頭部をぼりぼりとかいた。


「で、なにやるんだ?」


アレスが椅子にもたれたまま腕を組み、気だるげに尋ねる。


ハル先生は貼り付けたような笑顔を浮かべた。


「魔法対決祭です。チーム対抗戦なんだけど……まぁ、魔法のことなら二人なら大丈夫かな?本当は一か月前に知らせてるはずだったんだけどね〜」

「俺は大丈夫だけど、手加減の仕方がなぁ……」

「そこは大丈夫です。的を使っての対決ですから、魔力暴走さえ起こさなければ怪我させることはありませんよ」


「……ステラは?」

「うん、私も多分平気かな」


私は、やり直しの人生で経験があるからそこまで心配はなかった。


(たしか、けっこう簡単なゲームだった気がする)


すると、ハル先生は資料を手際よく配り始めた。


「さて、ここからが本題。全校合同で魔法対決祭を開催します」

「“全校合同”ってことは……?」

「そう。チームは学年も階級もシャッフル。貴族とか平民とか一切関係なしの混合編成。公平に抽選で組まれてますよ」


アレスが眉をひそめる。


「揉めそうだな」

「まあそうですね。でもね、これは“交流を深める”のが本来の目的。魔法の適性だけじゃなく、協調性とか、意外な相性を見るイベントです」


私は、目の前に置かれた資料をそっとめくった。

中には、全校生徒の班分けと競技予定が細かく書かれている。


「……あ、私たち、別の班なんだ」


ぽつりとつぶやくと、ハル先生が資料を覗き込んだ。


「そうですね。アレスくんがA班、ステラさんはC班です」


私は自分の班の名前を一つずつなぞるように追っていく。

知らない名前ばかりの中に、ひときわ見覚えのある名前があった。


「……マティアス殿下……」


思わず声が漏れる。


「はい、皇太子殿下もステラさんと同じ班ですね」


その瞬間──


ガタン!


椅子を弾くようにして、アレスが立ち上がった。

目を細め、資料を奪うように確認し始める。


(……やっぱり。気にしてるんだ)


以前、アレスは言っていた。

「殿下とあまり関わって欲しくない」って。

私だって、できれば避けたい相手ではあるけれど――


「これ、チーム変更できねぇのか?」


低い声でアレスが問う。


「できません。公平に決めていますから」


ハル先生は苦笑いを浮かべながらも、はっきり答えた。


「……っはあ……」


アレスは肩を落とし、深く椅子に座り直した。

腕を組み、目を閉じて、眉間にしわを寄せている。


「アレス、大丈夫だよ。殿下と同じ班でも、そんなに話すことなんてないと思うし……」


私が言っても、彼は首を小さく振るだけだった。


「……それでも、嫌なもんは嫌なんだよ」

「皇太子殿下が苦手なんですか?」


ハル先生が不思議そうに聞いてくる。


「……まぁ、ちょっと事情があって……」

「そういうのも、こういう行事で乗り越えるチャンスですよ! 身分も関係なく、仲間と協力して競技に挑む──これこそ、魔法対決祭の醍醐味です!」


先生は楽しげに笑うけれど、私もアレスも、素直に笑う気分にはなれなかった。


私は、アレスの横顔をちらりと見る。

彼はじっと窓の外を見ていた。何かを飲み込むように、小さく息を吐く。


その横顔は、どこか寂しげで──

でも、私のことを心配しているようにも見えた。


こうして私たちは、重たい気持ちを抱えながら、魔法祭というイベントを迎えるのだった。


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