第二十八話 条件付きの恋愛は難しい
「ダメだわ、友達ができない……」
私は研究教室の机に突っ伏して、深いため息をついた。まるで世界の終わりみたいな絶望を背中に背負って。
「……友達なんて、いるか?」
目の前から呆れたような声が降ってくる。
「いるわよ。はぁ、前はいたのに……」
「前?」
「いえ、なんでもないわ」
口を滑らせたことに気づき、私は慌てて咳払いをした。危ない危ない。
「とにかく!! 今回の学生生活は、青い春を謳歌したいのよ私は!!」
拳を握りしめて宣言する。希望に満ちた、キラキラした青春。ドキドキやワクワク、すれ違いや友情や恋愛──。やり直しの人生だからこそ、いつ死んでも後悔のないように楽しまなきゃ。
「……青い春って、お前……」
「なによ、笑わないで。そもそも、私に誰も近寄らないのはアレスのせいなのよ!!」
机から勢いよく顔を上げて、私は彼を指差した。
「私が誰かと話そうとすれば、後ろから無言で睨んでくるし、集会で他の子が隣に座ったら、無言で割り込んでくるし!!あんな雰囲気、誰だって引くわよ……」
「睨んでなんかねぇし。……そもそも俺は、ただ……」
アレスは言いかけて視線を逸らす。けれど、ほんのり赤くなった耳を私は見逃さなかった。あれは──照れてる?
「まあ、仕方ないんじゃねーの。今の学年で研究クラスにいるのって、俺とステラだけだし。他のクラスと関わる機会なんて、行事以外ねぇだろ」
「行事……!!」
私は机をバンと叩いて立ち上がった。椅子が音を立てて後ろに引かれる。
「それって、次はいつなの!?」
「いや、知らねぇけど……」
「じゃあ先生に聞いてくるわ!!」
言うが早いか、私は勢いよく扉を開けて飛び出した。
「おい、待てって。ステラ!」
アレスの声が背後から聞こえたけれど、私は無視して廊下を突き進む。
──けれど。
「……あれ?」
思い描いていた構造と違う廊下に出てしまい、私は立ち止まる。
(……ここ、どこ?)
実はアレスの転移魔法に頼りきりで、やり直し前とはクラスも違うから、一年生フロア以外ほぼ忘れてしまっていた。
「ステラちゃん?」
背後から聞き覚えのある声がした。振り返ると、そこにはまたフレッド様が立っていた。女装ではなく、男の姿で。
「……フレッド様、どうしてここに?」
「んー、サボり?ステラちゃんこそ、こんなとこで何してるの?迷子?それとも俺に会いに来た?」
からかうように屈んで、顔を近づけてくるフレッド様。綺麗な顔立ちに、思わずドキッとしてしまった。
「ち、ちがっ……ちょっと先生に聞きたいことがあって……迷子になったわけでは」
私は咳払いしながら、話題をすり替えるように問いかける。
「そうだ、フレッド様!!次の学校行事っていつかわかりますか?」
「ああ、それなら……たしか再来週の金の曜日。全学年合同の対抗戦イベントがあるって、先生が言ってたよ」
「再来週……!? 聞いてません!!」
「研究クラスって、ほら。放任主義だからね」
目を輝かせてその情報を噛みしめる。ようやく接点ができるかもしれない。話せる相手、新しい友達──普通の青春を、ほんの少しでも。
「ありがとうございます、フレッド様!」
「どういたしまして。っていうか、ステラちゃんって案外抜けてるよね。迷ってキョロキョロしてる姿、めーっちゃ可愛かったよ?」
「……うるさいです」
頬が少し熱くなったのを自覚しながら、私はそっぽを向いた。
「案内してあげようか?」
「自分で戻れますので」
強がってそう言って歩き始めたけれど、
「そっちは俺ら三年のフロアだけど?」
「わかってます……」
意地を張りつつも、私はこっそり誘導してくれているフレッド様の歩く方向についていった。
(歩幅も私に合わせて歩いてくれてる……この人、やっぱり優しい)
小さく息を吐きながら、私はその背中を見つめた。どこか無造作に見える少し長い髪。整えられていないようでいて、けれど妙に品がある佇まい。気取ってもいないのに、目を引くのはきっと、彼が“特別”な何かを持っているから。
──こういう人って、きっと、いい夫になるんだろうな。
そんなふうに、ふと頭をよぎる考えに自分で笑ってしまう。
恋愛結婚がしたい。私はそれを、もう決めている。
でも、現実はそれほど甘くない。誰とでもいいわけじゃない。
さすがに平民と結婚ができないことくらい、分かっている。
私は公爵家の娘。名前と立場には責任がついて回る。
だからこそ、この限られた貴族社会の中で、“好き”を見つけなきゃいけないのだ。
けれど──
フレッド様は、惜しいのよね……
私は心の中で小さく呟いた。隣を歩く彼に聞こえないように、でもほんの少し残念そうに。
彼はマティアス殿下の親友。
原作には出てきた記憶のないくらい脇役だったはずだけれど、殿下と関わりが深いというだけで、リナに嵌められたら嫌だわ。
今回の人生は断罪とは無縁でいたい。
──最近女装をしてないのは、ちょっと残念。可愛かったのに……
なんとなく、彼が向けてくれている好意には気が付いている。
きっと、彼と本気で恋をする気で向き合えば……
もしもの話だけど……私たち、きっとすごくいい関係になれたと思うのに。
生意気に条件付きで恋愛なんて、本当に難しい。
現実って、なんてややこしいんだろう。
そんなふうに思っていると、前を歩いていたフレッド様が、ふいに声をかけてきた。
「ステラちゃんはさ〜……マティアスと結婚するの?」
振り返ることなく、軽い調子の問いかけ。けれどその声には、どこか意外と真剣な色が滲んでいた。
私は少しだけ目を細めて、静かに答える。
「……しません」
「アルジェラン公爵の命令でも?」
「お父様が、私に結婚を強要することはありません。むしろ──“一生結婚するな”って言われて、大喧嘩しました」
「一生……!? それはまた、極端な」
「ええ。でも私は結婚しますよ。ちゃんと、恋愛結婚をするんです。自分の意思で、自分の幸せを選びたいから」
私の言葉に、フレッド様は「ふうん」とだけ呟いて肩をすくめた。
「恋愛結婚ね。……それ、貴族にしては珍しい思考だよ」
「そうですか?私の両親は恋愛結婚ですよ?」
「えっ、そうなんだ……。そういえば、公爵夫人って……?」
「亡くなってます。私を産んですぐに」
さらりと告げた言葉に、フレッド様の足が一瞬止まりかけた。気まずそうに言葉を探す気配があったけれど、私はそれを制するように続けた。
「だから、母のことは何も覚えてません。肖像画も、少しだけしか残ってないです。でも、お父様は今でも母を大切に思っていて……」
どこか遠くを見つめるように、私は微笑んだ。
「……そんな夫婦になりたいなって、思うんです。大事にして、大事にされて。長く続く、愛情を持って」
フレッド様は、しばし無言だった。そして、ぽつりと問いかける。
「そっか……どこの家のご令嬢だったの?」
「え?ああ、ガルシア家です」
その一言を告げた瞬間──
フレッド様の足が、止まった。
まるで突然、時間が凍りついたように。彼の背中越しに伝わってきたのは、いつもの朗らかな雰囲気とはまるで違う、異質な沈黙だった。
私は一歩遅れて立ち止まり、彼の横顔をのぞき込む。
「……フレッド様?」
フレッド様は答えなかった。いや、答えられないほど、何かに心を強く揺さぶられているように見えた。
彼の目が見開かれ、何か遠い記憶をたどるように宙を泳いでいる。口元はわずかに開き、かすかに呟いた。
「……セレーナ……?」
その名前が、小さく、けれど確かに発された。
「……今、なんて?」
「……いや、なんでもない」
ハッとしたように目を逸らし、フレッド様は一歩、二歩と歩を進めた。どこか落ち着かない足取り。先ほどまでの軽やかさは消え、言葉も浮かんでこないようだった。
私は慌ててその後を追いかける。
(……セレーナって、私の母の名前を呼んだ……?)
喉元まで疑問がこみあげたけれど、それを言葉にする前に、フレッド様が先に口を開いた。
「……ごめん、ちょっと黙っててもいい?」
「……はい」
その声音は、普段のものとはまるで違っていた。冗談っぽさも飄々とした軽さもなくて――ただ、真っ直ぐに心の奥を見つめるような、どこか苦しげなものだった。
私はそれ以上、何も言えなかった。
(……もしかして、フレッド様のお家と、母に昔何か……?)
彼の背中が、ほんの少しだけ震えた気がした。




