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第二十六話 思春期の男の子




ガチャリと、ノックもなしに扉が開く。

それは、いつものアレスの悪い癖だ。


「ステラ〜?……うわ、お前、超顔色わりぃな。風邪か?」

「そうみたい……」


学校の休日。私は熱を出して、ベッドに横になっていた。


風邪ではない。でも、原因はわかっている。

太腿の奥に残る血の契約の痕がじわじわ熱を持っているのと、魔力を吸われているせい。

体の外に魔力が漏れ出すだけで、こんなにもだるくなるなんて──知らなかった。


息が荒く、熱で火照る頬に枕がひどく暑苦しく感じる。

そんな中、アレスが無遠慮にベッドの傍に近づき、椅子を引いて腰を下ろした。


そして、ためらいもなく私の手を握ってきた。


「……ん、どうしたの?」

「熱ある時、人に触れてると……落ち着くらしいし」

「そう……なの?」


誰に聞いたのかはわからないけれど、アレスの手はひんやりとして気持ちがよかった。

私はそのまま、自分の頬に握られた手をあてる。


「アレスの手、冷たくて、きもちいい……」


熱のせいか、自分の心臓の鼓動が急に速くなったのに気づいた。

けれどアレスは、まるでそれに気づいていないかのように、でも少しだけ視線を逸らして言う。


「……っ、バカ。お前、そういうの軽く言うなよ」


その声は、どこか慌てていて、震えている気がした。

私は少しだけ微笑んで、ふと思い出した。


「ねえ、アレス」

「ん?」

「昔、お父様が言ってたわよね。“男女が二人きりになると子供ができる”って」


「……っ!」


アレスの肩がぴくんと跳ねる。

私の言葉に動揺を隠せないのが、手に取るようにわかった。


私はくすっと笑った。


「……ふふ、こんなにも“きょうだい”なのに、子供なんてできるわけないのにね」

「…………」


無言。

アレスが何か言おうとして、喉の奥でつまらせたような気配がした。

私が顔を上げると、彼は目を逸らしながら唇を強く噛んでいる。


「アレス?」

「な、なんでそういう話を今すんだよ……!」


顔が真っ赤になって、耳まで熱を帯びている。

目が泳いで、まるで爆発寸前の水蒸気ポットみたいだった。


「……ごめん、変な話だった?」

「っ……別に、悪いってわけじゃねぇけど……お前は……無防備すぎるっつの」


そう言いながらも、アレスは私の手を離さなかった。

むしろ、ぎゅっと握りしめてくる指先には、ほんの少し震えが混じっていた。


「無防備……って、私、今ナイトドレス姿だし……」


ふと自分の格好を見下ろす。

薄くて柔らかなナイトドレスは、暑くて汗をかくせいで袖がなく、デコルテや肩が大きく露出しているものにしていた。

脚元のあたりは乱れていて、太腿の付け根に巻いた包帯も少し見えそうになっていた。


(あ……ちょっと、これは……)


熱でぼんやりしていた頭が少しだけ冷えた。

アレスの顔が赤くて、動揺しているのも──もしかして、そういう意味で?


「……思春期、なのかしら。アレス……」


ぽつりと呟いた私の声に、アレスは「うるせー!」とだけ叫んで、顔を背けた。


私はくすっと笑って、再び目を閉じる。


義弟──だと、思っていた。

ずっと昔から。私にはアレスしかいないし、アレスにとっても私は少し誕生日の早い“姉”のような存在だったと思っていた。


だけど。


アレスはもう十三歳。今年で十四歳だ。

私と同じように背が伸びて、男の子としての変化が始まっている年頃。

そして──私は血の繋がらない“姉”で。


(……うん。これからは、ちょっとだけ……気をつけようかな)


別に私たちの間になにかが起こるなんて考えていない。

ただ、ほんの少しだけ、距離感を考えてもいいのかもしれない。


たとえば、薄着の上になにか羽織るとか、太腿を見せすぎないようにするとか。

……そういう、小さなことから。


「アレス、いてくれてありがとう。もう少し……一緒にいてくれる?」

「……ああ、いるよ……バカ。無防備なまま寝んなよ」


最後の言葉だけ少し拗ねたように吐いて、アレスは手を離さず、そこにじっと座っていてくれた。

その指先の体温は、最初よりも少しだけ、熱くなっていた。




◇◇◇




ステラの部屋を出た途端、俺は壁に背を預けるようにして立ち尽くした。


胸が、息が、まだ落ち着かない。

さっきまで手を握ってた。あの細くて、熱のこもった指先。

頬に俺の手をすり寄せた時の顔──無防備で、優しくて、ちょっとだけ甘えてるみたいな、そんな顔。


(……ダメだって……マジで落ち着け俺……)


何度、頭の中で繰り返したかわからない。

義姉──そう。少し誕生日が早いだけの双子の姉貴みたいな存在。子供の頃から一緒で、ずっと俺の側にいてくれて。

守りたいって思った。誰にも取られたくないって思った。

けど……子供の頃はそれは“家族”だからだと思ってた。


……違う。

今はもう、違う。


(可愛すぎんだよ、ステラ……)


あんな無防備に肌見せて……あんな声出して……

「気持ちいい」とか、「一緒にいて」なんて。

そのたびに、頭の奥で何かがチリチリと焼ける。

欲望、衝動、手を伸ばしたいっていう、男としての本能──


(くそ……っ)


思わず拳を壁に打ちつける。


「……俺、ほんとに、我慢できんのかよ……?」


ステラは俺を“義弟”としてしか見ていない。

笑って、「きょうだいだもの」なんて言って……それが俺をどれだけ壊すか、きっと想像すらしてない。

でも──だからこそ、今の距離でいられる。

だからこそ、触れ合える。笑い合える。


それでも、今日みたいなことがまたあったら──


(手ぇ、出すかもしれねぇ……)


本当に、怖くなった。

理性が焼け落ちる前に、誰か止めてくれ。

彼女を汚す前に。

彼女を──傷つける前に。


「……ディル。早く帰ってこいよ……」


口から漏れた声は、喉の奥で滲んでいた。

俺より力を持つ絶対的に俺を止めてくれる存在がいないのはきつい……


もうこれ以上抑え切れるのか?


俺の中に育った、“男”としての俺が、ステラに触れたいと、求めている。


その気持ちが── 一歩でも間違えたら、取り返しがつかないってわかってる。

だからこそ、恐ろしい。


俺は、静かに夜の廊下を歩き出す。

彼女の部屋から離れた距離だけが、唯一の自衛手段だった。


(好きだよ、ステラ……どうしようもないくらい)


その想いは、喉元で何度もせき止められた。

口にしたら最後、俺はもう“義弟”じゃいられなくなる。


(この気持ちを言うのは、ラスボス(ディル)を倒してからだなぁ)

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