表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/113

第二十五話 大切な人を想う夜②


「お母様の……?従魔ってこと?でもっそんな話、聞いたこと──」

「ないだろうな。セレーナは私の存在を誰にも明かさなかったからな」


目の前の魔獣は、どこか懐かしむように目を細めながら続けた。


「契約はしたが、私を“使役”しようとはしなかった。たまに呼び出してはくだらぬ話をするだけ。戦いに利用されることもなかったな」

「それなのに、契約を?」

「──あの女のことだ。頼まれたら断れない、そういう奴だったろう」


私はその言葉だけで妙に納得してしまった。


たしかに──話に聞く限りの母は、誰かを拒めるような人ではなかった。優しくて、強くて、でも自分のことは後回しにしてしまうような。直接の記憶は何一つない。でもこの魔獣の一言一言が、確かに母を知っていると感じさせた。


「それで、ステラ。契約はどうする?」


私は息を飲んだ。お父様の言いつけが頭をよぎる。


「……申し訳ないけれど、私は血で契約を交わすことを禁じられているの」

「ディルに、か」

「え、ええ。あなた……本当に、何でも知ってるのね」

「まったく、あやつは本当に面倒だな」


魔獣──その黒く巨大な体が、わずかに肩を落とすように揺れた。しばらく沈黙したあと、ふと鋭い目で私を見た。


「ステラ。お前──セレーナに会いたくはないか?」

「……え?」


唐突な問いに、思わず言葉を失った。


会いたい……? 私が?


「なにを……お母様はもう……亡くなっているでしょ?」

「そうだ。だが魂は、まだ上には昇っていない。正確には──昇れない」


その瞬間、心臓が跳ねた。


「……どうして」

「セレーナは、お前と同じく“二度目”の時を生きた。その時犯したことの代償を支払うために、魂は上に行けぬのだ」


「……っ!」


私は息を呑んだ。


お母様も──二度目?


私が、あの処刑台で殺され、目覚めたあの日のように……あの絶望の未来を越えて戻ってきたように。

お母様も……


この魔獣は知ってたの?私が二度目だってことを──


「知っていたさ。お前が“やり直しの時”を歩んでいることも。セレーナが、そうだったからな」


言葉が、喉に詰まった。


お母様は私のように、過ちを悔いて、誰かのために未来を変えようとしたのだろうか。私はその顔すら知らない。声も、仕草も、何も覚えていない。


「でも……私は、お母様に会いたいっていうより、どんな人だったか知りたいだけなの。だから──」


そこで、私はほんの少し笑って、でもはっきりと目を合わせて言った。


「お父様に、会わせてあげたいの。私じゃなくて、お父様が……お母様にもう一度、会えたらって」

「ふむ。人間にしては、随分と利他的だな」


魔獣は静かにうなずいた。


「いいだろう。だが、条件がある。セレーナの魂を“擬態化”して、元の姿で現世に顕現させるには……人間の魔力が必要だ。それも、長い時間をかけて蓄積されたものだ」

「私の魔力を、ってこと?」

「そうだ。お前の力を吸い上げ、何年もかけて満たしていく。それまでは、会わせてやることはできぬ」

「それでもいい」


私は一度もためらわなかった。


「契約するわ。そのために、私があなたに魔力をあげる。お父様のために」


私はそう言って、ナイトドレスの裾を指で持ち上げた。


「アレスに見られたら心配されるから、太腿でいい?」

「ふ……ああ、それで構わん」


魔獣は静かに私に歩み寄ると、まるで儀式のように、私の太腿にその牙を突き立てた。


「ッ……!」


ビリ、と神経を焼くような激痛が走り、脚先まで流れる自分の血が、ぬるくて気持ち悪い。


「終わった。傷が癒える頃、お前の皮膚には紋章が浮かぶだろう。そこに私は“いる”と思ってくれていい」

「……いるって……私の、ドレスの中に……?」

「お前がそこにしろと言ったのだろう」


魔獣はちょっと嫌表情をしながら、鼻を啜った。


「お前の血は……ディルの匂いがして、たまらん」

「──あぁ、六年前にお父様とも契約してるから」

「人間同士の契約など……気色悪いだけだ。愛やら責任やらで縛り合う、異常な生き物だな」


そう言いながら、魔獣は出血でふらついた私をそっと支え、丸くなって座った。


私もその体にもたれ掛かるように座り込んだ。


「忘れていたな。私の名は、ヴァルツォリオ。セレーナがそう名付けた」

「……そう。お母様が……。センス、いい名前ね。ヴァル、これからよろしくね」


私はその大きな顎の下を撫でた。ヴァルは満足げに目を細め、気づけば、私の目の前からふっと姿を消した。


そして私は、自分の部屋の真ん中、床の上に座っていた。


まるで夢から覚めたみたいに──だけど、太腿に残る鈍い痛みと、じんわり滲む熱だけが、現実だった。


「いたた……これ、バレる前にどうにかしないと……」


私はそっとナイトドレスの裾を下ろし、じんわり滲む血を押さえながら立ち上がった。今はただの噛み痕でしかないけれど、紋章はやがて浮かび上がる。


きっと誰かに見られれば、ただの怪我では済まされない。


また、こうして怪我を隠すのはお父様がいないからできることだった。


以前、私が庭で転んで腕から流血した時──その怪我を隠してしまったことで、前の侍女たちは、「私の怪我を気が付かなかったから」と解任された。


けれど、あとからそれ以外にも──お父様を殺そうとした未遂があったし……


まあ、つまり理由はそれだけじゃないにせよ……今の私は、レッドだけは手放したくなかった。


お父様が屋敷にいたなら、契約はきっとできなかった。あの人の目は、甘いけれど鋭い。きっと、すべてを見抜いてしまう。


だから。


私は、急いでベッドのシーツを魔法で切り、太腿をぐるぐると巻こうとした。


──その時、大きく音を立てて扉が開いた。


「お嬢様っ!!!!」

「──あ……レッド」


彼女は顔を真っ赤にして、額には大粒の汗。肩を上下させながら、荒い息をついていた。


「どうしたの!?」

「……はぁっ、はぁ……お嬢様の気配が、突然、消えたのです……だから、魔眼で魔力を探知して……屋敷中を探しておりました!」

「え……!! ご、ごめん。心配かけて……」


私は思わず視線を逸らした。けれどレッドの心配は本物で、それがほんのりと胸を温かくした。


けれど。


彼女はぴたりと動きを止め、私をじっと見つめた。目が赤く、燃えるように揺れる。


「…………お嬢様、獣と契約しましたね?」

「え、なんでっ」

「失礼ながら、お嬢様のお怪我がないかの確認のため、魔眼の力を使いました」


レッドは落ち着いた声で言う。


「お嬢様の魔力の色は、優しい金──ゴールドの光を帯びております。それに加えて……右手首からは旦那様と同じ、漆黒のオーラが。左目からは、私──魔族と同じ赤いオーラが見えます」


彼女は一歩、私に近づいた。


「でも今は、それに加えて──左脚の腿の傷口から、白いオーラが滲んでおります」


私は、心の中で小さく舌を巻いた。


(すごい……私は、魔眼のクラクラする視界が嫌で四年もほとんど使わずにいたけど、こんなふうに上手く使えば、相手のことをこんなに深く読み取れるんだ)


「へへっ、バレちゃったか……」


私は掌を頬に当てて笑った。


「……まずは、傷の手当をしましょう」


レッドはそれ以上は詮索せず、ただ静かにそう言って私の手を取り、椅子に座らせた。


「医者も神官も呼びません。お嬢様がそう望まないと、わかっておりますから」


すぐにレッドは、手当の道具を持ってきた。

アルコールの匂いと共に、冷たいガーゼが肌に触れた。

ピリ、とした痛みに少しだけ身を竦ませると、彼女はそっと声をかけてくる。


「アレス様と旦那様には……やはり、内密に?」


その言葉に、私は小さく頷いた。

それから、思わず彼女の手を取る。


「……うん。今はまだ……でも、お父様が戻ってきたら、そのときはちゃんと話すから。お願い、それまでは……」


レッドは一瞬、目を瞬かせたが、すぐに頷いた。


「私はお嬢様の従魔です。もちろん、そういたします」


その声は静かで、けれど絶対的だった。

どこまでも私の味方でいてくれると、そう言ってくれているようだった。


「それと……」


レッドは私の太腿に包帯を巻きながら、眉を寄せた。


「お嬢様が契約なさったのは……“魔獣”ではないように思います」

「えっ、どうして?」


「気配が違います。オーラが感じたことのない気配です」

「ふーん……でも、見た目は魔獣にしか見えなかったけどな」


私は特に深く考えずに答えた。正直、あの大きな体と黒い毛皮、燃えるような瞳──見た目だけなら、よくある上位の獣型魔物と大差なかった気もする。


けれどあの子は、私の中に眠った。


「ヴァル……」


私はそっと、まだ熱の残る太腿の上から布地越しに手を置いた。


レッドは私のその手に目を落とし、何も言わずに眺めていた。


部屋には、静けさだけが残っていた。

目を閉じると、胸の奥で、淡い感情が静かに揺れている。


──お父様と、お母様を会わせてあげたい。


もう一度、ちゃんと向き合ってほしい。

今でもお父様の奥底に眠る、あの頃から止まったままの心を──お母様の手で、そっとほどいてほしい。


私じゃ届かない想いがある。

それはきっと、お母様にしか解けないものだから。


この選択は、私のためじゃない。

お父様が、少しでも自由な心で生きられるように。


(だから、どんどん魔力を持っていってもいいよ……ヴァル)


私は、そう願っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ