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第二十三話 かわいい義弟の嫉妬



「ステラちゃぁぁあん!!!!」


甲高い声とともに抱きついてきたのは、今日も変わらずフリエッダ様──フレッド様だった。

金色の巻き髪が揺れ、香水の匂いがふわりと漂う。


「フレ──……フリエッダ様、ごきげんよう」


内心げんなりしつつも、私は笑みを作って挨拶を返す。

こうでもしなければ、彼──いや彼女(?)の勢いには呑まれてしまうからだ。


「おい、ステラから離れろ。この女装野郎」


すかさずアレスが間に割り込む。腕を引いて、私をフレッド様から引き離そうとする仕草に、思わず頬が緩む。

こういうところ、本当に変わらない。


「あのねー!! 君はいくら同じ立場の公爵家とはいえ、私は先輩だよ? もう少し敬意ってものをさ──!」


フレッド様はまるで被害者のように唇を尖らせながら反論した。

けれどその言葉には、どこか軽さと茶目っ気がある。根が悪い人ではないのだろう。


フレッド様──本名はフレデリック・マーリン。

マーリン公爵家の長男にして、現公爵は彼のお爺様とのこと。

つまり、彼自身はまだ自由な身分で、次期のそのまた次期──しがらみに縛られない立場を存分に謳歌しているらしい。


「お前がしつこいのは本当のことだろ」

「ひどっ! ああ〜マティアスまで……」


そこへ遅れて現れたのは、マティアス殿下だった。

王族の風格を纏いながら、どこか疲れたような表情でフレッド様に目をやる。


「いつも悪いね。……ほら、戻るぞ」

「えぇ〜。じゃあね、愛おしのステラちゃん〜私の女神ぃ〜!」


名残惜しそうに投げキスをしながら、フレッド様は殿下に引きずられるように去っていく。

……このやり取りは、もはや日常風景になっていた。


(賑やかではあるけれど、マティアス殿下とは……あまり関わりを持つ気になれないわ)



彼の手が私を汚したわけじゃない。

けれど、過去の記憶が疼く。断罪の日、見下ろされていた視線。あの目を、忘れられない。



早くも、入学から一ヶ月が経っていた。

私とアレスは、魔法レベルによって決まるA〜Cの通常クラスには属さず、「研究クラス」という特別な枠に配属されていた。


ここに入れる生徒は、もはや教師すら教えることがない天才ばかり。


学ぶよりも、自分自身で研究・開発を行うことが前提となる場所だった。


講義形式の授業はなく、ほとんどの時間が個別の研究や実験に使われる。

つまり──人と関わる機会がとても少ない。


(……恋愛が、したいのに)


ふと虚しくなることがある。

期待していた学園生活には、煌めくような出会いも、乙女心をくすぐるアクシデントもなかった。


しかも──


「ステラ、それは危ない。俺がやる」

「ステラ、昼食は俺が用意した。こっちで食べようぜ」

「ステラ、あの男と話す必要ないだろ」


──何をするにも、アレスがいる。


彼がそばにいると安心する。それは間違いない。

けれど、まるで父親のように一挙手一投足を見張られていると、誰かと関わる余裕すら、少しずつ削られていく。


(……少しくらい、一人になったって、いいのに)


そんなことを思っていた矢先のことだった。


男子生徒のみが強制参加する魔法剣術の授業が始まり、


「……あんま一人でうろちょろすんなよ?」


と一言だけ残して、アレスは剣を抱え、足早に立ち去った。


そしてその後。

黙々と進める研究に息が詰まり始めた私は、風の通る中庭の奥へと足を運んでいた。


(……気持ちいい)


人通りの少ないこの場所は、少しだけ好き。静かで、落ち着く。


「おーい、そこにいるのは、もしかしてぇ……?」


声がして、振り返る。

その瞬間──思わず、目を見開いた。


──誰?


見知らぬ男が、片手をひらひら振ってこちらに近づいてくる。整った顔立ちで、金髪を風になびかせ、制服はゆるく着崩している。軽そうな笑みがどこか見覚えのある感じだけど……。


「……誰、ですか?」


私が警戒を込めて問いかけると、彼は「うわっ、やっぱり」とおおげさに肩を落とした。


「君、さすがにひどくない? 毎日会ってるじゃないの~!!ほら、俺だよ、フリエッダ!!」

「……え」


瞬間、脳裏にあの絢爛たる女装姿がよぎる。


「まさか……フレッド、様……?」

「正解っ! 君って、ほんとに真面目すぎて好きだわ〜。ああでも、今のはちょっと傷ついた。せっかくカッコよく決めようと思ったのにさ〜」


頭をかきながら近づいてきたその人は、間違いなくフレッド様だった。


でも、こんな姿……初めて見る。


「なんで、今日はその……男性の姿なんですか?」

「なんでって、そりゃ俺、もともと男だし?」

「そうですけど……いつもは、スカート履いてるから」

「気分だよ気分。あと、今日はアレスくんいなかったし? 君とゆっくり話せるチャンスってわけ」

「……話す、ですか?」

「うんうん。だって、君ってさー、いつもあの義弟兼ボディガードに張りつかれててさ、なかなか近づけないじゃん?」


そう言いながら、彼は私の前に立つ。ぐい、と顔を覗き込まれて、思わず半歩下がった。


「うん、でも……いいね、この角度。やっぱステラちゃん、かわいいわ~。髪とか光に透けてて、ほんと人形みたい」

「……お世辞、うまいですね」

「いやいや、本気だって。俺って、思ったことそのまま口に出しちゃうタイプだから~」


にやっと笑ったその顔は、いつものフリエッダそのものだった。でも、なぜかほんの少しだけ、その視線に引っかかるものがあった。


──あれ。こんな目、してたっけ。


「それにしても、ステラちゃんってさ。……なんか、他の子とちょっと違うよね?」

「違う……って、どういう?」

「んー、言葉にするの難しいけど。ほら、俺って今までいろんな子と仲良くしてきたじゃん? でも、君といると、なんか……こう、ちょっとだけ黙っちゃう瞬間があるっていうか……あれ、これ何の話だっけ?」


自分で言っておいて、途中でごまかすように肩をすくめる。

私は、なんとなくその言葉を胸に残しながらも、深く考えるのはやめた。


(この人はやっぱり、変わってる人ね……ずっと喋ってるし……)


「じゃ、そろそろ行くわ。授業サボってるのバレたら怒られちゃうしねー。んじゃ、また近いうち!」

「え……あ、はい。……フレッド様」

「うん?」

「……その、男性の姿も……似合ってます」


そう言うと、フレッド様はほんの一瞬だけ目を丸くしたあと、子どもみたいに笑った。


「やーん、ステラちゃん、それ反則。じゃあ明日からずっとこの姿で来ちゃおうかなー!」


軽口を叩きながらも、彼はすっと一歩近づいてくる。そして、不意に私の右手を取った。


「え──?」


戸惑う間もなく、彼はそのまま私の手の甲に唇を寄せて、ふわりと軽くキスを落とした。


「お礼に、エスコート風の挨拶ってことで。ステラちゃんからこの姿似合ってるって言われるの、結構ヤバいね」


からかうような口調なのに、その仕草はどこか丁寧で、やけに自然だった。

けれど、ほんの少しだけ──フレッド様の頬は、赤く染まっているように見えた。


「……またね、ステラちゃん」


手を放し、いつもの調子でひらひらと手を振りながら去っていくフレッド様。


でも、去り際に風に揺れる背中を見ながら、私はなぜか、自分の手の甲に残る温もりが気になってしまった。


風がまた、花のアーチを揺らしていた。



◇◇◇



「はぁ!? あの女装野郎と二人で会った!?」


剣術の授業から戻ってきたアレスは、私の一言に目を見開き、椅子を勢いよく蹴って立ち上がった。


「たまたまよ……偶然、中庭で会っただけ」


私は淡々と返したけれど、アレスの眉間の皺は深まるばかりだった。


「はぁ……だから言っただろ、一人で彷徨くなって……」


眉をひそめてため息をつく彼に、私はつい胸の内をぶつけた。


「ねぇ、アレス。この際だから言わせてもらうけど……最近のあなた、私に対してちょっと過保護すぎない? 誰かと話すのも、動くのも、まるで全部見張られてるみたい。私だって、たまには……一人になりたいのよ」


少しだけ、声が強くなったかもしれない。

だけど、嘘ではなかった。そう感じていたのも本当だったから。


アレスは一瞬、口を閉ざした。

その瞳の奥が、何かを探るように私を見つめている。


何か考えている……。それが、彼なりに真剣な表情だとわかる私は、胸の奥にほんの少しだけ痛みを覚えた。


お父様に、私を任された責任。

その重さを、アレスはずっと抱え続けているのだろう。幼い身体には似合わないほどの真面目さで。


やがて、彼の唇がわずかに動いた。


「……ごめん。俺がただ……あいつと関わってほしくなかっただけなんだ」

「……フレッド様と?」


私は首を傾げながら尋ねると、アレスは慌てたように首を横に振った。


「違う……あいつだよ」

「ああ……マティアス殿下のことね」


少し納得して、私は頷いた。


彼は、アレスの異母兄だ。

けれど、その立場はあまりにも違っていた。


正妃の子であるマティアス殿下は、誰からも愛され、大切に育てられた。

一方、アレスは側妃の子で、生まれた瞬間から“危険な存在”として扱われてきた。強すぎる魔力、制御しきれない力。母親である側妃様が生きていたら、まだ違ったのかもしれないけれど……。


そう思うと、マティアス殿下に対して嫌悪感を抱くのも、無理はない。


「悪い……でも、ステラが“恋愛したい”とか言ってたの、覚えてるし……もしあいつと、とか想像したら……俺、めちゃくちゃ嫌で……」


言葉を濁しながら、アレスは俯いた。頬がじんわりと朱に染まり、視線を泳がせている。


そんな彼の様子を見て、私はふっと笑ってしまった。


「アレス……もしかして、嫉妬してるの?」


そう指摘すると、彼はびくりと肩を揺らし、耳まで真っ赤に染め上がった。


「そ、そうだよ!! マティアスも女装野郎のあいつも気に入らねぇんだ!!!」


声を張り上げる姿は、恥ずかしさを誤魔化す子どものようで──それがとても、可愛らしくて、愛おしかった。


私は、そっと微笑んで彼に向き直った。


「ふふっ……お義姉ちゃんは、恋をしても義弟(おとうと)のことはちゃんと忘れないわ。安心して?」


そう言うと、アレスは深々とため息をついた。


「はぁぁぁ……これだから……俺だって、七歳のとき、“俺と恋愛しよう”って言ったのに……」


ぽつりと零れ落ちたその声は、とても小さくて、ほとんど風に消えてしまいそうだった。


「ん? 今なんて言った?」


私は聞き返したけれど、アレスはそっぽを向いて軽く鼻を鳴らす。


「……別に~?」


そして、私の手から鞄を奪うようにして持ち、ずんずんと先を歩き始めた。


「ほら、もう帰るぞ」

「うん」


私も後ろからその背を追い、ふと彼が差し出してきた手を見つめる。


無言のまま、私はその手を取った。

小さな、でも確かな温もりが掌に広がる。


姉弟がこうして仲良くいられる日々は、きっと──とても、幸せなこと。


そう思いながら、アレスの転移魔法に身を預け、公爵家へと帰ったのだった。


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