第十八話 魔族
「ま、魔族……!?」
「ああ。コイツは魔族──つまり、人間じゃない」
「だ、大丈夫なのかよ!?魔族って人間を襲うんだろ!?」
アレスが顔をこわばらせる。けれどその隣で、エミリオ様が静かな声で言った。
「ご安心を。確かに魔族の中には人間を傷つける者もいますが、中には共存を望む者もいるのです。外見も、魔法で角さえ消せば人間と変わりありません」
「善良な魔族……だから調査書、なんですね」
「ああ。最初は捨ててこようかとも思ったが……お前が連れてきたやつだ。とりあえずこいつは人間に擬態化していたから治療だけして、地下牢に置いて様子を見た」
魔族の女性は黙って立っていた。表情は読めず、ただ静かに、淡々としている。
「……だから、瞳の色が赤いんですね」
「視えるのか?」
「え? はい……普通に」
お父様が少し驚いた顔をした。
「魔族の魔法は人間を欺く。普通は見分けがつかん」
「え? じゃあ、お父様たちには……」
「今、僕たちからは茶色の瞳に見えていますよ」
すると、沈黙を守っていた魔族の女性が、すっと口を開いた。
「私を助けてくれたステラ様には、偽りなく在りたくて……魔法の欺きは解除しております」
その声は、澄んでいて静かで──どこか、とても寂しげだった。
「この者は、お前に仕えたいと申し出てきた。だからこうして、調査を終えて連れてきたのだ」
「……そうだったんですね」
「私は、前に働いていた酒場で魔族だとバレ、店主に矢で撃たれました。私はただ、人と共に生きていきたかっただけなのです」
言葉が胸に刺さる。
彼女の顔は平静を保っているのに、瞳の奥にある諦めのような光が、ただただ悲しかった。
「……お父様。この方を、私の専属の侍女にしてください」
「何を言っている。そんなことはできない。魔族が裏切ったら、お前は──」
「それなら、従魔契約をします」
「それも却下だ。血を流させないと決めただろ」
少し睨まれる。でも、ここで一歩も引く気はなかった。
そのときだった。
ずっと黙っていた魔族の女性が、静かに口を開いた。
「血を流さずに、ステラ様に服従を誓う方法があります」
「え……?」
彼女はゆっくりと私の目の前に膝をつき、目線を合わせた。
お父様が剣に手を伸ばしたのがわかったけれど、彼女はそれに怯えもしない。
そして──
彼女の額が、私の額にそっと触れた。
(あ……左目の奥が、ほんのり暖かい)
数秒後、彼女は離れ、左目をそっと瞑ったままだった。
「ステラ様に、私の魔眼の力をお渡ししました」
「ま、魔眼……?」
「魔力を瞳に込めてみてください」
言われた通り、私は左目に魔力を流した。
すると──
(なにこれ……アレスやお父様の周りに、オーラみたいな色が……少し酔いそう……)
「魔眼の力は、魔力や感情を“色”として視認することができます。ほかにも様々な用途がありますが──これは、魔族が服従を誓う際の最後の手段です。裏切れば、私は即座に消え去ります」
「ステラ、お前……左眼が赤くなってる」
アレスが少し驚いたように言った。
「ご安心ください。魔力を流さなければ、元の瞳に戻ります」
「魔眼契約、か……確かに聞いたことはあるが、実際に見たのは初めてだ」
お父様も、ついに頷いてくれた。
「でも……あなたの左眼は?」
「もう必要ありません。私たち魔族は、魔力の産物なのです。死ねば全てが消えます。──救われた命、あなただけの為にお仕え致します」
私は、彼女の失った瞳を見つめた。
「じゃあ、あなたの名前を教えて」
私がそう問いかけると、魔族の彼女はほんの少しだけ首をかしげて、小さく微笑んだ。
「私に、名はありません。働く場所が変わるたび、名も変えてきましたので……」
「じゃあ、ステラがつけてやればいいだろ」
隣でアレスが軽く言う。彼女は私に向き直り、静かに頷いた。
「はい。そうしていただけると、嬉しいです」
私は少しだけ考えてから、彼女の瞳を見つめた。
吸い込まれそうな、深い赤──まるで夕暮れの空に沈む光のような、強さと寂しさが入り混じった色。
「じゃあ……“レッド”で、どう?」
「……そのまま過ぎね?」
アレスが横で呆れたように声を上げる。
「いいじゃない、赤い瞳なんだし。きれいなんだよ、すごく」
私が言うと、レッド──もう彼女の名前になったその人は、初めてはっきりと微笑んだ。
「私は嬉しいです、ステラ様。レッドという名、とても気に入りました」
その笑顔は、どこか儚くて、けれど心からのものに思えた。
そうして、私に一年半ぶりに専属侍女ができた。
◇◇◇
───四年後
「アルジェラン公爵。この責任は取ってもらわねばならない……いざと言う時は、戦地の第一線に立っていただくことになるやもしれませんな……」
重々しく響いた声が、まるで腐った絹をこすり合わせたように耳にまとわりつく。
高官の老耄──名前も記憶に残す価値すらない老害が、言葉の裏に毒を滲ませてこちらを見ていた。
(責任……? 責任、ね)
胸の内でせせら笑いながら、俺は表情一つ動かさずに老いぼれの視線を受け流す。
こいつらにとって、俺はいつだって都合の良い「剣」だ。
皇帝に忠誠を誓い、国を守る剣。
だがその剣が、今や己の意志で動き始めたと気づいて、焦っている。
アレスの傍にいる俺が、彼らにとっては目障りで仕方ない。
逆らわぬ剣であるうちは都合が良かったが──今の俺は、書類上は皇子の父でもある。
(戦争にまで発展させようとは……よくやるな。皇后が裏で噛んでいるのか?)
静かに息を吐く。
この六年、何度もアレスや俺に刺客が送られてきた。
殆どは結界で追い払える程度のヤツらだったが、何度か腕の立つ奴が来た時もあった。
早く俺とアレスを引き離し殺そうってわけだ。
大した理由もない今、戦争の火種を巻こうとするこの国の中枢がどれだけ腐っているか、あらためて骨身に沁みる。
だが、俺はもう誰にも振り回されはしない。
たとえ、また剣を取ることになっても──守るのは、娘と、息子と、俺が選んだ「家族」だ。
「……ああ。いざという時は、この身を持って応えよう」
俺はそう答えた。
言葉の端にわずかに牙を忍ばせて、愚かな老いた獣たちに聞かせるように。
どうせ、この国は──いずれ変わる。
その時まで、俺は刃を研いでおくだけだ。