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第十七話 命日と手作りディナー



海辺の夕日はとっくに沈み、残されたのは潮の匂いと、空いっぱいに広がる星々だけだった。田舎の夜はひどく静かで、波音すら遠ざかるほどに、私たちの間に落ちる沈黙は深く重かった。


「……嫌いに、なっただろう?」


ぽつりと落ちたその言葉は、夜の空気よりも冷たくて、胸の奥にひたひたと沁みこんできた。


けれど、私はまだ何も返せなかった。あまりにも重く、あまりにも苦しい話だったから。どこから言葉にすればいいのか、それすら見つけられなかった。


「……無理して答えなくていい。暗くなってしまったな……早く帰ろう」


お父様が私に近づき、自分のマントをそっと私の肩に掛ける。その動きには、言葉にしきれないほどの優しさと、罪悪感が滲んでいた。


引き摺るマントの内側はお父様の体温でまだあたたかくて、私はそれをぎゅっと握りしめながら、小さく首を横に振った。


「まだ……帰れないです」

「いや、もう暗いし、風も冷たい。話なら家で──」

「お母様のお墓に行きたいです……今日は私の誕生日でもあるけど、お母様の……亡くなった日でもあるのでしょう?」


その言葉に、お父様の足が止まった。星の光だけでは読み取れないその表情の中で、彼はしばらく言葉を選んでいた。そして、ようやく「そうだな」と小さく呟く。


その瞬間、ふわりと抱き上げられ、空気が震える音と共に、転移の魔法が発動した。


辿り着いた先は、森の奥のように暗く、ただ風の音と、虫の声だけが響いていた。お父様が魔法であたりを淡く照らすと、そこにはぽつんと、ひとつのお墓が浮かび上がった。


「セレーナ……遅くなってごめん。今日はステラの誕生日だから……また明日来ようと思っていたんだ」


そう言って墓の前にしゃがむお父様の背中は、いつもより小さく見えた。けれどその横顔は、どこまでもやさしく、懐かしい誰かに語りかけるようだった。


「今日はステラの花は持ってこられなかったけど、俺たちの娘のステラを連れてきたよ」


私はそっと彼の隣にしゃがみ、墓石に向かって小さく頭を下げた。


「……お母様、こんばんは。えっと……」


何を話せばいいのかわからず、喉がつまる。目の前にあるのは、私が一度も会ったことのない人の、最後の場所。


「……私、お母様に会ってみたかったです。お父様は私とお母様は似ているって言うけど……話を聞く限り、全然違う気がします」


夜風がそよぎ、墓石のまわりの草がさらさらと揺れた。


「私は……全てを許せるような寛容さは持っていないし、虫も、魔物も、致し方なければ…………人も、殺せます」


自分で言っておきながら、胸がきゅうっと痛む。こんな自分を、お母様が知ったら……きっと悲しむのではないか。軽蔑されてしまうのではないか。


「お母様は……そんな私を、どう思うでしょうか……?」


返事が返ってくるはずのないその墓の前で、私は初めて、母に話しかけた。遅すぎた対話だけど、それでも伝えたかった。心の奥に溜めてきた言葉を、ようやく口にできた。


お父様がそっと、私の背に手を添える。その手はあたたかくて、安心するのに、どこか切ない。


「……生きていたら、きっとステラと仲のいい母娘だったのだろうな」


ぽつりと呟いたその言葉が、胸の奥にじんと沁みた。叶わなかった未来が、ひどく遠くて、でも、すごく優しい。


夢の中でもいい。三人で会えることがもしあるのなら、そのときは迷わず、抱きしめ合いたい。


私はふとお父様の顔を見上げた。月明かりがその瞳を照らし、微かに潤んでいるのが見えた。


「お父様とだって、もっと仲良くなれますよ……」

「俺とも?」

「……私、お父様のこと、大好きですから」


頬が少し熱くなるのを感じながら、それでもまっすぐに言葉を続ける。


「お父様は確かに、間違った選択をした時もあったと思います……現に私は、すっごく寂しかった訳ですしっ!!」


わざと語尾を強めた。少し拗ねたふりをしてみせた。だけど、そこに恨みはなかった。ただ、知っていてほしかったのだ。私はずっと、見てほしかったのだと。


「ですが、お父様は人生一回目でしょう? 最初から間違わずに選択できる人なんて、いないですわ」


ふっと、お父様が笑った。安心したように、どこか呆れたように、そして心の底から、愛おしそうに。


「……ふっ。なんだか、俺より人生経験あるような意見だな……」


一瞬、空気が止まった気がした。


(あっぶない、余計なことを言ってしまったわ。実際ステラとしては十六年+二年生きてるから……前世を入れたらまあ……)


「俺も大好きだ。愛しているよ、ステラ……セレーナ。二人とも」


内心で慌てつつも、それでも私は微笑んだ。


お父様の手が、さっきよりも少しだけ強く、私の肩を抱きしめた。その温もりを、私は逃さないように、小さな両手でぎゅっと掴んだ。


◇◇◇



さてさて、一週間がたちました。


あの、誕生日の夜。

お父様と一緒に公爵家に戻ったその瞬間──


「ディル様!!」

エミリオ様が扉を突き破りそうな勢いで現れたのだ。

その顔には焦りと緊張がにじみ出ていて、息も切れている。

そして何も言わぬまま、お父様の腕を掴み、無理やり皇宮へと連れ去っていった。


それきり。


お父様は、一度も戻ってきていない。


「アレス〜?」


長い廊下を抜け、アレスの部屋の前で小さく声をかける。

けれど中からは、何の返事もない。

ノックをしても反応はなく、少しだけ扉を開けて、そっと中を覗いてみる。


「あ……」


柔らかな光の差し込む部屋の中。

そのベッドの上で、アレスは静かに眠っていた。

アイスブルーの髪が枕にふわりと広がり、寝息が一定のリズムを刻んでいる。

頬にはうっすらと赤みがさしていて、まるで赤子のように無防備な寝顔だった。


「アレスもダメとなると……暇ね〜……」


扉をそっと閉めながら、思わずため息がこぼれる。


今の私は、いわば“余裕しゃくしゃく”の身。

一度やり直した人生だもの、マナー講座もお稽古も、すべて復習でしかない。

先生たちは「なんて優秀な子だ!」と感嘆の声を上げていたけれど、

週に一、二回の講義じゃ、日々の時間を潰しきれない。


「……私、多分この世界の貴族令嬢の中で一番暇だわ……」


とぼとぼと廊下を歩きながら、天井を見上げて呟く。

煌びやかなシャンデリアが揺れ、窓から差し込む光が石床に反射してきらきらと舞う。


(何か、何かやりたいこと……)


そこで、ふと心に浮かんだのは、懐かしい感覚だった。

まな板の上の音。

フライパンに油がはねる音。

あの、湯気と香りに包まれた、小さな台所の風景。


(料理したいなぁ〜……)


思ったら、もう止まらない。


「よしっ!! 作ろう!!」


気づけば、足は勝手に厨房へ向かっていた。


──が。


「いくらなんでも、ダメです……!!」


厨房に入った瞬間、料理長が飛び上がるようにして私の前に立ちはだかった。


「えー!!なんで?」


私がにこりと笑って尋ねると、彼は青ざめた顔で手を振った。


「旦那様に叱られてしまいます……お怪我でもなされたら、私の首が飛びます!!」

「そんな大げさなよ……」

「本当です!! お嬢様が包丁で指でも切られた日には、私がどうなるか……!」

「どうしてもダメ?」


私は少しだけ視線を下げて、上目遣いに彼を見る。

お父様に使う、“お願いモード”の顔だ。


「……私、お父様に……お料理を食べて頂きたいの」


その言葉を口にしたとたん、料理長の表情がぴたりと止まった。

目を瞬かせて、私の顔をまじまじと見つめてくる。


「…………」


しばしの沈黙のあと──


「…………火と包丁を使わないのなら……」

「ありがとうっ!!」


私はその場で跳ねるようにして歓声を上げた。


けれど、火と包丁を使えないということは──

つまり、それは料理長がその工程を担ってくれるということ。


(……仕事を増やしてしまって、悪いわね……)


けれど、どうしても。

今日だけは、どうしてもお父様に食べてもらいたいのだ。


私の、気持ちをこめた料理を。



もちろんです。ステラの明るさと芯の強さ、そしてお父様への愛情や、ふとした瞬間に訪れる過去への疑念や葛藤──それらが自然に流れるよう、地の文や描写を増やして、小説らしい間と空気を丁寧に織り込みました。


「食料庫を覗いても?」


「はい、どうぞ」


厨房の奥に案内されると、そこにはずらりと食材が並んでいた。石でできた棚には保存用の肉や乾物が積まれ、大きな冷蔵魔法石で冷やされた棚には、新鮮な野菜や果物が丁寧に整頓されている。


私はその一つひとつを、じっくりと目を凝らして見渡した。


(うんうん……やっぱり、この世界には現実世界にいた大体の動物も植物も存在するようだったわ。見た目や呼び方は少し違っていても、味や用途はほとんど同じ……)


そう思いながら、棚の下段でひときわ大きな肉の塊に目を止める。


(お父様に食べさせるなら……まだ若いし、体力もいるし、やっぱり栄養のあるものがいいわね)


「料理長!! この豚肉を少し厚めに切ってくれる?」


「一体、何を……」


「いいからいいから!!」


私が笑って急かすと、料理長は渋々といった様子で豚肉を取り出し、大きな包丁を手に取った。厚めに切られた肉を横目に、私は次にパンを粉々に切ってもらうようお願いする。


そして、小麦粉と卵も用意してもらい、材料が揃ったところで、私は手早く作業に取りかかった。


豚肉に、小麦粉。

それから溶き卵をまとわせ、細かく砕かれたパン粉をたっぷりとまぶしていく。


「な、何をしてるんですか……!!」


料理長が驚きの声を上げた。


「揚げ物が存在しないなんて、この世の悪だわ」


「はぁ……?」


完全に困惑している料理長の視線をよそに、私は鍋にたっぷりと油を注いだ。もちろん火をつけるのは料理長。私が火を扱うと知ったら、お父様は卒倒してしまうかもしれない。


鍋が熱され、軽く泡をたて始めた頃──揚げる作業も、もちろん料理長に頼んだ。


「できた〜!! トンカツ〜!!!!」


思わずガッツポーズをしながら、小さな声で喜びを噛みしめた。


「料理長も食べて食べて!! 何枚か揚げたから!!あ、ソースはないから、塩胡椒つけて食べてね」


料理長は、まるで毒味でもするかのような慎重な手つきで、一切れを箸で持ち上げた。目を細め、警戒しながらそっと口に運ぶ。


──その瞬間だった。


「こ、これは!!!!!!」


料理長の目が見開かれ、まるで雷に打たれたように一歩後ずさったかと思うと、顔つきが急に変わった。

野心に満ちた、料理人の本気の顔だ。


「これは……なんという食べ物でしょうか!!!!」


「ん、トンカツ〜」


「な、な、な、なんと!! 美味しゅうございます!! まさか、たった八歳でオリジナルレシピを作ってしまうとは……!」


「大袈裟大袈裟〜、ハハハ〜」


けれど、その後も料理長の熱弁は止まらなかった。

火入れの技法から油の温度、パン粉の細かさまで、ありとあらゆる視点からの研究が始まり、私はついには逃げるように厨房から離れた。


その後、「他にも作ってみたい料理があるの」と伝えると、料理長は目を輝かせながら快諾してくれた。その代わりに、トンカツのレシピを書いて渡した。


(ふぅ……あとはお父様が帰ってくれば、軽く揚げ直して食べてもらえるのになぁ)


そう思いながら、私は窓辺へ向かった。


指先に意識を集中し、掌に小さく魔力を込める。ふわりと白い光が揺れ、小鳥の形が浮かび上がった。


「お父様に渡してくれる?」


小さく囁くと、魔力でできた小鳥は羽ばたくようにして窓の外へ飛び立っていった。


「転移魔法が使えたら、お父様のいるところまで行けるんだけどなぁ……」


──でも、私は転移魔法を教わっていない。


本来、転移魔法はとても複雑な術式が必要で、座標をしっかり設定しなければならない。アバウトに唱えれば、座点がずれてしまうどころか、全く知らない場所に飛ばされることもあるという。


それに、魔力の消耗が激しく、戻るための余力が足りず、迷子になってしまう可能性すらある。


(……ま、一番の理由は──お父様が私を遠くへ行かせたくないから、なんだけど)


心配性なお父様。


あの人の過去を聞いた時、心がぎゅっと締めつけられるような思いがした。

救えなかった命、守れなかった家族──

そうした後悔を背負って、私を大切にしてくれているのだと、今ではわかる。


けれど、どうしても引っかかる。


(四歳から私を想ってくれていた……のに)


やり直し前の私は、その手で殺された。

過去を変えられたのは六歳以降だ。

それなのに──


(本当に私のことを、想い続けてくれていたの?)


もしそうなら、処刑なんてできるはずがない。


そう思ったところで、答えなど出るはずもなく。

ただ、無駄な問いばかりが心の中で渦を巻く。


「やめよやめよ、考えたらキリないわ」


ぶんぶんと頭を振って、その思考を振り払った──その時だった。


目の前に、光り輝く魔法陣が展開される。


(……思った以上に早かったわ)


そこから現れた大きな影に、私は迷うことなく飛び込んだ。


「おかえりなさい!! お父様!!」


「長い時間待たせて悪かった……会いたかったよ、ステラ」


お父様の腕が私を強く、けれど優しく抱き締める。

一週間ぶりのその温もりは、まるで春の陽だまりのように暖かかった。


「お父様、こんなに急いで帰ってきて大丈夫だったんですか?」


「……ああ。埒のあかない老人の話に、皇族のワガママ。少し抜けたくらい問題ないさ……」


「それは……」


(とても問題が……)


けれど、まあ──それはお父様がどうにかするだろう。

だから、今夜は。


 


◇◇◇


「ジャーーン!! 私がお料理を作りました!!」


「うわぁぁ!! なんだこれ!!」


アレスも加わったディナーの時間。

大きな銀の皿に盛られた黄金色の“それ”を見て、彼が目を輝かせる。


「ステラ……怪我はないか?」


お父様の第一声は、やっぱり心配だった。

その視線に込められた不安が、手に取るように伝わってくる。


「お父様、私は大丈夫です。まずは召し上がってくださいませ」

「わーい!! いっただっきまぁす!!」


サクッ、と衣の音が響く。

最初に手を伸ばしたアレスが、目を見開いて歓声を上げた。


「……なにこれ、うっま!!」

「でしょでしょ!」

私は胸を張って得意げに笑う。


お父様も無言で一口。

その瞬間、ぴくりと眉が動き、ふっと笑みが零れた。


「……これは、美味しいな」

「ふふっ、良かった〜!」


それだけで、もう今日一日が報われたような気持ちだった。


食卓には、静かに、けれど確かに温かな空気が流れていた。

アレスの「おかわり!」の声と、お父様の静かな笑み。

トンカツは、あっという間に三人の胃の中へと消えていった。


◇◇◇


「ごちそうさまでした!」

「……ステラ、ありがとう。幸せな気分になれたよ」


「んふふ。お粗末さまでした〜」


食後、私はテーブルを片付ける料理長に軽く頭を下げると、お父様とアレスと一緒にソファのある広間へと移動した。

カップには温かいお茶、窓の外はゆっくりと夜が深まりはじめている。


「そうだ、皇宮に戻る前に……ステラに紹介しなくてはならないヤツがいる」


お父様がふいに真面目な口調になった。そう言って、掌に魔力を込めるとふっとひと息吹きかけた。すると、目の前に魔法陣が展開し、その中から二人の人物が姿を現した。


ひとりはお馴染みのエミリオ様。そして、もう一人は見慣れない若い女性の使用人だった。


「もう〜、ディル様ぁ……その呼び方やめてくださいよ〜。転移魔法なんて使わなくても、ちゃんと自分の足で歩いてこれますってば!」

「合図は送ったろ?」

「そういう問題じゃないんですってば〜!」


(……エミリオ様、ほんと毎回大変そう)


お父様はエミリオ様から書類の束を受け取ると、それを私の前の机にぽんと置いた。


「調査書……ですか?」

「ああ。こいつを覚えているだろ?」


お父様が指し示したのは、先ほどの使用人の女性だった。


金髪で、一見するとどこにでもいるような使用人に見える……けれど、どこか違和感がある。


(髪色は普通だけど……瞳の色……?)


「こいつは、アレスが襲われた夜に、お前が連れて帰ってきた女だ」

「ああ、そんなのいたなぁ〜」


アレスがのんきにそう言う。


けれど、私はお父様の言葉遣いに小さな違和感を覚えていた。


(さっきから“ヤツ”とか“こいつ”とか……言葉がちょっと荒いな)


とりあえず、目の前の書類に視線を落とし、パラリと捲る。


その瞬間、目に飛び込んできたのは、想像もしていなかった文字。


「ま、魔族……!?」

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