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第十三話 親と子でいられる時間




「ステラ、おいで」


お父様に手を引かれて、さらさらとした砂の上を歩く。足元では、白い貝殻が時折転がり、小さく音を立てていた。潮の匂いがほのかに香る風が、優しく頬を撫でる。


「海、綺麗ですね」


言葉にすると、より一層その広がる青が胸にしみた。どこまでも続く水平線があまりに美しくて、私はつい手を伸ばしてしまう。


「そろそろ神殿に行こうか」

「はい」


──今日、私は八歳になった。


皇都の神殿は人が多く、そこで加護を持っている魂だと気づかれてしまうのは厄介だ。だからお父様は、信頼できる知り合いが一人で管理しているという、辺鄙な海辺の神殿へ私を連れてきてくれた。


「海の前にあるなんて、素敵ですね」

「まあ、潮風でだいぶ外観はいたんでいるがな」


言われて見直してみると、確かに壁の塗装はところどころ剥がれ、屋根の一部も古びていた。けれど、どこか懐かしい雰囲気が漂っていて、私は嫌いではなかった。


中に入ると、空気は一変した。清らかで澄んだ気配に包まれて、自然と背筋が伸びる。床は磨かれ、香のような優しい香りがほんのりと漂っている。確かに──神聖な空間だった。


「お待ちしておりました、アルジェラン公爵様」

「ああ、悪いな。急に頼んでしまって」

「いいのです、公爵様には大変お世話になりましたから。生きているうちに少しでも恩返しさせてください」


現れたのは、年老いた神官姿の男性だった。穏やかな微笑みを浮かべたその人を見た瞬間、私はなぜか胸の奥が少しだけ締めつけられた。この神殿を一人で守ってきたという、その背中に重ねたのは──静かな孤独だった。


「ステラ、こちらは元大神官のカンデル・ミュラー子爵だ──」


(だ、大神官!?)


思わず声が出そうになったのを、ぐっと飲み込んだ。心臓がドクンと大きく跳ねる。


「初めまして、ミュラー子爵様。ディルの娘のステラ・アルジェランと申します」

「ステラ様、ようこそお越しくださいました」


ミュラー子爵は、目尻に深く刻まれた皺を和らげるように微笑んだ。


「いやぁ……あんなに公爵様が話をしていたあの娘さんがここまで大きくなったなんて。嬉しいです」

「やめてくれ、子爵殿。娘の前だと恥ずかしいだろう」


(お父様が私の話を?それは六歳以前の話かしら……?)


お父様は照れくさそうに鼻を啜った。そんな様子は珍しくて、私はふと目を見開く。堂々として威厳のあるあの姿ばかり見ていたから。──そうだった、この人はまだ二十四歳なのだと、今さら思い出す。


「では、加護はもう受けているとのことなので、魔力鑑定水に手をかざしてもらいましょうか」


ミュラー子爵が出したのは、小さな水槽だった。水は静かにたたえられており、底が透けて見えるほど透明だ。


「では、どうぞ」

「はい……」


胸の奥がトクトクと高鳴るのを感じながら、私はそっと手をかざした。


──すると、水の中に淡く光る数字が浮かび上がる。


「64」

「はい、レベル64で間違いありません」


(64!? 死ぬ前は41だったはずだから──レベルが、23も上がってる!!)


魔法レベルは、上がれば上がるほど次のレベルアップが難しくなる。たった一年半で、こんなにも上がるなんて……。お父様が教えてくれたおかげよ。毎日、真剣に、私たちの成長のために時間を割いてくれて──。


「はぁ、厄介なことになったなぁ」

「まあまあ、良い御縁じゃありませんか」

「……?」


お父様はしゃがみ、そっと私の肩に手を置いた。そして、まっすぐに目を見てくる。


「ステラ、お前は喜ぶかもしれないが……俺は全力で回避を試みるからな」

「あの……さきほどから……?」

「俺が魔法を教えすぎたせいで、レベル60を超えてしまった。戦闘実践を伴わないレベル上げなんて、精々3〜4レベルが限界だと思っていたのが間違いだったよ……」

「はぁ……?」


(私もその認識でしたけど、お父様の教育者としての成長が凄すぎて、今では……もはやチート級な気がする……)


「このままじゃ、マティアス殿下の婚約者に召し上げられてしま───」

「絶対嫌です!!!!」


即答だった。私の中の拒否反応が、感情のすべてを突き動かした。


またあの婚約?また──裏切られて、嵌められて、処刑されるの?

たとえ生きることに執着はなくても、同じ死に方は、二度としたくない。


「もちろん、今まであった婚約の申し込みはすべて断ってきた。皇族と公爵家の繋がりを強固に、という理由でも──うちにはもうアレスがいるからな」


そうだった。前回は、私が七歳の時に婚約が決まった。政略結婚で決まったはずなのに……お父様が守ってくれていたのね。


「ステラ、レベル60からの魔法使いは、なんというか知っているか?」

「国家高技術魔法使い。でしょうか?」

「ああ、そのとおり。60を超えた時点で、国に仕えることになる。だが、お前は女で、公爵家唯一の娘だ」

「だから……王太子妃にと?」

「普通の子供──ましてや女など、生まれ持った魔法レベルは低いのが当然だ」


女性は魔力量が少なく、魔法適性も一般的に低い。

けれど私は──お父様からの強力な魔力を受け継ぎ、訓練によってその流し方や制御も熟達した。その結果、レベルの上昇スピードまで尋常ではなくなってしまったのだ。


簡易検査では、中級魔法師レベルと診断されていたのに。あれ、やっぱりあてにならないわね……


「お父様……私、お父様とお母様みたいに、恋愛結婚がしたいのです……どうか助けてください!!」


私はお父様にぎゅっと抱きついた。ちょっと、あざとく甘えた声で。


「わかってるよ、ステラ。恋愛結婚だって、俺は……認められないが、少なくとも殿下との婚約は、絶対に成立させないからな」


すると──これまで静かに微笑みながら見守っていた子爵が、ふふっと笑って口を開いた。


「ほほほ、仲がいいことだ。良かったですね、公爵様」

「ああ、とても幸せだ」


お父様のその声には、どこか誇らしさと、少しの寂しさが滲んでいた。


「では、ステラ様。最後に──あなたを“見ても”?」


(私を見る……?今見ているのに……?)


「は、はい」


ミュラー子爵はゆっくりと私の前に歩み寄ると、手を取り、私の額に私の手の甲を当てた。


「ほぉぉ……少し大人びたお子さんかと思えば……なるほど」


手を離した子爵の目が、深く私を射抜くように見つめてくる。視線の奥には、ただの興味ではない、何かを確信しているような光があった。


「辛かったでしょう。それ以上の不幸がこの世にないくらいには……」


(……っ!?)


「ですが、ステラ様。今度のあなたの未来にも、困難は多くあります。けれど、すべて乗り越えた先には──幸せが溢れています。どうか、諦めないでください……」


「それは、どういうことだ?」


お父様がすぐに問い返すが、子爵はそっと首を横に振るだけだった。


「私が言えるのはここまでです。さあさあ、今日はお誕生日。素敵な日にしてください。……親と子でいられる時間は、案外短いものですから」


海から吹く風が、また一つ、潮の香りを運んできた。


──親と子でいられる時間。


それが、どんな意味を持つのかを知るには……まだ、私は少し幼かった。


「ステラ、これから何がしたい? 欲しいものはなんでも買ってやる。……皇都に戻るか?」


潮風に髪が揺れた。夕陽が落ちはじめた空は茜に染まり、あたりは少しずつ静かになっていく。そんな中、お父様の声だけが、やけに明るく響いた。


けれど、私は首を振った。


「お父様……お父様は、ミュラー子爵に……一緒に住む前の私の話をしていたのですか?」


ずっと胸に引っかかっていた疑問だった。

優しいミュラー子爵が私を見つめた時の、あの眼差し。


私はなんとなく、もしかしたらと想像してしまうことがあった。


だとしたら──


「お父様の口から、聞きたいのです」


言葉にすることで、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。


お父様は、一瞬だけ動きを止めた。そして静かに、私を見つめた。


その瞳に、嘘はなかった。

ただ、深い沈黙と──決意が、宿っていた。


私は、両手をぎゅっと胸の前で組んだ。そして、何かを演技するでもなく、心からの声で言った。


「お誕生日のプレゼントは……お父様とお母様のこと、それから……私が生まれてから、一緒に暮らすまでの間のお父様のお気持ち……そのお話が聞きたいです」


作り物じゃない、ただの子どもとしての願いだった。


私は──知りたかった。


きっとそれを知らないままでは、これから先に進めないと思ったから。


「…………わかった」


お父様は小さく息をつき、視線を少しだけ海に落とした。そして、再び私の目をまっすぐ見て──言った。


「けど、どうか……どうか、おれを嫌いにならないでくれ」


その言葉は、まるで祈るように。


強くて優しくて、どこまでも完璧に見えたお父様が──

こんなにも弱い声で、こんなにも不安そうに私を見つめたのは、初めてだった。


私は、そっとお父様の手を握り返した。


「絶対に、嫌いになんてなりません。私は、お父様が大好きですから」


そう告げると、お父様の瞳がほんの少し揺れた。


そして、そのまま二人で並んで海を見た。


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