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第十二話 娘至上主義



左腕が燃えるように熱い。

神経は繋がったはずなのに、まるで火の中に突っ込んでいるような錯覚に陥る。

歯を食いしばって耐える間、ふとステラの表情が浮かんだ。

泣きそうな顔で、唇を噛み締め、肩を震わせていたあの顔。


(……全部、俺のせいだ)


自分の不注意で腕を落としたというのに、ステラはまるで自分が悪いかのように責めていた。

それだけでも胸が痛むのに――ステラは、俺を守るために、人を殺した。


(……俺のために、手を汚させた)


そのことを思い出すたび、喉の奥が焼けるようだった。

それでも、どこか嬉しいと思ってしまう自分が、何よりも嫌だった。

誰かに守られることなんて望んだことなかった。

けれど、ステラが俺を選んでくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。

最低だ、と心の中で自分を罵る。


「アレス、体調は?」


コン、という軽いノックの音と共に、ディルが入ってきた。

俺の部屋に来るとき、あいつはいつもそうだ。躊躇も遠慮もなく扉を開ける。


「……問題ない」

「そうか、ならいい。痛み止め、強いのに変えてもらったから、後で神官に飲ませてもらえ。無理に我慢することはない」


言いながら、ディルはベッドの脇に座ると、ため息をついた。


「ステラがな……まだベッドから出てこないんだ。まったく、誰に似たんだか……」


その言葉をきっかけに、また始まった。


「今朝も、声だけかけたんだ。『アレスは頑張ってるぞ』ってな。でも……『アレスの顔を見るのがこわい』だとさ」


「……そう」


「まあ、仕方ない。初めて人を殺したんだ。俺も昔、似たようなことがあった……」


ディルは懐かしむように言いながら、ふと目を細めた。


「……ステラの小さい手が震えてて。『お父様、助けて』って声、聞こえたんだ。それなのに、一瞬入ることすら迷ってしまった。……俺は父親失格だ」


俺は何も言えなかった。

ディルは続ける。


「でもな、あいつ……怖くても、震えてても、周りのことを考えている。アレスのことも、ちゃんと守ろうとした。あんなに小さいのに、凄く……強いんだ」


その声には、戸惑いと、誇らしさと、少しの寂しさが混じっていた。


「たまに怖くなるんだ。ステラがいなくなってしまったら、そのあと俺はなんのために生きればいいのか」


ディルはそう言って苦笑した。


「……恋愛がしたいって……ステラが好きな奴ができたら、俺はどうすればいいんだ? 笑って送り出せる自信がない、まだ八歳だってのに、先のことが怖すぎる。可愛いからなぁ、ステラは世界一可愛いからな」


「……それ、本人に言えばいいだろ」


思わず漏れた俺の言葉に、少し声が小さくなったように感じた。


「言いたいさ、毎日でも言いたい。だが、それでも気持ち悪いとか、嫌われたらどうするんだ?本で読んだんだ。しつこすぎる父親は気持ち悪がられると……」


ディルは溜息をつきながら、両手で顔を覆った。

冗談のようで、冗談じゃない。

この男は本気で娘を愛している。──重すぎるくらいに。


(……本当に、この人は変わったんだな)


塔で初めて見たときの、冷たい瞳のままのディルは、もうどこにもいなかった。

今ここにいるのは、ステラの父親として葛藤し、後悔し、それでも愛し続けようとする――人間らしい男だった。


(ふっ、もう最恐魔法騎士なんてどこにもいねぇな)


「……で、ステラは見舞いに来る?」

「ああ、明後日……いや、明日にはもしかしたらってところだな」


ディルは立ち上がって、肩を軽くすくめた。


「また、ステラの話をするついでに、お前の様子も見に来る。じゃあな」

「本音漏れてんぞ、もう来なくていいからな!!」


振り向かずに手を軽く振った背中を最後に、扉が閉まった。

静寂の中、俺は左腕を見つめる。


……次は、ステラがそばにいてほしい。

責任を感じてくれているのだとしたら、それを理由にステラを繋ぎ止められないだろうか?


そんなことが頭に過ってしまった自分が、やっぱり少し嫌だった。


◇◇◇


次の日の昼、ステラは本当に俺の部屋にやってきた。


「アレス、ごめんね……私が魔法を使おうとしなければ、魔法を使えるとわかってしまう言葉を使わずに済んだのに……」


「ステラは何も悪くない。むしろ、アレスを守ったんだ。命があるだけで十分だ」



俺は少し遅れて、その声に眉をひそめた。

返事をしようとした俺より先に答えた、その口調、言葉の選び方も、“過保護さ”を感じる。


「……おい、なんでお前がいるんだよ!! ディル!!」


声の主の正体を確信し、思わずベッドから上半身を起こして叫んだ。


次の瞬間にはそんな穏やかな空気は吹き飛んだ。

ステラが一人で来てくれると思っていた俺の前に、当然のようにディルがついてきていたからだ。


(何しれっと“家族だから当然ですが?”みたいな顔してんだよ)


ステラの見舞いに浮かれていた心が一気に冷えた。

しかも──


「はぁ……今回のことで考え直したんだ。子供とはいえ、男女が密室にいるのは危険を生む」


真顔でそんなことを言い出すディルに、俺は目を細めた。


「……は?何言ってんだ?」

「今回だって、二人で勝手に公爵家を抜け出した。責任は重い」

「違うの、お父様! あれは私が──」


「ステラ、ガーロはアレスの従魔だ。頼まれて乗せて外に出たのはアレスの落ち度だ。お前に非はない」


(……結局こうなる)


もはやここまでくると清々しい。

ディルの“娘至上主義”は健在で、俺に非があるのは勿論だがそれ以外の贔屓さも感じる。


「それに、いつまでもこの距離感だったら学生になる頃に間違いも起きてしまうだろう」

「……間違いってなんだよ。学生って、六年後の話だぞ?」


俺は呆れながら言った。

だが、ディルの顔は真剣そのものだった。


「……子供ができるだろう」

「っ!? ゲホッ……ゴホッ!!」


ステラが茶を吹き出し、咳き込む。

その顔は真っ赤に染まっていた。


「お父様っ!! ありえません!!」

「ステラ……お前は自分の価値を本当にわかっていない。俺はアレスが我慢できるとは思えない」

「アレスはそんな人じゃありませんわ!! アレスは同意のない女性に……そんなこと、絶対にしません!!」


……と、目の前で父娘がヒートアップしているが、俺は違う部分に引っかかっていた。


「……なぁ、さっきから意図が読めないんだけど。子供って、どうやってできるわけ?」


俺のその一言で、部屋の空気が静まり返った。


(何かおかしいこと言ったか……?)


そんなことを思ったのも束の間、ディルがステラにゆっくりと視線を戻した。


「そういえば……ステラはなんで知ってるんだ?」

「えええええ!? えっと……えぇ〜〜と、あ〜領地に住んでた時に〜〜」

「領地の屋敷で? 誰かが吹き込んだのか? 六歳に?」

「え!? あっ!! えっとぉ……本!! 本だったかもしれないです!!」

「そんな卑猥な本が屋敷にあるのか?」


ステラは完全に動揺していた。

ディルの目つきも、疑念で鋭くなっていく。


「ねぇステラ。誰だ? その“本”を屋敷に置いたのは。管理の問題だ。執事か? メイドか? それともお前が勝手に……」


「あぁ〜〜〜……やっぱり知らなかったかもぉ!!!!」


(誤魔化し方が三歳児レベル……)


ディルは明らかに怒りを抑えている。

もちろん、その怒りの矛先はステラではないだろうが、娘には甘いはずの彼が、珍しく本気で詰めにかかろうとしていた。


「ではなぜさっき──」

「こうやってギューってするとできちゃいますかっ!?」


突然、ステラがディルに抱きつき、にこっと笑ってキラキラとさせた甘い瞳で顔を見上げた。

ディルは一瞬動揺し、そしてほんの少し溶けたような顔をした。


「……なんだ、脅かすな。ステラ……お前は純情だもんな。そりゃ知らないか」

「はい、大人と思われたくて……わかってるふりしちゃいました。ごめんなさい……」


「そのうち、ちゃんと教えるからな……ただし男からではなく女から教わるんだぞ、男からは絶対にダメだからな!!」


(なんでそこまで男を拒否すんだよ……)


そう思いながら俺はため息をついた。

ステラの「見舞い」は、やっぱりディル付き。

そして、なぜか父娘劇場が展開される始末。


(ほんとに……俺の見舞いに来たのか、こいつら)


でも。

こんなふうに、誰かに心配されてるって――

少しだけ、悪くないと思った。



◇◇◇




バリンッ!!


「なぜ、まだ殺せない!!!!」


ワインの入ったグラスが床に叩きつけられ、赤い液体とガラス片が派手に飛び散った。音に続いて、皇后の怒声が部屋中に響き渡る。


「ひぃぃ!!申し訳ございません!!デスラにも懸賞金を釣り上げて依頼を出しているのですが……ディル・アルジェランには誰も勝てないと……!!」

「だからって、一年半も子供の一人も殺せぬのか!!」


皇后は椅子を蹴り飛ばし、テーブルに置かれた燭台までも乱暴に薙ぎ払った。ローブの裾が大きく翻る。


「影の者たちは何をしている!? 死体ひとつ上げられずに、何が暗殺者だ!!」

「そ、それが……魔物もまったく近づけず、街に潜らせた者も姿を消し……っ!」

「無能どもが……!」


再び、別のグラスが叩き落とされ、床に鋭く砕けた。


「ディル・アルジェラン……必ず引きずり出してやる……!」


部下は顔を伏せ、身じろぎもできずにただひたすら皇后の怒気を浴び続けていた。



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