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第百十一話 そういうことです……

ステラとアレスがアイリーンを探しに出かけたあと――

侯爵邸に残ったニヴィアとフレデリックは、静まり返った屋敷を抜け出して領地の街へと出かけていた。


日が傾き、通りの石畳がオレンジ色に染まっていく。市場では一日の終わりを告げるように、一部店主たちが片付けを始めている。


「なんか、ニヴィアちゃんが俺と二人で出かけてくれるなんて思ってなかったなぁ」


フレデリックが笑いながら横目で覗き込む。

西陽に照らされた金髪が、穏やかに光を反射していた。


「な、なぜですか?」


ニヴィアは少し視線を逸らしながら問い返す。

胸の鼓動が落ち着かない。いつもと変わらない軽い調子の彼なのに、今日はなぜか距離が近く感じる。


「えぇ、だってニヴィアちゃん、俺のこと嫌いでしょ? 迷惑もかけたし、遊び人だしねぇ……」


少し冗談めかした口調。

けれど、そこにほんの少しの寂しさが混じっていることに、ニヴィアは気づいた。


「……別に、嫌いじゃないです」


その言葉は、思っていたよりも小さく震えていた。

それでも、勇気を振り絞って声にした。


「えぇ!? なんだ、そうだったの? よかった……ニヴィアちゃんには大変な思いさせちゃったからさ」


フレデリックの横顔がふと柔らかく緩む。

その笑顔は、いつもの軽薄な貴公子のそれではなく、少し影を落とした優しさを帯びていた。


ニヴィアは、そんな彼の横顔に見惚れていた。

――言おうか。このまま、好きだって。

唇を開きかけたその瞬間。


耳の奥で、かすかな魔力の震えとともに声が響いた。


『……ハセガワ アヤカ。それも、あなたの名前ですよね?』


ステラの声だ。

ふたりは同時に顔を上げ、目を合わせた。


「……見つかったんだ」


フレデリックの低い声。

その表情には驚きと安堵、そしてどこか複雑な感情が入り混じっていた。


それから二人は、街を抜け、侯爵邸へ戻る馬車に乗り込んだ。

馬車の車輪が小石を弾く音だけが、静かな車内に響く。

ふたりとも、しばらくは無言のまま、通信魔法を通してステラとアイリーンの会話を黙って聞いていた。


そして――声が途切れ、通信が完全に途絶えたとき。

ようやく、フレデリックが口を開く。


「……聖女の力。あの“リナ”って子が、男にしか効かないっていうなら……なんで俺にはかからないんだ?」


腕を組み、首を傾げながら考え込むフレデリック。

対するニヴィアは、すぐにぴんときたように目を見開いた。


「フレデリック様が、女性だと思われているからではないですか?」

「は?」

「聖女様の前で、女装をしていなかったことはありますか?」


言われて、フレデリックは少し考えるように眉を寄せた。

マーリン公爵家が没落してから今まで――春休みにかけて、ほとんど毎日女装をしていた。

鏡に映る姿も声も、あの頃は“フリエッダ”だった。


「……多分、ないな」

「やっぱり! 女性だと思われてるんですわ!」


ニヴィアは勢い込んで手を叩いた。

目を輝かせ、まるで何かの謎を解き明かした探偵のように胸を張る。


「いやでも、王都のアルジェラン公爵家に行った時は声も作ってなかったしなぁ」

「いえ、いくら声が男性でも……女装時のフレデリック様の美しさは女性顔負けです! ステラ様に並んでも全く劣りませんもの!!」


興奮のあまり、ニヴィアの声が馬車の中に響く。

その顔は真っ赤で、言葉が止まらない。


フレデリックは一瞬ぽかんとしたあと、堪えきれずに吹き出した。


「ははっ……そんなこと、思ってくれてたんだ」


優しく微笑むその顔に、ニヴィアの心臓が跳ねた。

フレデリックの笑みは、ほんの少し照れくさそうで、どこか嬉しそうでもあった。


「あ……い、今のは、その……!」


言い訳をしようとしたが、言葉が続かない。

頬が熱く、目の奥がくすぐったい。


「……嬉しい。ありがとう」


そう言って、フレデリックはそっとニヴィアの頭に手を置いた。

その掌の温もりが、髪越しに伝わってくる。


「あ、……はい……」


それだけで、胸の奥がいっぱいになってしまって、何も考えられなかった。

嬉しさと恥ずかしさが入り混じって、顔の筋肉が動かない。


まるで心臓の音だけが、世界で一番大きく響いているようだった。


◇◇◇


そして、その夜のこと。


「じゃあ、そろそろ寝る準備でもして今日は早めに寝るかなぁ。おやすみね」


フレデリックは、いつも通りの軽い調子で笑いながら手を振り、自室へと戻っていった。


ニヴィアはその背中を見送ると、無表情のまま自分の部屋の扉を閉めた。

パタン、と小さな音が響く。


ベッドに倒れ込む。

ふわりと羽毛の感触が身体を包むけれど、心だけは落ち着かない。


「……は、はぁぁぁあ!! フレデリック様、すき……!!」


堰を切ったように声が漏れた。

顔を枕に埋め、ぎゅっと抱きしめる。

胸の奥がくすぐったくて、苦しくて、でもどうしようもなく嬉しい。


「……もう、私も今日は早く寝よ……」


枕に顔をうずめたまま、そう呟く。

だが、頭の中はフレデリックの笑顔でいっぱいで、目を閉じてもまぶたの裏から離れなかった。


◇◇◇


深夜。

外の風が窓を震わせる静かな時間――その時。


『なぁステラ、俺はこの人と二人きりで話すつもりはない』


アレスの声が突然、魔力通信を通して響いた。


「……え?」


同じ頃、隣室のフレデリックも飛び起きていた。

胸の奥に走る魔力の共鳴を感じながら、二人は同じ声を聞く。


『ただ……お前が一緒にいるなら。それでいいなら、聞いてやらないこともない』


会話が続くたび、胸の奥が締めつけられるように鼓動が強くなっていく。

一人で聞くには、あまりにも切なすぎる内容だった。


ニヴィアはベッドを抜け出し、上着を羽織ってフレデリックの客室へと向かった。

扉をノックすると、すぐに中から小さな声が返る。


「……入っていいよ」


扉を開けると、フレデリックは椅子の背にもたれていた。

髪は少し乱れ、半分眠たげな顔。それでも、どこか真剣な眼差しだった。


「一緒に……聴いてもいいですか?」

「……うん」


小さく頷いた彼の隣に、ニヴィアはそっと腰を下ろした。

二人の距離はわずかに拳ひとつぶん。

外では夜風が木々を揺らし、部屋の中は暖炉の小さな火が柔らかく灯っている。


そして――再び、通信の声が響き始めた。

アイリーンとアレス、そしてステラの声。

それは、母と子、愛と赦しの物語のようだった。


「ふふっ……おふたりは本当に仲良しですね」


ニヴィアは微笑みながら呟く。

どこか胸の奥が温かくなる。

だがその横で、フレデリックは少し複雑な表情をしていた。


「……こんなの聞いて、嫌じゃないの?」


視線を逸らすように呟くその声には、少しの優しさと遠慮が混ざっていた。


「どうしてですか?」

「だってニヴィアちゃん、アレスくんのこと好きでしょ?」


その瞬間、胸の奥に鋭い痛みが走った。

小さな棘が刺さったように、心臓の奥がずきりと疼く。


「……好きな人が他の人を想ってるのは、辛いでしょ? 俺にも、少しわかるから……」


彼の声が妙に静かで、優しかった。

まるで、自分の中にも似た痛みを抱えているように。


(……確かにそうだわ。好きな人が他の人を想っているのは辛い。

 でも――好きな人に、他の人を好きだと勘違いされるのは、もっと嫌)


気づいたときには、身体が勝手に動いていた。

頬に伸ばした手の温もりが伝わるより先に、唇が彼の頬に触れていた。


「……え?」


驚いたように目を見開くフレデリック。

ニヴィアは自分のしたことに気づき、耳まで真っ赤に染まる。


「あ、あの……そういうことです……」


必死に言葉を探しても、頭が真っ白だ。


「いや、ごめん。全然わからないわ……つまり寂しいってこと?」

「ち、ちがいます!!」

「え!? じゃあなに、まさか俺のこと好きとか? って、なわけ───ん?」


言葉の途中で、ニヴィアが真っ赤な顔でうつむく。

その沈黙が、すべてを物語っていた。


「えっと……本当に?」

「……そうです……フレデリック様のことが、ずっと好きでした」


その告白に、彼は息を呑んだ。

頬がわずかに紅潮し、動揺を隠せない。


「ちょ、ちょっと待って……! 俺もう公爵家の人間じゃないよ?」

「……はい」

「普通に女の子と遊んできたし!!」

「知ってます……」

「男のくせに女装が趣味だし!!」

「似合ってます」


どんな言葉を投げても、まっすぐに返ってくる。

その純粋さに、彼はついに観念したように頭を抱えた。


「……まって、こんな純粋に好きだって言われたの、初めてだ……俺、単純すぎるかも」


顔を覆ったまま立ち上がり、勢いよく部屋の扉を開ける。


「ちょっと頭の整理させて!! というか、こんな時間に男の部屋に来ちゃダメ!! 喰われちゃうからね!!」


慌ててニヴィアを廊下に押し出すフレデリック。

扉が閉まったあとも、ニヴィアはその場で呆然としていた。


「……喰われる……?」


真っ赤なまま小さく呟くと、ふわりと笑みが零れた。

胸の高鳴りが止まらない。


部屋に戻ってからも、何度ベッドに潜っても、眠気は一向に訪れなかった。

窓の外が白み始める頃、ようやくまぶたが重くなっていった。


一方その頃――

フレデリックもまた、頭を抱えたまま朝を迎えていた。


「……マジでどうしよう……」


夜通し考えても答えは出ないまま。

そして翌朝、寝不足のまま玄関へ向かう。



◇◇◇


そして翌朝─── 。


「ようこそ、アイリーン様。ノヴァトニー侯爵家へ――」


出迎えたその声は、どこか裏返りそうなくらい疲れていた。

だが、その横顔はどこか幸せそうでもあった。

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