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第十一話 トラウマと仲直り



「アルジェラン公爵、わかっているのですか!? アレス殿下は養子になったとはいえ、皇族なのです! 腕を落とされるなど保護者としての責任はどう取るおつもりか!!」


顔を紅潮させて怒鳴る白髪の老貴族の言葉に、俺は何も返さなかった。会議室の中は冷え切っていたが、彼らの声だけは耳障りに響いていた。


――あれだけ塔に幽閉しておいて、今さら何が“殿下”だ。

俺を責める目は明らかに機を見た獣どものものだった。


結局、連中はアレスを守りたいのではない。

この失態を口実に、アルジェラン家――そして俺を失脚させたいだけだ。


そのくだらない会議もようやく終わり、重い扉をくぐって外へ出た。


そこで、奴と出会った。


「……なんのつもりだ、ハイルド」


廊下の一角、逆光に照らされた男がふと振り返った。

夕焼け色の髪が光を撥ねるように揺れ、赤金の瞳がこちらを見透かすように細められる。


「あれ? そんな怖い顔しちゃって、どうしたのディル。褒めに来てくれたんじゃないの?」

「貴様が騒ぎ立てなければ、ここまで大事にはならなかった」

「ははっ、何言ってんの。俺なりに“配慮”してやったんだぜ?」


ハイルドがゆっくり歩いて近づいてくる。

その笑顔は、何もかもわかった上で面白がっている悪意そのものだった。


「ステラちゃんが八歳にも満たないのに魔法を使えるってことも、アレス殿下が誓約魔法の代償で左腕を落としたってことも、そして……」


その声が低くなる。


「可愛い可愛いステラちゃんが、初めて“人を殺した”ことも、黙っててやってんだよ?」


俺の喉が詰まる。


「……!」


あの夜、ステラの手が血に染まったあの瞬間。

彼女が泣きながら俺に抱きついてきたあの時の震えを思い出し、拳に力が入った。


「……あれは俺の責任だ。俺が見張りもつけず、彼女を自由にさせすぎた」

「うんうん。ほんとそうだね〜。でもさ」


ハイルドはふっと顔を近づけ、俺の耳元に囁いた。


「それにしても……ステラちゃん? そっくりだね。セレーナに」

「……っ!」


俺はすぐに身を引いた。

その名を軽々しく口にするなと、心の中で叫んでいた。


だがハイルドはそんな様子に構わず、さらに一歩近づく。


「ねぇ、ディル。セレーナの子供の頃を見てるみたいでさ、正直ゾクゾクしちゃった。……奪い去りたくなっちゃうよ?」

「ステラには近づくな……!!」


俺の声が低く、震える。


「やだなぁ。なんでそんなに怒るの? 俺にだって“会う権利”くらいあると思うんだけどな〜」


にやりと笑って、ハイルドは最後の一撃を放つ。


「だって、俺にとっては、たった一人の……可愛い姪っ子ちゃん、なんだもん」


沈黙。

目の前の男が何を言ったのか、最初は理解したくなかった。


「……なに?」

「ん?聞こえなかった?だから言ったんだよ。“姪っ子”だって」

「貴様……」

「ねぇ、ディル。まさか、俺が知らなかったとでも思ってた?セレーナが君との間に子供を残してたことも、君がずっと隠してたことも――」


俺の中の何かが、切れた。


「二度と……ステラの名を、その口で呼ぶな。さもなくば……」

「殺す? いいねぇ。アルジェラン公爵様が、死んだ妻の義弟を“個人的な理由”で殺す?それこそ皇宮中のスキャンダルだよ?」

「……」

「でも、まぁ。今はやめといてやるよ。ほら、アレス殿下も怪我で大変だし、ステラちゃんも部屋から出てこないんでしょ?」


俺は沈黙したまま、拳を握りしめる。


「でも、いつかきっと“おじさん”として遊びに行くからさ〜。その時は、お手柔らかにね?義兄さん?」


その言葉を残して、ハイルドはひらひらと手を振りながら廊下の先へと消えていった。


胸の中に残ったのは、焦げついたような怒りと――

消せない後悔と、不安だった。


(ステラだけは、絶対に……絶対に、守ってみせる)


それがたとえ、この命をすべて使い果たしてでも。



◇◇◇




アレスは、あの夜すぐに公爵家へ送られたのが幸いして、神官が駆けつけるのも早かった。


腕が落ちてからまだ時間が経っていなかったこともあり、奇跡的に接合はできたらしい。


ただし――


「聖女でない限り、完全な治癒は……」


神官の言葉をお父様から聞かされたとき、胸の奥に重い石が落ちたようだった。


神経と皮膚を繋ぎ合わせ、あとはアレス自身の回復力に委ねるしかない。

痛みはしばらく続き、もし癒着がうまくいかなければ、再び切断して治療をやり直す可能性もあるのだと。


アレスは今、自室で痛みに耐えている。


(私が、あのときアレスの言うことを聞いていれば……アレスはこんな目に遭わなかったかもしれない)


(私が、魔法を使おうとしなければ──)


そんな罪悪感ばかりが心を占めて、私は布団をかぶって何日も動けずにいた。


──でも、本当に怖いのは、別のことだった。


あの瞬間。私の放った攻撃魔法が、男の身体を貫き、吹き飛ばした感触。焼け焦げた肉の匂いと、血の色が、目の裏からこびりついて離れない。


(私が──人を殺したんだ)


目を閉じても、何度も繰り返すのは、男が倒れたあとの静寂。動かない身体。返ってこない声。


(仕方なかった……そう言い聞かせても)


心のどこかで、叫び声がこだましている。


──怖かった。


自分が、殺せてしまったことが。誰かの命を、奪えてしまったことが。


「お父様、助けて……」


誰にも言えず、誰にも打ち明けられないまま、私は暗い布団の中で、小さく震えるだけだった。


そのとき


「──いつでも助ける。だからちゃんと、聞こえる声で呼べ」


低くて落ち着いた、でもどこか優しさを孕んだ声が布団越しに届いた。


息を呑んだ。

まさか、本当に来てくれたなんて──


「いつまで部屋に籠るつもりだ? アレスは頑張ってるぞ。……お前のことを気にしてる。見舞いに行ってやれ、ステラ。あいつはきっと……待ってるぞ」

「……アレスの顔を見るのが、こわいの」


私は、ようやくかすれた声を絞り出した。自分でも情けないと思う。けれど、あの瞬間の記憶がこびりついて離れない。アレスの腕が落ちて、私の魔法で男が死んだ。その現場にいた彼に、どんな顔をして会えばいいのか分からなかった。


「何を言ってるんだ。あいつは怒ってなんかいない。それに……誓約魔法をかけさせたのは俺だ。守ると約束したのに守れなかった俺の責任だ」


お父様の声には、悔いるような響きがあった。


「本来なら、俺が守らなければならなかったのに、できなかった。……守ったのは、お前だよ。ステラ」


言葉が、心に深く刺さった。


自分のしたことは、許されないと思っていた。間違いだったのか正しかったのかさえ、まだ分からない。


それでもお父様は、そんな私の手を取って肯定してくれた。


「……怒ってください」


私は、少し震えながらも言った。


「私は……関係ないアレスを巻き込んだんです。お父様との喧嘩の……憂さ晴らしのつもりで、外に出て……だから、もっとちゃんと怒ってください……」

「……そうだな」


お父様は、しばし黙ったあと静かに答えた。


「それは怒らなきゃダメだな。だがな──叱りたくても、顔が見えなけりゃ叱る気も起きない。……出てきなさい、ステラ」


その言葉に、私はそっと布団をめくった。光が眩しくて、目を細めながらゆっくりと上体を起こす。重たい体を動かし、ベッドの端に正座をして、父の前に頭を下げた。


すると──


「……!」


次の瞬間、私は強く抱きしめられていた。


とても強く、強く……まるで壊れてしまいそうな私を、二度と離さないように。


「……悪かった……ステラ……本当に……俺のせいで、小さなお前の手を汚させてしまった。怖かっただろう。苦しかっただろう」


その声が、震えていた。


父の腕の中で、ようやく私は、堰を切ったように泣き出した。


あの日からずっと堪えていた想いが、ぽろぽろと零れて止まらなかった。


「初めて人を殺してしまったとき……俺にも、お前と同じようなことがあった。初めてのときは、眠れなくなる。食事も喉を通らなくなる。生涯忘れられない人もいる。……だが、時間は少しずつ、痛みを薄くしてくれる。だから、今は泣いていい。泣くだけ泣いたら、前を向け。ステラ、お前は強い子だ」


「……っお父様……私……もう、誰も傷つけたくない……アレスも、お父様も……誰も……」


「それでいい。人を守りたいと思えるお前は、俺の誇りだ」


お父様は私の頭を撫でながら、少し照れくさそうに言った。


「忘れるなステラ。─俺は、ちゃんとステラだけを真っ直ぐ見ている。……娘として、かけがえのない存在として」


「だから、もう危ないことはしないでくれ。……お前の命が、俺のすべてだ」


「……うん……はい、ごめんなさい……」


私はようやく、父の腕の中で小さく頷いた。


この場所に戻ってこれたことが、少しだけ心を軽くした。


お父様の温もりが、私の心の中の冷たい闇を、少しずつ溶かしていくのを感じた。


◇◇◇




涙が止まり、ようやく心が落ち着いてくると、お父様と私は、少しずつ──ぎこちなくではあるけれど──あの夜の喧嘩のことについて、話し合うことができた。


「……俺はな、セレーナが子供を産まなければ……とか、そんな酷いことを言いたかったんじゃなかったんだ。ただ、伝え方を間違えた。本当に、悪かった」


お父様は、普段は決して見せないような低く、力の抜けた声で呟いた。まるで、自分の弱さを認めることに躊躇いながらも、逃げずに向き合おうとしているようだった。


「ただな……三人で生きていけたらって、ただ、そんな……小さな夢を見ていただけなんだよ。もう叶わないってわかってても……どこかで、セレーナとステラと、三人で笑って暮らす未来を願ってしまってた」


私はゆっくりと首を振った。


「わかってます。お父様があの時、そんな意図で言ってないことくらい。ちゃんと、わかってたんです」


「でも、寂しかったんです……。そう思われてるんじゃないかって、頭の隅でずっとよぎってしまって。いつか、いらなかったって言われるんじゃないかって、怖くて……」


私の言葉に、お父様は目を細め、深くうなずいた。


「ステラの言ってることは、よくわかる。……お前はあの日、俺に『自分を通してセレーナを見るな』って言ったな。ちゃんとステラを見ろとって」


「……本当に、そうだったのかもしれない。セレーナに似すぎてるんだ、お前は。……顔も、髪の色も、立ち振る舞いも、強気な癖に案外泣き虫なところも……それが怖かったんだ」

「こわい?」


「……ああ。ステラを見ていると、過去が繰り返されるような気がしてならない。……セレーナのときのように、目の前からふっといなくなってしまうんじゃないかって、そう思ってしまう」


「俺の家族はみんな、いなくなった。残らなかった。守りたかった人ほど、俺の手をすり抜けていった」


どこまでも静かに、そして深い悲しみを湛えながら語るお父様の声に、私は胸を締め付けられた。


「……お父様は、いつも平然としてるように見えたけど……本当は、誰よりも寂しかったんですね」

「……そうかもしれないな」


お父様は目を伏せて、私の頭をぽんと軽く撫でた。


「私は、自ら死んだりなんかしません。たぶん、今が幸せすぎるから、執着がないように見えるんだと思います。……でも」


私は、少し顔を上げて真っ直ぐにお父様を見つめた。


「だから……恋をして、恋人を作って……この人を置いては死ねないって、そう思えるような人を、ちゃんと見つけたいんです。そうすれば、私も……もっと生きたいって思えるから。だから……いいですよね?」

「ダメだ」

「えええっ!? どうしてですか!?」


私は思わず叫んでしまった。いい流れだったから、あまりにも即答で却下されるとは思っていなかった。


お父様は少しむくれたような顔で、でも目は真剣に私を見つめ返してきた。


「だったら、俺を置いていけないと思って生きてくれ。それでいいだろう?」

「……それは……娘の役目じゃありません。ずるいです」

「いいや、ずるくても構わない。お前にだけは、絶対にいなくなってほしくない。……それだけは、どうしても譲れない」


その目は、冗談ではなかった。


「……じゃあ、お父様も……もう少し自分の幸せを考えてください。再婚とか、考えてもいいんじゃないですか?」


「絶対しない」


一秒も迷わずに言い切るその頑固さに、私は思わず口を開けて呆れてしまった。


「……速すぎる。考えることくらいしてくださいよ」


「考えるまでもない。セレーナの代わりなんていない。……それに、俺は今、ちゃんと幸せなんだ。ステラ、お前がいるから」


その言葉に、私は不意に目頭が熱くなった。


たったひとつの言葉で、心の底から救われることがある。きっと、今がそうだった。


「……じゃあ、私も、もうちょっと……お父様を一人にしないように頑張ります。だから……恋のこと、あんまり邪魔しないでくださいね」


「……それは考えておく」


「……もう、ほんとに!」


思わず笑ってしまった。お父様も、微かに笑っていた。


少しずつ、でも確かに──私たちは前を向こうとしていた。


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