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第百七話 アレスの母③

「……聖女の子は精神干渉が効かない。だから、俺はあの女の操り人形に成り下がってないってことか」


アレスのその言葉に、アイリーンさんは何も返さなかった。

ただ小さく伏し目がちになり、まるで「自分が母だ」と名乗ってはいけないと悟っているようだった。


「少し関係ないことまで話してしまったけれど、私が知っているのは大体こんな感じよ……あ、それと──」


彼女は、ふと思い出したように顔を上げた。


「その本を残してくれた方の記録に、魔力が強い者は想いや思考も非常に強い傾向がある、と書かれていたわ。それが本当なら……公爵は強い想いによって、一度だけ精神干渉を跳ね除けたのかもしれない」


強い想い。その言葉が胸に刺さる。

私の脳裏に、あの時の出来事が蘇った。


魔道具で魔力を奪われ、寒さと息苦しさで動けなかった夜。私はアレスの胸の中で眠っていた。

もし、精神干渉を受けていないお父様なら、すぐに魔道具を外そうとしただろう。

それが叶わなければ着けた者のもとへ向かい、怒りのままに討ち果たしていたかもしれない。あるいは、私を抱き締めて眠るアレスに怒りをぶつけていたかもしれない。


(たしかに、精神干渉を受けていないお父様なら狂ったように怒れる条件が満載ね)


けれど――きっとあの時

精神干渉が解けたお父様は、必死に魔道具を取ろうとし……叶わず、殿下の元へ向かったんだと思う。

そして、リナに会ってしまい、再び精神干渉をかけ直されたのだろう。


確証はない。ただの推測。けれど、そう考えればすべて辻褄が合った。


「覚えがあるのね……」

アイリーンさんは私の顔をじっと見て、優しく微笑んだ。「でも、そろそろ食事を食べて? 外はもう真っ暗よ。今夜は泊まっていきなさい」


その言葉に、アレスは即座に声を荒げた。

「泊まっていかない。暗くても、転移魔法で帰れる」

「……驚いたわ。転移魔法を使えるなんて、高位の魔法使いでも難しいと聞くのに。そう……なら泊まる必要はないわね」


少しだけ寂しそうに目を伏せるアイリーンさん。その表情を見て、私は思わず声を張り上げていた。


「泊まっていきます!」


「は!? ステラ……お前なぁ」

アレスの声に呆れと苛立ちが混じる。私は負けじと顔を上げて言った。


「私はまだアイリーンさんと話したいことがあるの。嫌なら、アレスは先に帰っていいわよ」


わざとそう言った。アレスが私を置いて帰れないと分かっていたから。卑怯かもしれない。けれど、このままでは二人はもう二度と会えないかもしれない。


――それだけは絶対に嫌だった。


アレスは黙って私を見つめ、諦めたように眉をひそめた。


アレスは大きくため息をつく。

「はぁ……わかった。俺もここに泊まる」


その言葉を聞いた途端、アイリーンさんの顔がふっと明るくなった。

アレスによく似た美しい顔が、とびきりの輝きを放って見えた。


私は心の奥で小さく安堵の息を漏らした。

――たとえわずかでも、今夜の時間が二人の後悔を軽くできるなら。


「なら、すぐに夕飯を温め直すわね」

そう言って立ち上がろうとした彼女に、アレスはふわりと料理に手をかざした。


「魔法でやるから必要ない」


冷たい響きを持つ言葉だったが、アイリーンさんは優しく笑った。

「そうね、あなた達は魔法が使えるものね」


「食べてもいいの?」

「何も入ってないって魔法で確認した。でも、これ……」


アレスが不思議そうに箸を握りしめる。


「あ、ああ……ごめんね。それは私の故郷のものなの。今、フォークを出すわね」


彼女がキッチンへ立ったそのとき、私の足元で小さな鳴き声がした。


「グワッグワッ」

「あら、さっきのアヒルさん。こんにちは」

「アヒル? 変な名前つけんなよ。鳥型の弱っちい聖獣だろ」

「聖獣? 珍しい……あまり見かけないのに」


アレスの言葉に、私はようやく気づいた。

――この世界にはアヒルが存在しないのだと。


そもそも、こちらの世界では「動物」と呼べる種類が少なく、その代わりに魔獣や聖獣が存在している。


(日本にいる種類かどうかはわからないけれど、鳥もいれば、ネズミや虎だっている。だからなにが存在してなにが存在しないのか混乱するのよね。動物に似たような魔獣も沢山いるし……)


「聖女だと、こういうのに懐かれるんじゃねぇの? 魔力が多いやつに高位の魔物が懐くのと同じだろ」

「そういうことなのね」


そんな会話をしているうちに、アイリーンさんがフォークと、自分の分のご飯まで持って戻ってきた。


「私も、一緒に食べてもいいかしら?」


その問いかけには、どこか気まずさを押し隠した勇気がにじんでいた。


「ええ、ぜひご一緒したいです」

「……狭いな」

「ごめんね、普段は私ひとりだから」


申し訳なさそうにしながらも、やはり息子と食卓を囲む時間が嬉しいのだろう。アイリーンさんは終始、微笑みを浮かべていた。


◇◇◇


そして、夜のこと。

アイリーンさんの家の小さな寝室で、私は眠っていた。


アレスは「知らない場所は落ち着かない」と言い、私が眠る小さなベッドの脇に腰を下ろしていた。


目を擦りながら上体を起こす。


「もう起きたのか? まだ二時だぞ」

「う~ん、ちょっとお水もらってくる」

「俺が取ってくる」

「いいよ。私、お手洗いにも行きたいし……だから着いてこないでね」

「……なんかあったら呼べよ」

「うん」


家の中を裸足で歩くと、床はひんやりとしていて足先が少し冷たかった。

キッチンの方へ向かうと、そこにはアイリーンさんがいた。窓辺に立ち、夜空を見上げている。


真っ暗な田舎の森の近くでは、空いっぱいに星が瞬いていた。

月明かりさえも眩しく感じるほど、澄みきった夜。


こちらに気づいたアイリーンさんが、振り向いた。


「ああ、ステラちゃん。眠れないの?」

「いえ……お水を頂こうと思って」

「少し待っててね」


そう言って、彼女はすぐにコップに水を注ぎ、差し出してくれた。


「ありがとうございます」


夜の静けさの中で、自分が水を飲む音だけがやけに大きく響いている気がした。


コップを口から離すと、アイリーンさんはじっと私を見据えた。

一瞬ためらったように視線を揺らし、それから小さく、けれど確かに口を開く。


「ねぇ、ステラちゃん……もしかして、あなたも、この世界の人じゃないんじゃない?」

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