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第百二話 夜の女子会

外はすっかり暗く、ノヴァトニー侯爵邸は静けさに包まれていた。

広い屋敷のあちこちに灯る魔道具の明かりが、夜気を柔らかく照らしている。


皆それぞれ与えられた部屋に戻り、もう休んでいる頃だろう。

けれど私は──初めて友人の家に泊まる浮き立つ気持ちのせいか、眠りにつけずにいた。


(……少しだけ、廊下を歩こうかな)


心のざわつきを鎮めるように、ベッドをそっと降りる。

扉を開けると、冷えた夜気が肩を撫でた。思わず背筋が震え、ずり落ちかけていたストールをしっかりと肩に掛け直す。


廊下はしんと静まり返っている。

遠くで風が窓を叩く音がして、それがやけに大きく響いた。


(……ニヴィア様に話さなきゃいけないことがあるのに)


あの人は優しい。だからこそ、きっと傷つけてしまう。

でも、黙っているほうがもっと残酷だ。


そう思い立ち、私は足をニヴィア様の部屋へと向けた。

もし起きているなら、今夜こそすべてを話そう。


──けれど、タイミングは最悪だった。


廊下の先、昼間に案内された彼女の部屋の扉が少し開いていた。

そこからほのかな灯りが漏れている。まだ起きているのだと分かった。


だが、その瞬間。

扉の内側に伸びる影──ドアノブを握る手が目に入り、私は足を止めた。


立ち去ろうとしていたらしい。けれど要件を思い出したのか、手をかけたまま部屋の中で話している。


「──やめておきなさい。いくらニヴィアが好きでも、あっちはステラ嬢をずっと見ていたぞ」

「放っておいてください」


耳に飛び込んできたのは、ノベルト様の低い声と、ニヴィア様のきっぱりとした声。

私は一瞬で悟った。


(……アレスの話だ)


胸が締め付けられる。

思わず耳を塞ぎたくなったが、言葉は容赦なく続いた。


「お前が恋をする年齢になったのは喜ばしい。だが、恋愛結婚なんて貴族には奇跡だ。確かに彼は婚約者はいないが──」


それ以上は聞いてはいけない。

盗み聞きをしてはいけない。そう分かっているのに、心臓が強く脈打ち、足が床に貼り付いたように動かない。


──だが、勇気を振り絞ってその場を離れた。


(ニヴィア様……ごめんなさい)


先延ばしにしてしまった。私の弱さのせいで。


「彼と私は未来を誓った人がいる」なんて話を、聞きたいはずがない。

私だったら耐えられない。胸が張り裂ける。


だからこそ──もう逃げられない。

今すぐにでも伝えなければならない。


そう心に決め、私はノベルト様と鉢合わせしないように、廊下の角の影に身を潜めた。

扉の向こうからまだ人の気配がする。

冷たい石床に立ち尽くしながら、心臓の音がやけに大きく響いていた。


すると、ノベルト様が扉を閉めて廊下の奥へと姿を消していった。

その背を見送ったあと、私はようやく息を飲み込み、胸の奥で覚悟を固める。


(……今しかない)


心臓が跳ねるのを抑えながら、そっと扉を叩いた。


「え、ステラ様!? どうされたのですか?」


すぐに扉が開き、驚きの声が響く。

そして、柔らかな光とともにニヴィア様が顔を出した。

夜更けに訪れた私を訝しむよりも、まず案じるような眼差しを向けてくれる。


「こんな夜にごめんなさい……」

「いえ、どうぞ。入ってください」


促されて部屋に入ると、温かな灯りに包まれた室内は落ち着いた雰囲気で、ほのかに花の香りが漂っていた。

彼女はすぐに使用人を呼び、お茶を用意してくれる。

差し出された湯気立つ紅茶に口をつけると、張り詰めていた喉と胸がじんわりと解けていくのを感じた。


「なんだか嬉しいですわ。うちは私以外みんな男ですから、こうして夜に軽装でお茶をいただけるなんて……まるで姉妹の気分です」


にこやかにそう言って笑う彼女。その笑顔はひたすらに優しい。

だからこそ、胸が締め付けられる。


(……この人を、これから傷つけてしまう)


「……あの、ニヴィア様にお話ししたいことがあって」


声を出した瞬間、自分の体が震えていることに気づいた。

せっかく出来た大切な友人を裏切るようなことを告げようとしている。

嫌われるかもしれない──その恐怖で、胸が詰まる。


けれど、彼女はすぐに気づいてくれた。


「ステラ様。ゆっくりで構いませんわ。話せることから、少しずつ聞かせてください」


その声はどこまでも温かく、まるで心を包む毛布のようだった。


私は頷き、彼女の言葉に従うように口を開いた。

ノヴァトニー侯爵領まで探しに来たアレスの母が元側妃であり、聖女であること。

ヴァルツォリオとの契約のこと。

魔眼の秘密。

アレスやフレッドが知っているすべてを、私は一つひとつ話した。


けれど、彼女は驚きに目を見張ることもなく、ただ静かに「そうだったのですね」と頷くだけだった。


「それから……」


震える声で、胸に手を当てる。深呼吸を一つして、覚悟を込める。


「……私とアレスは、恋愛関係にあります」

「えっ?」


わずかな間を置いて、驚き混じりの声が返ってきた。

私は俯き、深く頭を下げる。


「ニヴィア様がアレスのことを慕っているのを知っていながら、ずっと隠していて……ごめんなさい」


すると、向かいに座っていた彼女が立ち上がり、思わず声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってください! どういうことですか?」

「その……今は恋人というわけではないのですが……お父様に関係が知られてしまった数ヶ月前までは、恋人同士で……」

「そのことを隠しておられたのですか?」

「えっ?」


予想外の返答に、思わず間抜けな声が漏れそうになった。


「ステラ様とアレス様が恋愛関係にあることは分かっていましたよ。対決祭の時から……ステラ様は今とは違っていましたが、アレス様は明らかにステラ様を慕っていました」


「それに、ステラ様たちが二学年に上がられてからは……お互い想い合っているのは、一目瞭然でしたわ」


──ばれてた?


じゃあ私は……ずっとニヴィア様を苦しめていた?

何も言わず、態度だけで恋愛関係を見せつけていたということ……?


そんな不安が胸を締めつける。


だが、ニヴィア様の声音は柔らかく、それをすぐに打ち消してくれるものだった。


「それから、私はアレス様の顔はとても好きです! でもそれは一種の憧れであって、異性としてお慕いしている訳ではありません!!」

「え……っと? ん?」


頭が真っ白になった。

だってニヴィア様は、アレスに贈り物をしたり、顔を赤らめたり……。


え? あれって全部、推しに貢ぐオタクみたいな……そういう感覚?


「けど、ニヴィア様……初めてアレスと会った時、婚約者がいるか確認されましたよね?」

「そ、それは……! 婚約者がいたら、憧れを態度に出して接するのは失礼だと思ったのです!!」


耳まで真っ赤にしながら、慌てて両手をぶんぶん振るニヴィア様。

そして、しばし唇を噛んでから小さな声でぽつり。


「わ、私が本当に好きなのは……フレデリック様ですから……」


(…………ん?)


思わず時が止まった。

彼女のフレッド様への態度や言葉──どう考えても「嫌っている」ようにしか見えなかったのに。


「驚きますよね……私、自分でもどうしてあんな態度を取ってしまうのか……」


ニヴィア様は頬を染めたまま俯いた。


「なにか、理由が?」


「大した理由ではありません。ただ……子供の頃からたまに交流があって。彼、あんなふざけた態度ばかりなんですけど、本当は人一倍優しいんです」


恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに語る声。

その横顔は恋する乙女そのものだった。


「周りが責めるような失敗をしても、すぐに明るい空気に変えてくれるし、意外と正義感も強くて……でも……」


そこで声が少し沈む。


「女性と頻繁に……情事を交わしているみたいで……。隠す気もなく堂々と話していますし……。聞くたびに胸が痛くて……」


胸元をぎゅっと押さえる仕草に、私はすぐさま身を乗り出した。


確かに、フレッド様はそういう事に詳しいようだった。

以前、魔法学校でも情事のことを饒舌に語っていたのを覚えている。


男性は、女性のように婚前に純潔を保つことを強く求められるわけではない。

それにしたって、あの話しぶりからして一度や二度の経験ではなさそうだった。


好きな人が、他の女性と体を重ねているなんて──それを知ったら、胸が痛むのは当然だわ。


けれど。

フレッド様がたまに見せる無邪気な笑顔や、ふとした優しさは、ただ女性が好きだからそういう関係を繰り返している……という単純なものには見えなかった。

むしろ、本当に大切にしたい相手にどう向き合えばいいのかを知らず、軽口や経験で誤魔化しているだけなのかもしれない。


「確かにそれは胸が痛いでしょう……でも、それはきっと本当の愛を知らないからです! 知れば、複数の女性なんてありえません!」

「そ、そうでしょうか……」

「そうです! だから、ニヴィア様。今からでも遅くありません! フレッド様との距離を縮めましょう!」


勢いよく彼女の手をぎゅっと取って断言すると、ニヴィア様の白い頬がさらに真っ赤に染まった。耳までほんのり色づき、視線を泳がせながら慌てて手を引こうとする。


「む、むりです!! 私はもう彼の婚約者ではありませんし……そのうち別の婚約が決まるでしょう……」

「でも、まだ決まったわけではないのでしょう? それなら問題ありません!」

「で、でも……父が……」

「ニヴィア様!! あなたはノヴァトニー侯爵家の一人娘です!!」

「は、はいっ……?」


思わず背筋を伸ばして答える彼女に、私はいたずらっぽく微笑んだ。


「ふふ。父親というのは、本当は娘に甘いものですわ。一生懸命お願いすれば、きっと許してくださいます。それに、フレッド様はコリーヴ王国との繋がりもありますし、公爵家には劣りますが、条件だって悪くない! あとはニヴィア様がアピールして、彼を恋に落とすだけです!」


自信満々に言い切ると、ニヴィア様はきゅっと唇を噛んでしばらく固まった後……小さな声で。


「……すこしだけ……すこしだけ、頑張ってみます」


その表情は恥ずかしさと決意が入り混じったようで、とても愛らしかった。


「はい……! 全力で応援いたします!」


私が力強く答えると、自然と二人で身を寄せ合い、額をこつんと合わせる。小さな笑い声が夜の静けさに弾んだ。


「じゃあ、次はステラ様の番です! アレス様と何があったか、ぜーんぶ話してください!!」

「ええっ!? そ、それは……恥ずかしいです……」


枕を抱きしめて顔を真っ赤に隠す私に、ニヴィア様はにやりと悪戯っぽく笑い、身を乗り出してくる。まるで幼い頃からの姉妹のように、布団の上でお互いに足を崩し、声を潜めながらも興奮気味に話し続けた。


カップの中の紅茶はいつの間にか冷めてしまったけれど、私たちの会話は止まらない。秘密、憧れ、恋心──互いの胸に閉じ込めていたものを打ち明け合ううちに、どんどん距離が縮まっていった。


気づけば、窓の外は淡く白み始めている。鳥のさえずりが一声響いて、やっと私たちは夜が明けたことに気づいた。


「ふふ……もう朝ですね」

「ほんとだ……でも楽しかったですわ」


顔を見合わせて小さく笑い合う。

こうして、秘密と恋の話に花を咲かせた私たちの女子会は、東の空が明るむまで続いたのだった。

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