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第一話 やり直し




大勢の人々が、目の前で私の死を願い、歓声を上げていた。

まるで祭りにでも来たかのように。

瞳を輝かせ、頬を紅潮させて、誰もがこの瞬間を楽しみにしている。


「早く殺せー!!」

「聖女様に報いろ!!」

「公開処刑なんて何年振り? 滅多に見られないから楽しみだ!」


怒号と笑い声が入り混じる中、私の手足には冷たい鉄の枷がはめられ、鈍い音を立てながら兵士たちに引き立てられていく。

足元はふらついていた。寒さで震えているのか、恐怖で震えているのか、もうわからない。処刑台の階段を一歩一歩登るたびに、地面が遠ざかる。


「無様な姿だ」


背後から聞こえた低い声。

振り返ると、皇太子殿下が私を見下ろしていた。凍てつくような眼差しだった。


「殿下……わたし、本当に……やってな──」

「言い訳をするな。証拠も出ているんだ。ただリナの慈悲で、処刑人を特別に用意してやった」


その言葉と共に、殿下の背後から現れたのは、背の高い私とよく似た蒼色の瞳の男だった。

その姿を見た瞬間、心臓が強く跳ね上がる。


「お父様……!」


懐かしいはずのその顔が、恐ろしいほど他人に見えた。

瞳に宿るのは、怒りでも悲しみでもなく——冷酷な拒絶。


「……」

「私は何も、身に覚えがないのです!! 信じてください!!」


縋るように訴えた。喉が裂けそうなほど叫んだ。

けれど、お父様は私に一瞥をくれるだけだった。まるで汚物でも見るような、軽蔑に満ちた目で。


「父と呼ぶな。見苦しい」


その言葉は、刃物よりも鋭く胸に突き刺さる。

震える膝が耐えきれず、私はその場に膝をついた。


「皆の者!! 我々は聖女リナを害するものは、何があっても赦さない!!リナは今だ毒により臥せっている!!これより、聖女リナを日常的に虐げ、毒を盛り殺害しようとした罪で、ここにいるステラ・アルジェランの公開処刑を開始する!!」


「おぉぉぉぉぉ!!!!」


殿下の声と共に歓声が空を震わせた。

あまりにも無慈悲で、無理解な熱狂。

私がこの人たちに、何をしたというのだろう。


……違う。私は、ただ……

ただ、この国で普通に生きてきただけなのに。

誰かを傷つけた覚えなんてない。

聖女リナだって、ただ会えば会話をする程度の仲だった。


死にたくない。

私は何もやっていない。

どうして、どうしてこうなったの……?


膝をついたまま、俯いた。

身体の芯まで冷たくて、凍えているようだった。

お父様が鞘から、重く大きな剣を抜いた音が耳に響く。


ああ、私は今、殺されるのだ。

これが——これが、悪役令嬢の運命なのね。


その時だった。

意識の奥底で、何かが軋む音がした。


脳の奥に、今まで存在しなかったはずの記憶が、奔流のように流れ込んでくる。

鮮やかに、懐かしく、そして恐ろしく。


(悪役令嬢……?)


お父様が剣を振り上げた。

刃が太陽の光を反射して、白く瞬いた。

その瞬間、すべての記憶が、はっきりと私の中に戻ってきた。


私が今いるこの世界は——

前世の私が愛してやまなかった、あの漫画の世界。


私はその物語の中で、ヒロインである聖女リナを虐げる、典型的な悪役令嬢——

ステラ・アルジェランだったのだ。


(でも、もう遅いわね……)


私は笑おうとした。けれど口元はひきつって、声にもならなかった。


理解してしまったからこそ、余計に無力だった。

真実に気づいたところで、この運命は変わらない。

物語の中で悪を為した令嬢は、最期に断罪される。

それが物語の、予定調和。


そして今、実の父の手によって、その幕が下ろされる。


——ゴウン、と。


重い鈍い音と共に、視界が闇に沈んだ。

私、ステラ・アルジェランは、処刑されたのだった。



◇◇◇



「なんだ? 用があるなら言え」


鋭い声音とともに冷たい蒼の視線が突き刺さる。

気づけば私は、お父様の羽織る漆黒のマントの裾を、ぎゅっと握りしめていた。絹に似た滑らかな手触りが指先に伝わる。けれど、胸の内に残るのは、ただただ得体の知れない不安だった。


見上げたお父様は、まるで巨人のように見えた。

処刑台で振り下ろされた剣と、その持ち主の姿が、まざまざと脳裏に蘇る。


「ご、ごめんなさい。なんでもありません」


思わず手を離すと、お父様は一拍の沈黙ののち、短く「……そうか」とだけ呟き、背を向けて歩き去っていった。足取りは迷いなく、ためらいの一片もない。まるで、私など最初からいなかったかのように。


心臓がひどく強く、痛みをともなって脈打っていた。


──そういえば私、なぜここにいるの?


私は処刑されたはずなのに、気がつけば私はこの公爵家の屋敷に戻ってきていた。廊下の石床はこんなに輝いていただろうか。高い天井、磨き上げられた柱、差し込む陽光さえも、どこか新鮮に思える。


「さあさあお嬢様、お部屋に戻りましょう」


背後から優しい声がかけられ、振り返る。

そこにいたのは、長年この家に仕える侍女長、サリーだった。


(……あれ?)


「サリー、若返った?」


思わず口にした言葉に、彼女は「まぁ」と笑って首を傾げる。


「お嬢様ったら。そんなこと言っても、おやつは増やせませんよ?」


冗談めかした返しに私は言葉を失いながらも、心に引っかかり続けていた違和感が、ようやくはっきりと形を持った。


──人も、物も、全部の“背”が高い。


いや、違う。私が小さくなっているのだ。


走るように自室へ戻り、大きな鏡の前に立った。映ったのは、見覚えのある幼い少女。灰色ベースの淡い茶髪、大きな蒼い瞳。間違いなく、かつての「私」だ。


「こどもに……もどってる……」


低く、息を吐くような声が鏡に霧を描いた。全身の力が抜ける。


処刑されたのは、夢なんかじゃない。あの絶望も、叫びも、父の剣も。全てが確かにあった現実だ。


それなのに、私は今ここにいる。子供の姿で。

記憶は、鮮明なままで。


「なぜかはわからないけど、わたしは……死に戻ったってことね」


呟いた瞬間、背後で扉がノックされ、サリーが顔を覗かせた。


「お嬢様、いきなり走り出してどうされたのですか?」

「サリー、わたしは何歳? きょうの日付は?」


唐突な質問に戸惑いながらも、彼女は答えてくれる。


「ええと……お嬢様は六歳で、今日は冬初月(十二月)の十四日でございますよ?」


六歳……十年前。


(……本当にやり直せるんだ)


理不尽に殺されたあの人生。誰も私を信じてくれなかった。

けれど今なら。今度こそ、間違えられないように生きられるかもしれない。


──私は、何も悪くなかった。毒を盛るなんて、虐げるなんて、そんな卑劣なことするはずがない。親代わりだったサリーに何度も教わった。人には優しくあれ、正しくあれ、と。私は、ただ真面目に生きてきただけだった。


それでも、証拠という名の嘘に塗りつぶされ、最後は首を斬られた。


──実の父親に……


父と母のことを思い出す。かつて魔法学校で恋に落ち、若くして結婚した二人。母はわずか十六歳で私を身ごもり、命がけでこの命を産んでくれた。けれど、母の身体はまだ未熟で、出産に耐えきれず、私を抱くことなく逝ってしまった。


その日から、お父様は私を見ないようになった。


私の髪は、お母様と同じ色だった。顔もよく似ていた。私を見る度に、お母様の面影を否応なく思い出させたのだろう。だからお父様は、私を見ず、避け、ただ黙って遠ざかっていった。


サリーがいなければ、私は壊れていただろう。


けれど、あの距離のまま、何も変わらないまま進んだ先に待っていたのは、処刑人としてのお父様に信じてもらえず殺されるという残酷な最期だった。


──私はもう、二度とあんな死に方をしたくない。

信じてもらえず、否定され、殺されるような人生はもうたくさんだ。


「今度のわたしは違う」


私は鏡の中の小さな自分に宣言する。

かつてのステラとしての記憶も、前世でこの物語を読んでいた記憶も、すべてを持って、もう一度やり直す。


「まずは……お父様を味方につけるのよ」


誰よりも強い──最強で最恐の魔法騎士。

けれど最も冷たく、私を信じなかった。

今度こそ、彼に“私”という存在を信じてもらえるように。


「信頼し合った親子になってみせるわ」


小さな拳をぎゅっと握りしめた。


神様がくれた、最後のチャンスだ。


──物語の中では悪役令嬢だけれど、次は絶対にお父様に殺されたくない。



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