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『平凡で退屈』だと婚約破棄した元婚約者へ──今さら私に泣きついてきたあなたに言う言葉は『今さら遅い』です

作者: 帆立

「アリシア・ミルザリア。お前との婚約は破棄させてもらう」


 ある晩のこと、私は婚約者のイル・バレンティアさまにそう告げられた。


「お前は平凡で退屈なんだ。この俺にふさわしくない」


 およそ、かたちだけとはいえ婚約をしていた相手に対する口調と言葉ではなかった。

 私たちの婚約はイルさまのお父上が決めたことだった。

 しかし、お父上が亡くなってイルさまがバレンティア家を継ぐことになると、待ってましたとばかりに私に先ほどの宣言をしたのだ。


 イルさまの言うとおり、私は平凡だ。

 小さな領地を持った家柄の小さな貴族。

 名家バレンティア家と比べればどこぞの田舎娘でしかない。


 だからイルさまはずっと不満だったのだ。

 私との婚約を。

 どうやらイルさまは私が悲嘆にくれると思っていたらしく、そういう反応をするのを楽しみにしていたようだった。


「そうですか。なら、仕方ありませんね」


 ところが私が思いのほか冷静に返事をしたので、イルさまは不愉快な顔をした。

 そして、とことん私に恥をかかせてやろうという口調でこう言った。


「俺にはもっとふさわしい女性がいる。お前よりもな」


 今、イルさまの隣には妖艶ともいうべき美女がいて、イルさまの腕に自分の腕を絡めて寄り添っている。

 彼女と私の目が合う。


「セリーナでございます。お見知りおきを」


 セリーナは不敵な笑みを浮かべた。

 人間をたぶらかす小悪魔のような笑みだった。

 その笑みはぶざまな私をあざ笑っていた。


 イルさまと同様、あからさまに私を見下している。初対面にもかかわらず。

 私は『さいわいにも』、『誰かさんのおかげで』、見下されるのには慣れていたので、彼女のあざけりを軽く流すことができた。


「ミルザリア家、聞いたことのない家名ですわね」

「田舎の小さな領主ですので」

「地図にも載っていないくらいの?」

「ははははっ」


 イルさまがその冗談に笑い声をあげた。

 本当にこの人は品が無い。

 イルさまが見せびらかすようにセリーナの肩を抱き寄せる。


「俺はセリーナを妻として迎えることにした。この美貌と気立て、バレンティア家に迎えるべきだとはっきりわかったのだ」


 単に誘惑されただけだろう。

 イルさまはすっかりセリーナのとりこだった。

 詳しい話を聞くところによると、セリーナはその美貌はもとより家柄も立派だった。広大な領地を持ち、王都にも屋敷があるのだという。


「そういうわけだからアリシア。お前には用はない。即刻失せろ」

「……さようなら、イルさま」


 部屋を出て屋敷の廊下を歩く。

 途中、メイドや召使たちの脇を通りすがった。

 みんな、私をじろじろと見る。


 ――あの田舎領主の娘さん、とうとう婚約を解消されたんですって。

 ――そりゃそうよ。バレンティア家には到底釣り合わないもの。

 ――亡くなった旦那さまがあの娘の父親に恩があったらしいけど。

 ――イルさまはまったく気に入ってなかったものね。


 そんな会話が耳に入った。

 私は聞こえないふりをしながら屋敷を後にした。

 イルさまにばかにされても気にならなかったにもかかわらず、彼らにそんなことを言われると無性に腹が立って悔しかった。



 こうしてミルザリア家とバレンティア家の縁談は破談となった。

 家路につく馬車の中、私は窓の外の麦畑の黄金の景色を眺めていた。

 婚約破棄は、思ったほど傷つかなかった。


 イルさまは田舎娘の私を最初から嫌っていたし、私も家のためとはいえ、そんな男性を愛するだなんてとうてい無理だったから。

 ぎくしゃくした関係がやっと終わってほっとしたくらいだ。

 親の取り決めで好きでもない相手と付き合ってきたつらい日々を思い返すと、なんだかむなしい気持ちになった。


 イルさまの父上はミルザリア家のためだと思っての厚意だったのだろうけど、私にとってはひたすら迷惑だった。


 オレンジ色の夕焼けの空がすがすがしい。

 麦畑の麦がゆらゆらとそよ風に揺れている。

 私はぼんやりとその郷愁的な光景を眺めていた。


「あ、ちょっと停まって!」


 窓の外にあるものが目に入り、私はあわてて御者に馬車を停めてもらった。

 街道の真ん中で馬車が停まり、私は馬車から降りる。


「あの、大丈夫ですか?」


 私は道の端っこでうずくまる男性に声をかけた。


「僕は平気さ。けど、この子が……」


 男性は犬を抱きかかえていた。

 茶色毛並みの中型の犬。


 その犬の右足の体毛には赤黒い血がべっとりとこびりついていた。

 ひどい傷。

 犬の表情はうつろ。


「森を散歩していたら、この子が猟師の罠にかかってしまったんだ」


 彼の飼い犬はトラバサミにうっかりかかってしまったのだという。

 脚をケガした犬を彼は抱え、獣医に診てもらうために街道を歩いていたのだった。

 中型の犬を抱えて歩くのは体力を消耗し、立ち止まって休んでたところを私に見つけられたらしい。


「誰かに会えてよかった! あの、キミ、よかった馬車で街まで運んでくれないかい? 早く獣医に手当てしもらわないと……」

「あの、それでもいいんですけど」

「なんだい?」

「よかったら私が手当てしましょうか?」


 すると彼は驚いたようすで言った。


「薬を持っているのかい?」

「いえ、薬は持っていません」

「なら、キミは獣医なのか?」

「そうでもないんですけど」


 私は彼の犬に手をかざす。

 心を集中させて、身体にめぐる力を手に集めるのをイメージする。

 そして手に集まった力を解放して彼の犬に浴びせた。


 薄緑色の光のシャワーを彼の犬は浴びる。

 すると、トラバサミに挟まって悲惨なありさまになっていた右足の傷口があっという間にふさがった。

 犬の表情が元気になると、抱きかかえられていた飼い主に腕から飛び降りて地面に立った。


「い、今のふしぎな力は……!」

「よかった。ちゃんと治ったみたいですね」

「わん!」


 彼の犬がお礼らしき一声を出した。

 私は苦笑する。


「私、なんの取り柄もないんですけど、この力はだけは一応使えるんです」


 この件は家族には黙っておこう。

 この力は他人には決して使うなと子供のころから言われていたから。

 たぶん、私がまだ未熟だからだろう。


「……」

「あの、どうかしました?」


 彼は驚いた表情で、見開いた目をしきりにぱちぱちさせていた。

 私、なにか変なことでもしたのだろうか。

 犬の手当てをしただけなんだけど。


「癒しの魔法……。キミは聖女だったのかい!?」

「へ?」

「まさに運命だ!」


 彼は私の腕を取ってぶんぶん上下に振り回してよろこびを表現した。

 私はぽかんとしていた。



 この癒しの力が、選ばれし者にしか与えられない奇跡の力だと知ったのはそれからだった。

 癒しの力を持つものは聖女と呼ばれ、神聖なる存在としてあがめられているという。


 ぜんぜん知らなかった。

 私は自分の一族の狭い領地で暮らしてきたし、親の言いつけを守って決してこの力を他人に見せなかったから。


 とにかく私と彼――レオン・エルステッドさまとのなれそめはそんな感じだった。


「アリシア。僕と結婚してほしい!」


 その日、即座にレオンさまからプロポーズされた。

 私はわけもわからずぽかんとするばかりだった。

 バレンティア家すら到底及ばない、大貴族エルステッド家のご子息に見初められたのだから、状況が呑み込めないの当たり前だと言い訳しよう。


 大貴族エルステッド家は王族とも親しい関係にある。

 莫大な財産を有しているのはもちろんのこと、領地も極めて広く、周辺の諸侯がまとめてかかってもかなわないほどの兵力も持っているとか。

 王族も一目置く名門なのだ。


「――はっ! ぼ、僕としたことがつい……。いきなり『結婚してほしい』なんて失礼だったね……」

「ま、まずはお友達からはじめませんか……?」

「そうだね。キミは僕のことをなにも知らないし、僕だってキミのことをもっと知りたい」


 レオンさまはというと、とてもやさしい人だった。

 穏やかな性格で勤勉で、決して激昂せず、まじめ。不正を嫌い、正しい行いを常に心がけている。家柄を鼻にかけたりもしない。剣術がからっきしなのすら愛嬌に見えてしまう。

 顔だちもとても端正だ。イルさまは氷のような冷たさを持った人だったけれど、レオンさまは逆に、花のようなあたたかいやさしさを感じる美青年だった。


 ひょんなことからミルザリア家がエルステッド家と親しくなってから、私とレオンさまは何度も会うようになった。

 レオンさまは私にいろいろなことを話したし、いろいろなことを聞いてきた。


 彼は決して相手を否定せず、肯定して、受け入れてくれる。

 最初こそ大貴族の令息との付き合いに緊張していた私だけれど、今ではすっかり友達同士同然の距離感と付き合いになっていた。

 異性とのふれあいがこんなに楽しいものだとは知らなかった。


 バレンティア家に行かなければならないときは足取りが重かったけど、エルステッド家の屋敷に招かれたときは、毎晩その日が来るのを楽しみでなかなか寝付けなかった。

 目を閉じるとレオンさまの笑顔がいつも思い浮かんできたのだ。

 彼に会いたいと強く想うようになっていた。


「あ、見て、アリシア。この花、とてもきれいだよ。あんまり見たことがない花だ」

「ルナリスですね。めずらしいです」

「めずらしいのかい?」

「はい。この花を見つけた人には幸運が訪れるという言い伝えがあるんです」

「へえ、アリシアは物知りなんだね。僕も見習わないと」


 花畑に咲いていたルナリスの花に手を伸ばしたレオンさまは、少し考えこんだあと、伸ばした手を引っ込めた。


「つまないんですか?」

「仲間から引き離すのはかわいそうだと思ってね。それに、僕にはもう幸運をもたらす聖女さまがいるから。これ以上は欲張りになってしまうよ」


 私はどきっとする。

 レオンさまは目を細めて微笑んでいた。

 胸に手を当てると、自分の心臓の鼓動が早くなっているのがわかった。


 レオンさまは照れくさげに視線をそらして尋ねてくる。


「と、ところで、ア、アリシアに恋人はいるのかい? 婚約者とか……」

「いえ、いません」


 前はいたのだけれど。

 私の返事にレオンさまはほっとした表情になった。



 交流を重ねるうちにレオンさまの人となりがわかってきた私は、誠実でやさしい彼にますます惹かれていった。

 これが恋心なんだ……。

 私はレオンさまに対する恋を自覚していた。




「そういえばレオンさま、初対面のときいきなり私に結婚を申し込んできましたね」


 ある日、私がふとそう言うと、レオンさまは気まずそうに苦笑いしてごまかす。


「あのときはすまなかったね。いきなり求婚するなんて、僕ってば。キミに婚約者や恋人がいたかもしれないのに……。あはは……」

「ちょっと驚きました」

「キミが手当てしてくれたあの子は僕が子供のころから一緒だった、家族同然の犬だったんだ。脚にケガをしてしまって、僕はすっかり気が動転していたんだ」


 レオンさまは目を輝かせてこう言う。


「そんなときに聖女と出会うだなんて、運命だとは思わないかい?」


 聖女か。

 自分がそう呼ばれる存在だったなんて。

 誰かさんのせいで、私は自分がみじめでみすぼらしい存在だと無意識のうちに思い込んでしまっていた。けど、それをレオンさまが変えてくれた。


「もちろん、僕は聖女だとかそういうのとは関係なく、他者を助けようとするやさしさを持つキミが好きだ。この数か月でキミの魅力をますます知った。純朴で純真で……」

「私も、レオンさまがステキな人だとこれまでの日々で知りました」

「えっ!?」


 驚くレオンさま。

 ぽかんとした顔が面白くて、私は思わず吹き出してしまった。

 レオンさまは急に真剣な面持ちになって私をまっすぐに見つめる。


「な、なら……。そろそろ返事を聞いてもいいかな……?」


 緊張しているのが伝わってくる。

 私の返事はとっくに決まっていた。


「私と結婚してください」


 レオンさまとならきっと、しあわせな日々を送れる。



 バレンティア家の没落を知ったのはそれから数か月後だった。

 私の元婚約者だったイル・バレンティアさまはあのセリーナという妖艶な女性と結婚したのだけれど、それが没落の始まりだったらしい。

 セリーナは初めからバレンティア家を乗っ取る算段だったらしく、結婚してすぐに諸侯と密約を結んでバレンティア家を内外から崩壊させ、領地を奪ったのだという。


 バレンティア家の領地は完全にセリーナのものになったのだ。

 セリーナに暗殺されかけたイルさまは命からがら逃げ出し……、今、私の前にいる。

 服装はぼろぼろで髪も無残に乱れている。


 それでも彼にはプライドというものがまだ残っているらしい。以前、よく見せていた他人を見下す尊大な態度はまだ残っていて、あくまで私より立場が上だと信じているようすだった。

 けれど、もはや腹立ちはしない。

 もちろん、許したわけでもない。


「アリシア。まさかお前が聖女だとは思わなかった。なぜ隠していたんだ。これまでのことは水に流そう。婚約破棄はなかったことにしてやる」


 この期に及んでまだそんなことを言えるなんて、筋金入りだと感心すらしてしまう。

 傲慢で尊大がゆえにだまされて、奪われて、持たざる者になってしまったというのに。

 そういえばこの人に癒しの力を使ったことは一度もなかったっけ。


 私が無言でたたずんでいると、さすがの彼もその沈黙に焦りだして、偉ぶっていた表情にほころびを生じさせた。


「頼む。どうか俺を見捨てないでくれ……」


 私の返事はとっくに決まっていた。

 息を吸い込んでからこう答えた。


「今さら遅いです」

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― 新着の感想 ―
セレーナ凄すぎない?そんな数週間か数ヶ月で領地を乗っ取るなんて……。でも、ザマァも恋愛も全部詰まってて面白かったです
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