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仮面は微笑み、真実は血を啼く

精霊狼ルナティスとの出会い、そして人狼ゼファルとの血の契約を経て、アレクサンドルたちは新たな一歩を踏み出します。

静かにうごめく王都の影、エレオノーラに向けられる不可解な視線。

一見平和に見える世界の裏で、何かが確実に動き始めている──そんな不穏な気配が忍び寄る第八話。

今回も幻想と陰謀が交差する物語を、どうぞお楽しみください。



朝靄が薄く森を包み、淡い光が差し込む中で、世界が目を覚まそうとしていた。

 だが、この森だけは違った。空気の密度が変わったのだ。息を吸えば、微細な魔力の粒子が肺に絡みつくほどに濃い。まるで、森そのものが新たな主を迎え入れ、呼吸しているかのようだった。


 ――これは、何かが変わった証。


 人狼族の戦士たちを背後に従え、ゼファル・ルガードが一歩前に進み出る。その銀の髪が朝日に照らされ、静かに揺れる。


「アレクサンドル・ヴァルディア。血の契約により、我らはお前に忠誠を誓う。森の掟に従い、お前の歩む道を守る者となろう」


 その言葉が告げられた瞬間、空気が震えた。森に宿る霊気が一斉にざわめき、地に、木々に、風に、異変が起こる。


 真っ先にそれを感じ取ったのは、ハーフエルフのアシュレイだった。細く長い耳がぴくりと揺れ、森の気配に驚愕する。


「……これは……信じられない。森が、彼に応じている? まさか……この王子、計り知れないほどの……」


 その言葉に誰もが息をのむ。


 アレクサンドルは静かに立ち尽くし、周囲の変化に目を細める。だが彼の瞳には、動揺ではなく確かな“意志”が宿っていた。


「進もう。俺たちの次の目的地は、王都だ」


 その一言に、ゼファルをはじめとする人狼たちは無言でうなずき、列を整え始めた。


 その姿を見たルシアが、ふっと笑みを浮かべる。


「ふふっ……人狼族を従えて帰還する第三王子、ね。なかなか頼もしくなってきたじゃない」


 朝日を背に、霧がわずかに晴れていく中、彼らは森の出口へと歩を進めていった。


 そして――。


 その時だった。


 ふとした瞬間、アレクサンドルの視界に、木々の合間でしゃがみ込む一人の少女の姿が映る。

 金色の髪が朝露に濡れ、白い指先で薬草を摘んでいる。控えめな動作、清らかな(たたず)まい。まるで森の精霊が人の姿をとったような、その存在。


 それが、エレオノーラ・ヴァレンティーナだった。


 彼女の姿を見つめた瞬間、隣を歩いていたルシアが、ピタリと足を止める。風もないのに、彼女の髪がわずかに揺れた。


 そして、静かにつぶやいた。


 「……見つけた」


 その言葉は(ささや)きにも近い小さな声だったが、周囲の空気を切り裂くほどの強烈な“気配”を(はら)んでいた。

 まるでその言葉だけで、封じられていた何かが動き出すかのように――。


 アレクサンドルは思わず振り返る。だが、ルシアの顔は微笑んでいるだけだった。

 その眼差しは穏やかでありながら、底知れぬ謎と、過去の影をたたえていた。


朝露が滴る草葉の隙間から、小さな紫のつぼみがひっそりと顔を出していた。

 それを見つけたエレオノーラは、しゃがみ込み、そっと指先で茎をなぞる。魔力の流れを確かめながら、慎重に根元から摘み取った。


 薄紫の香気がふわりと立ち上り、森の空気に溶けていく。

 彼女の動作は静かで、まるでこの森に昔から溶け込んでいたかのようだった。


 森は語る。風がささやく。

 その声が、時折、エレオノーラの胸の奥に響く気がしていた。


「……また、この感覚……」


 胸元のペンダントが微かに温かくなり、心臓の鼓動と共鳴するように脈打つ。

 無意識にペンダントへと指を添えたその瞬間、頭の奥に微かな“声”がよみがえった。


 ——エレ……

 ——……… レヴィア…


 誰かに、名を呼ばれたような記憶。

 霧の中にたゆたう幼い日々の夢。白い花が舞い、誰かの背に抱かれていた、確かに温かい光。


「…… レヴィア?」


 ぽつりと漏らしたその響きに、エレオノーラ自身が驚く。

 その名に心当たりはなかった。けれど、確かにどこかで呼ばれていた気がする——。


 「……やっと、その名を口にしたわね」


 突如、背後から聞こえた声に、エレオノーラははっと振り向いた。


 そこにいたのは、ルシアだった。

 彼女は木の影から姿を現し、まるで最初からそこにいたかのように静かに立っていた。

 陽の光が彼女の淡い金の髪に差し込み、まるで霊光を纏ったかのような幻想的な光景を生み出している。


 「……ルシア、どうして……?」


 「気になったのよ。あなたが何を思って、この森に足を踏み入れたのか」


 ルシアの声は柔らかい。しかし、その奥には確かな“意図”が宿っていた。


 エレオノーラは、薬草を握る手に少しだけ力を込めた。

 この感覚……まるで、自分の内側を覗かれているような——。


 「さっき……“見つけた”って、あなた、私のことを……」


 「ええ。ずっと探していたわ。あなたは……ずっと“忘れられていた名前”を持っているから」


 ルシアは、ゆっくりと近づきながら、視線をそらさない。

 その瞳の奥には、慈しみのような、あるいは遠い過去への追憶のような複雑な色が浮かんでいた。


 「……私は……あなたのことを知らない」


 「それでいいのよ。今はまだ。ただ、そのペンダントだけは……嘘をつけないわ」


 エレオノーラの視線が、無意識に胸元のそれへと落ちる。

 それは、亡き祖母から形見として受け取った、唯一の“家族の証”だった。ずっと、そう信じてきた。


 だが今、その中に眠る記憶が、何かを訴えかけるように震えていた。


 「……どういう意味……?」


 問いかけに、ルシアは静かに微笑んだ。


 「もうすぐ、すべてが繋がるわ。その時、あなたが本当の名を思い出すのよ」


 その声は、まるで予言のようだった。

 森の中の空気がわずかに揺れ、鳥が一斉に羽ばたいていく。


 ルシアはエレオノーラに背を向け、言った。


 「戻りましょう。あなたの“時間”が、動き出す前に」


 まるで、世界そのものが静かに何かを待ち始めているかのように、森は再び静寂に包まれた。


森を抜ける風が背を押すように吹き抜けていく。

 湖畔を後にした一行は、王都への帰還のため、北の街道を歩き始めていた。


 アレクサンドルは列の先頭を歩きながら、ふと後ろを振り返る。

 そこで薬草を抱えるエレオノーラ・ヴァレンティーナの姿を見つけると、その表情に微かな迷いが浮かんだ。


(……あのとき、ルシアは確かに“見つけた”と言った。彼女の何を見つけたんだ?)


 霧の中に立っていた彼女の姿は、なぜか“懐かしさ”を帯びて見えた。

 けれど、それが誰の記憶と重なるのか、アレクサンドル自身も分からなかった。

 彼女の瞳の奥には、まだ“語られていない物語”がある。そんな気がしてならない。


 「……考えすぎか」


 小さく息を吐いて視線を前に戻した。


 人狼たちの長・ゼファル・ルガードは、アレクサンドルの斜め後方を無言で歩いていた。

 彼の背中から漂う気配は、完全なる“忠誠”そのものだ。

 それを感じ取るだけで、アレクサンドルの歩みに一層の自信が宿る。


 「王族にして、人狼族と誓いを交わすとは……まさに伝説の再来か」


 並んで歩くレオネルがつぶやくように言うと、後方から軽い笑い声が聞こえてきた。


 「ま、見た目はまだまだ子供だけどな」


 からかうような口ぶりで言ったのは、旅の護衛として同行していた貴族の一人だった。

 王族の補佐として王都から派遣された者だが、その男はふと、ちらりとエレオノーラの方を見た。


 「……にしても、あの娘。いい素材だ」


 その言葉は風に紛れて、小さなつぶやきのように聞こえた。

 だが、耳のいいアシュレイはその一言を確かに聞き取り、わずかに嫌な表情をした。


(……今の、どういう意味だ?)


 彼は思わずその男の表情をうかがったが、すでに口元に笑みを浮かべ、他の貴族たちと談笑に戻っていた。

 その目は、どこか濁った水面のように奥を見せない。


 何かが、静かに動き出している。

 それは王都の空気に近づくにつれ、じわじわと肌に(にじ)む“違和感”となって一行に忍び寄っていた。


 空には薄雲がかかり、陽光はどこかぼやけている。

 道端の花々さえ、どこか無言で首を垂れているように見えた。


 アレクサンドルは無言のまま歩き続ける。

 胸の奥にある、小さなざわめきがやがて大きな波になることを、このときはまだ知らずに——。


 王都の門が開かれたとき、それはまるで大地に響く一撃のように、都全体へ波紋を走らせた。

 銀の髪を風に揺らし、紅い瞳を静かに光らせた人狼、ゼファル・ルガード。

 その後ろには、同じく獣の血を宿した者たちが控え、彼らの圧倒的な気配は通りの空気すら変えていた。


 「見ろ……あれ、獣人じゃない……人狼だ!」


 「王子が、あんな連中を連れて帰ってきたのか……?」


 街の人々は、道端で足を止め、誰もが息をのんで見つめていた。

 そして、その視線のうねりは、やがて王城にまで届く。


 貴族たちはすぐに顔を曇らせ、口々に(ささや)き合う。


 「第三王子が、あのような“異形”を城に招き入れるとは……」


 「これは、宮廷の秩序への挑発か……?」


 騎士たちの手が剣の柄にかかるその一方で、

 まったく異なる熱が、城の内側――特に女性使用人たちの間で広がっていた。


 「ちょっ……見た? あの銀髪の人、素敵よ!?」


 「え、あれ人狼って本当かしら? 貴族よりオーラあるんだけど……!」


 「ふつうに王族よりかっこよくない!? 顔、整いすぎてて呼吸止まった……」


 ざわめく声。頬を染める侍女たち。

 ゼファルは無言のままその場を通り抜けていくが、その一歩ごとに空気が震えた。

 堂々と歩くその姿は、まるで剣そのもの。

 気高く、鋭く、そしてどこか(はかな)さを含んだその存在は、確実に人の心を揺らしていた。


 「なんか、こっち見られただけで震えた……」


 「獣のくせに、なんであんなに美形なの……ずるい……!」


 だが、貴族たちはその熱を冷ややかに(にら)みつける。


 「……第三王子は、何を企んでいる?」


 その疑念が、やがて王宮全体へと広がっていくのだった。


 ***


王都に戻って数日。


夜の王都は、静けさに包まれていた。

 だがそれは、守られた安寧ではない。

 何かが息をひそめ、牙を研ぎ澄ませている——そんな沈黙だった。


 王宮の隅に佇む図書の塔。

 その最上階の執務室に、知識の番人エドワード・ファーヴェルの姿があった。

 宿舎の廊下に灯るランプの光が揺れ、窓辺のカーテンが夜風にわずかに靡く。


 机の上では、書きかけの報告書と数冊の古文書が広がっていた。


 「……王国の記録は、あまりに多くの真実を封じてきた……。だが、それゆえに滅びたのだ」


 ぽつりと漏れた言葉が、ろうそくの火に吸い込まれる。

 その瞬間、空気が変わった。


 ——ぞくり。


 頸筋をなぞるような、冷気。

 ただの風ではない。“意志”を持った、殺気そのもの。


 「……ッ!?」


 顔を上げたエドワードの視界に、異様な光景が映った。


 窓の外——月を背に、黒い影が立っていた。


 仮面のように無表情な顔。

 漆黒の衣をまとい、影から影へと音もなく移動するその者は、まるで現実に存在しない幻影のようだった。


 「知識の番人よ。お前の記憶こそ、禁忌の扉を開ける鍵……。ゆえに、ここで消えてもらう」


 低く、乾いた風のような声が空間を震わせる。


 次の瞬間——空間が“裂けた”。


 黒紫の魔法陣が足元に浮かび、闇の刃が床を削るように走る。

 その余波だけで、机の上のインク壺が砕け散った。宙に舞ったインクが、夜の空間に黒い雨を降らせる。


 「くっ……! 誰かッ!!」


 振り向いたエドワードの目に、仮面の男が消えかけるのが映る。

 その身体は異界の位相に身を隠すように、揺らぎながら空間に溶けようとしていた。


 (……まずい……このままでは、記録ごと“闇”に呑まれる……)


 エドワードは即座に指を動かす。

 震える手で魔法陣を描き、ある人物の名を心に思い浮かべる。


 ──アレクサンドル・ヴァルディア。


 彼だけは、この王国を変える“鍵”を持つ者。


 宙に描かれた小さな紋章が、遠く離れた部屋と繋がった。

 エドワードの魔力が、静かに、一枚の羊皮紙に伝わってゆく。


 

 アレクサンドルは書斎で資料に目を通しながら、小さなため息をついた。

 ゼファルの存在は王宮に小さな波紋を生んだが、貴族たちは表面上は沈黙を保ち、

 一見、穏やかな日々が流れているように見えた。


 しかし——。


 夜半、ろうそくの炎が揺れた瞬間、**カリ、カリ……**と何かが走る音が響いた。


 アレクサンドルが顔を上げると、目の前の机の上に置いていた羊皮紙がひとりでに揺れていた。

 黒インクのペンが、誰にも握られていないまま、自らの意思を持ったように走り出す。


 《助けを……記録の間……》


 《彼らは……“扉”を……》


 ペン先が、最後に一度だけ強く跳ね上がる。


 《──死が、来る》


 そこで、ペンは転がり落ち、動きを止めた。

 紙に残されたインクは、まるで血のようににじんでいた。


 「……エドワード……?」


 アレクサンドルの瞳が揺れる。


 彼にしかできない魔法通信。

 それが途切れたということは――。


 「ゼファル、アシュレイ! すぐに王室図書館へ!」


 寝間着のまま、アレクサンドルは剣を掴んで駆け出した。

 彼の声に即応したのは、影のように控えていたゼファルと、窓際にいたアシュレイだった。


 「嫌な気配がする。……しかもこれは、普通の魔法じゃない」


 アシュレイが即座に空気の変化に反応する。


 「魔力の“死臭”がある。……これは、血ではない何かが流れた痕跡だ」


 ゼファルの声も低く、鋭い。


 3人は夜の王宮を駆け抜け、王室図書館の前に到達した。


 扉の前で、アシュレイが足を止める。


 「……ここ、何かが“出た”後の匂いがする」


 空間の端に漂う、淡い灰色の靄のようなもの。

 魔力が焦げたようなにおいが、鼻をかすめる。


 「誰かが異界と接触した痕跡だ。位相がゆがんでる」


 ゼファルが顔をしかめ、足元に刻まれた焼け焦げたような黒紫の魔痕を指す。


 「……エドワード……」


 扉の隙間から吹き抜ける風は、かすかに紙のめくれる音を運んできた。

 その音は、まるで最後の息遣いのように、切なく夜に消えていった。


 アレクサンドルは扉に手をかけながら、唇を噛んだ。


 「この国の知の守り人が……今まさに、誰かに殺されたのかもしれない」


 夜空には雲が覆い、星の一つも見えない。

 だがその闇の奥で、確かに何かがこちらを見ている気がした。


 それは——

 王国の過去に(ほうむ)られた真実の扉を、誰かがこじ開けようとしている証。


 その扉を越えた先に待つのは、希望か破滅か。

いま、その選択を背負う者がここに立っていた。



「親愛なるエドワード……この涙が“扉”を開くのなら、僕は進もう。」




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

第8話では、王都の歪みと新たな陰謀の芽が描かれ、物語がより深い層へと進んでいきます。

エレオノーラの過去、ルシアの真意、ゼファルの存在、そしてアレクサンドルの心の揺らぎ。

これらが徐々に絡み合い、一つの運命を描き出していく――そんな展開をこれからお届けしていきます。


もし少しでも物語が気になったり、続きが気になると思っていただけましたら、

ブックマークしていただけると嬉しいです。

次回も、どうぞよろしくお願いいたします。

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