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8 閉ざされた場所

 エステルから「大図書館に入る目的」を聞いた次の日。彼女は変わらずやってきた。

「メルク、おはよう!」

「勝手に略すな」

 教室に向かって歩いていたメルクリオは、振り返るなり苦言を呈する。いつもなら、少女は気にするそぶりも見せず近寄ってくる。が、今日は少しだけ反応が違った。

 メルクリオのすぐ後ろで立ち止まった彼女は、口を半開きにして固まっている。ややして、恐る恐る顔を近づけてきた。

「あのさ。何かあった? すごい顔だよ?」

「ん?」

 メルクリオは首をかしげる。自分の頬をぺたぺたと触ってみるが、当然、変わった感じはない。そんなとき、姿を隠している相棒が右側からささやいてきた。

『目の下のクマがそのままですよ』

「あー……。それ、出かける前に言ってほしかった」

 低い声で彼女に返した後、メルクリオは前を向きなおす。追いかけてくる少女の足音を聞きながら、淡々と歩を進めた。

「ほぼ徹夜で『同居人』の相手してたから。それでだと思う」

「徹夜? ついこの間、寝不足だって言ってたのに?」

 素っ頓狂な声が返る。答えに困ったメルクリオは、「いつものことだよ」とぼやいて頭をかいた。


 自分は相当やつれて見えるらしい。メルクリオがそう自覚したのは、〈鍵の教室〉の子供たちにたかられたときだった。ほとんどの子が心配しているのはわかるのだが、何しろその勢いが凄まじい。かえって眩暈を起こしそうになる。双子やヴィーナなどは「エステルがまた絡んだのか」とまで疑っていたので、そこはメルクリオ自身で否定しておいた。――いまだ絡まれているのは確かだが、徹夜には何の関係もない。

 こうなってくると、教師たちがいつも通り接してくれるのがありがたい。メルクリオはまた眠気と戦いながら授業を受け、なんとか昼休みにこぎつけた。

 昼食後、一人で中庭のひとつに出たメルクリオは、端の方に置いてあるベンチに腰かけて風を浴びていた。聞き慣れてしまった足音が響いたのは、五分ほど経った頃だろうか。

「あっ。メルクいた」

「だから勝手に略すな」

 駆け足で中庭にやってきたエステルは、メルクリオを見つけると顔を輝かせる。彼は「だめ」と言う準備を整えながら、のそりと体を起こす。そうこうしているうちに、エステルが隣に腰を下ろした。

「ねえ、ちょっと参考までに聞きたいんだけど――」

「何を?」

「大図書館に入れる人って、具体的にどんな人なの? 学生は認可生じゃないと入れない?」

 予想外の問いに、メルクリオは目をみはる。エステルはにこりと笑って「今日は切り口を変えてみました」と白状した。

 メルクリオは両目をすがめ、中庭の木々に顔を向ける。それでも、答えることを拒みはしなかった。

「……外の人間でグリムアル大図書館に入ることを許されるのは、一部の学校関係者と、大図書館と王国の仲介役一人。それから功績や研究内容を評価された研究者と、この学校の認可生。代表的なのはこのあたりだな」

「先生たちも、みんな入れるってわけじゃないんだ」

「ああ。むしろ、入れない人がほとんどだ。今、入館許可してるのは学長とコルヌぐらいだな」

 宙をながめ、記憶を辿りながら、メルクリオは答える。その横で、エステルが何やら難しい顔をしていた。

「うっ、思った以上に厳しい……。正攻法で行くなら、やっぱり認可生しかないか……」

「正攻法も何も、それしかないな」

 メルクリオは他人事のように呟く。しかし直後、ふと思い立って口の端を持ち上げた。

「まあ、方法はないこともない」

「え?」

「グリムアル大図書館の関係者になれば、堂々と入れる」

 エステルはきょとんとしている。何を言っているのか本気でわからない、というふうだ。メルクリオは、淡白に言い足した。

「前は、外部の人間を番人の『助手』として雇い入れてたこともあるんだと。一人だと手が回らないからって」

 それを聞いた少女の碧眼が輝く。

「そ、それじゃあ、私も助手になれば――」

「ああ、無理」

 メルクリオが自ら否定すると、前のめりになっていたエステルがその場で前に倒れた。肘を軽く打ったらしく、さすりながら起き上がる。メルクリオは、その様子を呆れてながめていた。

「なんで!?」

「助手を入れる気がないから。俺が」

「なんで!?」

 エステルは同じ問いを繰り返し、詰め寄ってくる。面倒くさくなったメルクリオは、そっぽを向いた。

「外の人間を入れると、かえって手間とか面倒事とかが増えそうだから。手は足りてるし」

「うっそだあ! しょっちゅう寝不足になってるくせに!」

同居人まぞくの封印は俺にしかできないから、人がいようがいなかろうが一緒なんだよ」

 痛いところを突かれたせいで、反論が少し刺々しくなる。メルクリオがにらみつけると、エステルはやっと身を引いた。しかし、不満げに唇を尖らせたままだ。細められた目が、『納得いかない』と語っている。

「……でも、ちょっとくらい人に任せられる仕事、あるんじゃない? それなら任せた方がいいと思う。ここはグリムアル魔法学校だよ? 私たち一年生はまだまだひよっこだけどさ、上にはすごい魔法使いがいっぱいいるんだよ?」

 語る声は、静かでありながら力強い。大図書館に入れてくれと迫ってくるときとは、まったく違った色合いだ。

 困惑して、メルクリオは黙り込んでしまう。その間に、エステルがまくし立てた。

「今だからわかるけどさ。メルクがしょっちゅう眠そうにしてるのって、番人のお仕事をしてるからだよね。そんなになるくらいならなおさら、全部一人でやろうとしない方がいいよ。

 私が大図書館に入りたいから言ってる、ってのもあるけど、それだけじゃない。……元気がないメルクを見ると、心配になるんだよ」

 言葉の終わりが、わずかに揺れる。メルクリオはそこで、少女の瞳がうるんでいることに気づいた。目を閉じ、顔をしかめて、背ける。

 ちりちりと、焼け付くような苛立ち。それと同時に、得体の知れない、粘っこい感情が湧き上がってくる。

「――あんたが気にすることじゃない。助手を入れないのは俺の……俺たちの選択だ」

「……なんで」

 エステルが、先ほどよりも大人しい調子で問うてくる。メルクリオは悩んだ末、嘘にならない程度の当たり障りのない答えを引っ張りだした。

「何も知らない外の人間が、今の大図書館に耐えられるとは思えないから」

 エステルが息をのむ。呼吸の音が、困惑と動揺でわずかに揺れた。

「それって、どういう――」

 唇が震える。けれど言葉は最後まで紡がれなかった。

 すべてを聞く前に、メルクリオが立ち上がったから。

 アエラが激しく震動し、この場の誰のものでもない気配が膨れ上がる。

 肌を炙るような熱が全身を覆い、頭の端でちりちりと火花が散るような感覚があった。

 さすがに、エステルも気がついたらしい。ベンチから立ち上がり、青ざめた顔を空に向けた。

「な、何これ」

「〈封印の書〉か。暴れ出したな、これは」

 メルクリオは誰にともなく呟くと、驚きの声を上げる少女を置いて駆け出した。同時、姿を隠した相棒を横目で見る。

「ルーナ! 現場まで飛ばせ!」

 応答はない。けれど確かにアエラが動き、虹色の光がメルクリオを包んだ。

 空間がぐにゃりとゆがむ。なじみ深い気配の中に、『知らない誰か』のアエラが割り込んで、弾ける。

「メルク!」

 その直後、ローブを強く引っ張られた。


 わずかな間の後。メルクリオは、まったく違う場所に立っていた。おそらくは学校の敷地の北側、小さな裏門に向かって伸びる通路だ。ひと気はなく、道に沿って箱がいくつも積み上げられている。そして今はその一角が崩れ、箱の周辺の石畳に爪痕のような傷がいくつもついていた。

 崩れた箱のそばに、生物がいる。それは、毛むくじゃらの猿だ。しかし、一般的な猿よりずいぶん大きく、爪や犬歯がかなり鋭い。目は不気味な色に輝き、全身から濃密なアエラを立ち昇らせていた。

「こいつか」

 メルクリオは、猿を遠目に見つめて呟く。隣で姿を現したルーナが『そうですね』と答えた。

「なな、なに? おっきい猿? もしかして、この間の化け物の仲間?」

 すぐ後ろから、震え声が聞こえてくる。メルクリオは額を押さえたのち、険しい表情をつくって振り返った。

「この大馬鹿! なんでついてきた!」

 彼のローブをつかんだままのエステルを怒鳴りつける。彼女は飛び上がって、メルクリオから離れた。

「なんでって……一人で行ったら危ないって思ったから……」

「転移魔法に丸腰で飛び込む方がよっぽど危ないわ! 下手したら全身引き裂かれて死んでたぞ!」

「転移魔法!? 今のが?」

「この結果でわかるだろ!」

 間の抜けた声を上げるエステルに対し、メルクリオは足もとを指さして怒鳴る。少女はそれでも呆然としていた。その表情を見ているうち、怒る気力も失せていく。メルクリオは、再び額を押さえてうめいた。

 転移魔法――人や物を別の場所に瞬間移動させる魔法は、数ある魔法の中でもっとも高度で危険なもののひとつとして知られている。移動させる対象が圧力やアエラの変化に耐え切れず、潰されたり粉々になったりすることがあるのだ。身の危険を気にせず多用できるのは、現代ではメルクリオと精霊たち、そして一部の魔族くらいだろう。

「まあ、来てしまったものはしかたがない。アレに食われないように気をつけてくれ」

 言いながら、メルクリオは再び猿を振り仰ぐ。エステルが、そっと隣にやってきた。

「ね、ねえ。あのおサルさんって、もしかして……」

「ああ」

 おびえたようなエステルの問いに、メルクリオは猿から目を離さないままうなずいた。

「もしかしなくても魔族だよ」

 彼がそうささやいた、次の時。光を放つ猿の目が、じろりと彼らの方を見た。

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