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48 番人選抜

 四年の時が流れた。

 拠り所を失い、オロール王国に翻弄されていた幼子は、『答え』を見つけるために知識と技術を貪欲に取り入れた。そして、一人の魔法使いとして、着実に成長していく。


 〈月桂樹の館〉の一階にある大部屋。番人候補の子供たちが全員入っても余裕がある広さだ。本来まっ白なはずの壁には、結界や硬化の魔法によって淡い虹色の幾何学模様が描かれている。

 今、部屋の中心部には大きな的が五つほど並べられている。その前に子供たちが順番に進み出て、魔法を使った的当てをしていた。魔法を適切な形に維持し、正確に対象へ中てるための訓練である。

 入口から見て二番目の的の前に、黒い短髪の少年が進み出た。落ち着いたたたずまいで、灰青の瞳を的に向ける。彼は、同輩たちの視線をものともせず、口を開いた。

「『熱束ね燃える炎よ集まりて――』」

 さざ波のごとき呪文詠唱。それに合わせて、赤く輝き熱を帯びたアエラが、指先に集まる。

「『劫火の矢となり、立ちはだかるものを撃て』!」

 最後の一節が紡がれた瞬間、矢の形をした炎が飛んで、的にぶつかった。的を激しく揺らした後、それは渦を巻きながら消えていく。的の中心には、黒い焦げ跡だけが残った。

 周囲から歓声が上がる。少年――メルクリオは軽く肩をすくめて、的の前から離れた。

 そのとき、ひときわ高い声が彼を呼んだ。

「メルにい、すっごーい!」

「やるじゃんメルク! また精度上がった?」

 子供だらけの観客席。その最前列で手を叩いているのが、白金色の髪を三つ編みにしたミラだ。彼女の隣では、アルキオネが拳を握っている。静かに立っていれば一層大人びた雰囲気を漂わせるようになった彼女だが、普段の立ち居振る舞いは四年前とほとんど変わらず、太陽のようだ。

 メルクリオは頬をかいて、曖昧に笑う。『観客席』に戻ったとき、見慣れた少年たちもやってきた。

「見てたよ、メルク」

「おまえ、すごい勢いで上達してるよな」

 にこにこ笑うエニフの隣から、ヘゼが進み出てくる。彼に肩を叩かれたメルクリオは、目を泳がせた。

「そ、そうかなあ」

「そうだよ。いつ追いつかれるかと冷や冷やしてんだぞ、こっちは」

「追いつかれるって……勝負じゃないんだから……」

 メルクリオは友人たちの視線から逃げるように上を向いた。しかし、そこでアルキオネが「いーや!」と腰に手を当てる。

「これは勝負だよ! 館のみんなは大事な家族であると同時に、『番人候補』という好敵手ライバルなんだからね」

「ああ……それもそっか」

 メルクリオは、四年経った今でも大図書館の番人になりたいとは思わない。だが、それを態度に出しすぎても、番人を真剣に目指している子たちに失礼だ。複雑な内心をごまかすために、そっと目を細めた。

 彼の葛藤に気づいたわけではなかろうが、ヘゼがアルキオネに湿っぽい視線を向ける。

「アルク。そういうことはまともに魔法を制御できるようになってから言えよ」

 先ほど魔法で部屋の一角を水浸しにしたアルキオネは、両目をつり上げた。

「ヘゼだって、おとといの授業でしくじってたじゃん」

「あのときはたまたまアエラが操りにくかったんだよ。大半の奴が失敗してただろうが。万年暴走娘と一緒にすんな」

「なにを~!?」

 怒ったような顔を突き合わせる二人。その下で、ミラがまだ少し短い両腕を一生懸命振っていた。

「ふたりとも! けんかはだめだよ!」

「そうそう。痴話げんかはそのあたりにして、ほかの子の魔法もちゃんと見ようよ」

 エニフがふっくらとした指を的の方に向ける。「痴話げんか言うな!」と、ヘゼとアルキオネの声が揃った。


 にぎやかな授業の後、館の子供たちは部屋の中心に集められた。行儀よく座る彼らを見て、メルクリオをここへ連れてきた『先生』が告げる。

「一週間後、今期の番人選抜を行う。体調を整えておくように」

 突然のことに、子供たちはざわついた

 先生はそれを気にもせず、選抜を『奥の()』で行うことだけを告げた。

 遠くの方で、昼を知らせる鐘が鳴る。「では、解散」という先生の一言で授業が終わり、子供たちは落ち着かないまま食堂へと向かう。

 通路には、戸惑いと興奮が入り混じった空気が満ちている。ミラが不安そうにメルクリオの方へ寄ってきた。彼は黙って小さな背中をさする。

「びっくりしたあ。番人選抜の日って、こんなあっさりわかるものなんだね」

 アルキオネが伸びをしながら呟く。ミラを除く三人が、首を縦に振った。

 エニフが顔を上げて遠くを見る。

「奥の間ってあれだよね。入っちゃだめって言われてるところ」

「ああ。名前はみんなが知ってるのに、誰も入ったことがない、っていうな。まさか番人選抜のための部屋だったとは」

 ヘゼの表情は険しい。メルクリオは、彼が「誘拐されてここへ来た」と告白したときのことを思い出して、うつむいた。

 深刻な空気になりかけたところで、少女の声がざわめきを割る。

「奥の間に入れる上に、大図書館の番人に選ばれるかもしれないってことね。なんか、わくわくしてきた!」

 アルキオネが拳を突き上げていた。それを見て、ヘゼが盛大なため息をつく。

「おまえなあ……。これでわくわくするとか、どうなんだよ」

「え? わくわくしない? 一回は入ってみたいって思ったことあるでしょ、奥の間」

「いやまあ、否定はしねえけど」

「暗くなってたってしょうがないじゃない。楽しいこと考えようよ」

 また騒がしくなった二人を見て、メルクリオとエニフは苦笑した。顔を曇らせていたミラも、漏れ出る笑い声を隠しきれていない。

 アルキオネの言うことにも一理ある。沈んでいたって、笑っていたって、その日はやってくるのだ。

「さあさあ! お昼ごはん、いっぱい食べるぞー!」

「いつもと量は変わらねえだろ」

「気持ちの問題!」

 気合十分のアルキオネを先頭に、彼らは食堂を目指した。



     ※



 そして、一週間後。運命の――番人選抜の日。

 子供たちは、奥の間のすぐ隣にある部屋に集められた。草花模様の壁に囲まれて、小さな棚しかないここが、控室であるらしい。

 全員が部屋に集ってからほどなく、老齢の先生が奥の間から出てきて、番人選抜の開始を宣言した。それからすぐ、一人目の名前を呼ぶ。呼ばれた子は緊張した様子で返事をして、先生と一緒に奥の間へと入っていった。

 メルクリオはそれを、そわそわしつつ見送った。

 ここには長居したくない。今までに感じたことのないアエラが隙間風のように流れ込んできている。そのアエラは、あまりに濃く、冷たい。人が触れていいものではない、と直感した。

「始まったな」

 隣に座るヘゼが、呟く。落ち着いた様子だった。

 メルクリオは無言でうなずいた。

 番人選抜。その実態は、精霊契約の儀式だ。グリムアル大図書館の館長を務める精霊との契約を試みる。契約できた者が、大図書館の番人となる。

 先生たちが直接教えてくれたわけではない。メルクリオたちは、〈月桂樹の館〉での日々の中で、自然とそのことに気づいた。

 精霊に選ばれた者が番人となる。ならば――

「選ばれなかった子は、どうなるんだろう……?」

 後ろ向きな疑問が、知らず口からこぼれ出る。四方八方からの視線を感じ、メルクリオは慌てて口を覆った。

 確実に聞こえていたであろうヘゼは、最初、何も言わなかった。しばらくしてからメルクリオの肩を叩く。

「そのときは、選ばれた奴に雇ってもらおうぜ」

「やとっ……?」

「もし俺が番人になったら、ほかの奴全員、雇ってやるよ。でかい図書館を番人一人で管理しきれるわけがないんだからな」

 メルクリオは、灰青の目を瞬いて――ふにゃりと笑った。

「そうだね。おれが番人になれたら、ヘゼたちにお手伝いしてもらおう」

「お、ありがたいね」

 ひそめた声で語り合い、そっと笑みを交わしたとき。扉が開いて、先生が顔をのぞかせた。先ほど呼ばれた子の姿はない。

「次。アルキオネ、来なさい」

「はい!」

 元気よく返事をしたアルキオネが、子供の群れの中から立ち上がる。彼女はメルクリオたちの方を見て片目をつぶると、小走りで先生のもとへ向かった。

 ――メルクリオが異変を感じたのは、彼女を見送ってからしばらく経ったときだった。

 突然、目の前で銀色の光がちかちかと瞬いた。渓流の水のようにうねる『何か』が脳内に入り込んできた。

 わけもわからず、頭を抱えて目を閉じる。

「メルクリオ? どうした?」

 ヘゼの声がけも、まともに聞こえていなかった。

 座り込んで立てた膝に顔をうずめた、そのとき。

 目の前に、ここではないどこかの光景が広がった。


 がらんとした、暗い部屋。黄金色こがねいろの光が満ちる。立ち尽くす少女に、月の光が押し寄せる。

 息が詰まる。雷撃が駆け抜ける。五感を奪うほどの痛みが、体をいたぶる。

 痛い、やめて、たすけて。そう訴える喉すらも、言葉を考える頭すらも、月の光が焼き尽くす。

 すべてが途切れるその直前――

「ごめんね」

 ()は、どうにか、それだけを言った。


 甲高い絶叫が響き渡る。大人しくしていた子供たちが、ぎょっと振り向いた。

 叫んだ本人は、それが自分の声だと認識していなかった。五感を支配した『ここではないどこか』から逃れようと身をよじり、髪をつかみ、額を床に打ち付ける。

 子供たちは、それを呆然として見ていた。動いたのは、すぐそばにいたヘゼだけだ。

「おい、よせ、メルクリオ! 落ち着けって!」

 猛犬のようにうなるメルクリオを羽交い絞めにして、何度も声をかける。だが、本人には少しも届いていなかった。

 そのとき、館の通路に続く扉が大きな音を立てて開いた。

「何の騒ぎです」

「な……なんか、メルクリオの様子が変で……」

 先生の怒鳴り声。戸口の近くにいた子供が、おびえた様子で答える。それを聞いたヘゼが舌打ちした。

 先生は、子供たちを避けながら、二人のもとへやってくる。メルクリオの様子を見るなり腕を振り上げ、手にしていた錫杖で殴りつけた。

 その衝撃で、彼の意識は現実ここに戻ってきた。しかし、同時に熱を伴った痛みと恐怖がこみ上げる。

「メルクリオ!」

 ヘゼが、飛びつくようにして、メルクリオを抱き上げた。彼らを見下ろす先生の目は、冷たい。

「ヘゼ。離れなさい」

「いやです」

 反抗した少年は、メルクリオを抱き寄せる。当の本人は、人形になってしまったかのように二人のやり取りを見ていた。

「なんでこんなことするんですか。大事な番人候補の一人でしょう」

「己を制御できない者は、大図書館の番人にふさわしくありません。すみやかに退出を――」

「やめろ!」

 腕を伸ばしてきた先生に向かって、ヘゼが顔を突き出した。勢いよく口を開きかけて――止める。細く、長く息を吐いた。

「……この子は俺が見ておきます。だから、連れ出さないでやってください」

 少年と先生の視線が、剣先のように絡み合う。やがて先生が背を向け、ちらりと振り返った。

「一度だけですよ」

 それだけを言い残し、先生が部屋から出ていく。

 居心地の悪い沈黙が下りた。少し遠くにいたはずのミラが、心配そうに這ってくる。ヘゼがメルクリオを抱きしめて、背中をさすった。

「大丈夫か?」

「ヘゼ……ごめ、ごめんなさい……」

「気にすんなって。それより、どうしたんだ? 取り乱すなんておまえらしくない」

 ヘゼが優しく尋ねる。メルクリオは、喉が詰まるのを感じた。泣いているせいもあるが、答えを口にすることへのためらいが、何より大きかった。

「……アルク、が……」

「アルク? あいつがどうした? まだ奥の間にいると思うけど……」

 紅玉髄カーネリアンの瞳がその方を見た瞬間、奥の間へ続く扉が開き、先生が次の子の名前を呼ぶ。やはり、アルキオネの姿はない。


 子供たちが奥の間へ行くたび、メルクリオは『ここではないどこか』の光景を見て、あの凄まじい痛みを味わった。

 気が狂いそうになる。堪えるなど、本来できることではなかった。だが、ヘゼやみんなに迷惑をかけたくない一心で、メルクリオは耐えた。ズボンや自分の腕を噛むことで、なんとか声を抑えていたのである。ヘゼも少しずつ慣れてきて、メルクリオの様子がおかしくなると、すぐさま抱きしめてくれた。そして、ミラが不安そうにその背中をさすったのである。

 景色も痛みも、回を重ねるごとに鮮明になっていく。

 先に呼ばれたエニフの泣き声を聞いたとき、メルクリオは悟った。

 自分が見ているのは奥の間だ。自分が感じているのは、子供たちの最期の痛みだ。

 選ばれなかった子は戻ってこない。みんな死んでしまうのだ。月の光に焼き尽くされて。

 まっ赤な恐怖は瞬く間に消え、むなしさが全身を満たす。

 笑い合って語った夢が、夢想した未来が、粉々に砕け散った。


 呼ばれた子が誰一人として帰ってこないまま、番人選抜は続く。残った子供たちも、部屋に隙間が目立ち始めると、さすがに違和感を覚えた。不安そうに互いの顔を見合わせる。

 先生たちだけが、不気味なほどに落ち着いている。老齢の先生が、また奥の間から出てきた。

「次。ヘゼ、来なさい」

「――はい」

 ためらいながらもヘゼは静かに立ち上がる。メルクリオは、とっさに彼の服の裾をつかんだ。ヘゼが、はっと息をのむ。

「メルクリオ」

「……だめ。ヘゼ、行っちゃだめだ」

 メルクリオは、声を絞り出して訴える。無駄なことだとわかっていた。それでも、言わなければならないと思った。

 ヘゼは、ふっと息を吐く。身をゆすりだした先生に一瞥をくれて、メルクリオには悪戯っぽく笑って見せた。

「心配すんな。番人になれたら、二人ともこき使ってやるからさ」

「ヘゼ……」

 二人――メルクリオとミラが呼びかけたとき、ヘゼは少しだけメルクリオの方に顔を寄せた。

「ミラのこと、頼んだ」

 まるで、宝物のありかを打ち明けるようにささやく。メルクリオは息をのんだ。

 ヘゼも気づいたのだ。メルクリオと同じ物を見ていたわけではないけれど。誰かが奥の間へ行くたび、その子の名前を呼んでうずくまる彼を見て、察してしまったのだろう。

 裾をつかむ手の力が緩んだその隙に、ヘゼは奥の間の方へ歩いていった。

 メルクリオは手を伸ばす。口は動けども声は出ない。小さな指は少年に届かず、後ろ姿は遠ざかり――奥の間へと消えていく。


 結局、ヘゼも帰ってこなかった。

 メルクリオは再び奥の間を視て、彼の痛みの一部を味わった。

 月光が押し寄せる中、最後の最後に、無愛想ながらも優しい声を聞いた。


「俺は大丈夫だからな――()()()

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