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47 〈月桂樹の館〉の日々

 メルクリオは、ヘゼとアルキオネによって、改めて自分の席に案内された。好き勝手に騒いでいた子供たちも、ばらばらと着席しはじめる。今は、一日の最初の授業が終わったところ。もうすぐ二限目が始まるという。

「おまえが来たってことは、二限目は国語かな」

 隣に座ったヘゼが、頬杖をつく。メルクリオは、恐る恐るそちらを見た。

「こくご……?」

「言葉の勉強。文字を読んだり書いたりする」

 それを聞いたメルクリオの胸中に、急速に暗雲が立ち込める。ぎゅっと目を細めて、机の木目をにらんだ。

「もじ……あんまりよめない……」

「心配いらないよ」

 前の方から、やわらかい声がした。メルクリオは顔を上げる。ふっくら丸い顔の少年と目が合った。

「みんなそれぞれ、どの程度読み書きできるかが違うから。何人も先生が来て、その子に合わせた授業をしてくれるんだ。だから、大丈夫」

 表情と同じくふっくらとした声で、少年は告げる。メルクリオは、重い頭を縦に揺らした。

 そこで少年が、焼き立ての白パンのような手を挙げる。

「あ、ぼくはエニフ。自己紹介、遅くなってごめんね」

「ん、えっと……メルクリオ」

「わあ、かっこいい名前。よろしくね」

 にこにこ笑ったエニフに、それまで黙っていたヘゼが顔を向けた。

「今日、何するんだろうな」

「うーん。前回の続きだとしたら、事務書類の読み方やるんじゃない?」

「げ……。俺、そういうの嫌いなんだよな」

 どうやら、この二人はある程度文字が読めるらしい。メルクリオが感心しながらやり取りを聞いていたとき、扉が開いて、数人の魔法使いがやってきた。



     ※



 その日から、メルクリオは〈月桂樹の館〉で暮らし、学ぶこととなった。字の読み書きから学ばなければならなかったので、苦労は多かったが、ヘゼをはじめとする子供たちの助けもあって、水を注がれた砂のように知識を吸収していった。

 勉強だけでなく、魔法に関わる訓練もすぐに始まった。メルクリオの場合、体内のアエラの状態を把握し、それを制御することから始めなければならなかった。訓練の時間には常に複数の魔法使いが彼について、様子を監視していた。メルクリオとしては怖くてしかたがなかったが、どうにか恐怖をのみこんで、言われたことをこなしていく。


 あっという間に二週間が経った。おびえきっていたメルクリオがようやく〈月桂樹の館〉に馴染んできて、年少の子供たちも日常の落ち着きを取り戻しつつある。

 字の書き取りや算術の授業を乗り越えて、メルクリオは館の中の食堂へ向かおうとしていた。そのとき、重たいものが背中にぶつかる。

「うわっ」

「メルにい! いっしょにごはんたべよー!」

 小さな襲撃者は、蜂蜜のように甘い声で彼を呼んで、温かい腕を回してくる。頬を緩めたメルクリオは、振り返って白金色の頭をなでた。

「ミラ。……うん、いっしょに食堂行こう」

「わーい!」

 ぴょん、と跳ねて彼に体をくっつけたのは、幼い少女であった。今の〈月桂樹の館〉の中では最年少の、ミラである。共に文字の勉強をしているうちに懐かれたのだった。

 メルクリオとミラが手をつないで歩いていると、同じく授業を終えたヘゼとアルキオネ、エニフがやってくる。自由時間はもっぱらこの五人で固まっていた。

 大きな机とたくさんの椅子が並ぶ部屋。高い声と食欲をそそる香りに満たされた食堂に、メルクリオたちも溶け込んでいく。パンとスープが載ったトレイを厨房の大人たちから受け取って、同じ机を囲んだ少年少女は、授業の話や『先生』に対する愚痴を交わしながら匙をとる。

 湯気の立つスープにふうふう息を吹きかけながら、メルクリオは食堂に視線を投げる。右を見ても左を見ても子供ばかりだ。大人の姿は、厨房にしかない。

「ばんにんこうほって、子供しかなれないのかな」

 うっすらと抱きつづけていた疑問が、口からこぼれ出る。ヘゼたちは、不思議そうにまばたきした。

「大人でもなれるはずだぜ。たまたま今期の候補が子供おれらしかいないだけで」

「グリムアル大図書館の館長――精霊との相性が大事らしいからね。年齢はあまり関係なさそうだよね」

 さらりと答えたヘゼの隣で、エニフがパンをちぎりながらほほ笑む。メルクリオは、ふうん、とだけ言って、匙に口をつけた。同時、ミラが元気よく手を挙げる。

「ミラも、まだちっちゃいけど、ばんにんさんになれるかな?」

「きっとなれるよ! いっぱいお勉強したらね」

 明るく答えたアルキオネが、スープで汚れた末っ子の口を手巾でぬぐった。

 少年たちは、少女たちのやり取りをほほ笑ましく見守る。その後、エニフが「番人さんかあ」と呟いた。

「どうせならなりたいよねえ、大図書館の番人。もちろん、この中の誰がなってもいいなとは思うけど」

「……エニフは、大図書館の番人になりたいの?」

 メルクリオは、思わず年上の少年をまじまじと見る。彼は、いつもと変わらぬおっとりとした表情でうなずいた。

「そりゃあね。番人になれば、貴重な書物に触れられるらしいし。それに、なんかかっこいいじゃない?」

「堅物親父を見返せるし?」

「うわっ。ちょっとヘゼ、メルクの前でそういうこと言わないでよ」

 にやりと笑ったヘゼに、エニフがしかめっ面を向ける。にらまれた方は、しらんぷりをしてパンでスープの残りをぬぐっていた。

 思ってもみなかった意見に、メルクリオは呆然とする。

 館にいるのは、攫われてきた子ばかりではないのだ。そのことを、メルクリオは初めて知った。

 エニフは他国の商家の末っ子だった。魔法以外は何をやらせても()()()()()()と家族に言われていたのだそうだ。

 あるときオロール王国の魔法使いがやってきて、番人候補にならないかと勧誘されたという。エニフが戸惑っているうちに、両親が勝手に話を進めてしまい、あれよあれよと館に放り込まれたという。

「嫌々館に来たわけだけど、だんだん楽しくなってきたんだ。失敗した日もご飯が食べられるし、嫌味を言う人もほとんどいないし、なんと魔法まで学べるし。ここでの生活は、結構気に入ってる」

「あー。エニフと私、経緯が似てるんだね」

 アルキオネが青い瞳を瞬いて、ふくよかな少年を見つめる。

「私もおじさん先生に勧誘されてさ。お父さんとお母さんが『ぜひ行きなさい』って言うから来たんだ。うち、人数多い上に貧乏だからさ。一人減ればちょっと生活が楽になるってのはあったんだろうね。私もそう思ったし」

「そうだったんだ」

 エニフとヘゼが目を丸くする。

 しんみりした空気になりかけたところで、アルキオネが片目をつぶった。

「言っとくけど、後悔はしてないよ。エニフと同じ。……大図書館の番人になれたら、前よりうんといい暮らしができるだろうしね!」

「たくましいなあ」

「まったくだ」

 三人が笑いあう。そばで話を聞いていたミラも、よくわからないながらに手足を動かしてはしゃいでいた。

 そんな彼らを、メルクリオはまんじりと見つめていた。


 昼食の後、メルクリオはヘゼと二人きりになった。何か約束をしていたわけではない。気が付いたら二人になっていたのだった。

 白い光に満たされた通路に、靴音だけが幾度も跳ね返る。

 清澄な沈黙を、ふいに響いた問いが破った。

「メルクリオ。おまえは、なんで館に来たんだ?」

 メルクリオは、弾かれたようにヘゼを見上げる。少年の瞳は夕焼けのような輝きを湛えて、じっと彼を見下ろしていた。

 食堂での話の延長だろう。だが、それだけではない。メルクリオはすぐに察した。

 口を開く。けれど、言葉は出ない。

 背けられた両親の顔を思い出す。とうに流れ出たと思っていた悲しみと恐怖が、再び小さな体を満たした。

「言いたくないか?」

 ヘゼが言葉を重ねる。メルクリオが辛うじてうなずくと、彼は「そっか」と言って顔を逸らす。

 窓から注ぐ光が、二人の上に格子模様を描いた。

「――俺は、誘拐されてきたんだ」

 そよ風のような声が、冷たい空気を揺らす。

 メルクリオはひゅっと息をのんだ。灰青色の瞳に映った少年は、苦笑して肩をすくめた。

「びっくりされるだろうし、嫌なことを思い出す奴もいるだろうから、誰にも話したことないんだけどさ」

「ヘゼ――」

「王都のくっらい路地で、いつものようにガラクタ集めしてたところに、いきなり知らない男たちが来たんだ。魔法か薬か知らないけど、あっという間に眠らされて――気が付いたら、ここにいた。家もない、親もいないガキが、精霊様と相性のいいアエラを持ってたんだ。あいつらにとっては思わぬ拾い物だっただろうよ」

 語りは静かに、しかし刺々しく響く。わずかな笑みにくるまれた激情は隠しきれていなかった。

 ヘゼが今までとまったく違う人になってしまったみたいだ。メルクリオは無性に怖くなって、きゅっと拳を握った。

 彼の変化に気づいたのか、ヘゼがわずかに顔をほころばせる。

「もちろん、ここでの生活は嫌いじゃない。おまえらのことも、大事な仲間だと思ってる。ただ、先生を名乗ってる人さらいに腹が立ってるだけだ」

「……人さらい……」

 光と影が、音もなく踊る。

 メルクリオは、うつむいたまま、小さく口を開いた。

「ヘゼ」

「ん?」

「ぼくね。先生たちに、ひっぱられてきたの」

 紅玉髄の目が見開かれる。

 メルクリオはそれを知らぬまま、自分が館へ来た経緯を語った。といっても、エニフたちのように理路整然と話すことはできなかった。当然だ。彼自身、未だに何が起きたのか理解しきれていないのだから。

 しどろもどろに語り終えた後、メルクリオは無理やり笑った。

「ぼく、いらない子だったんだ。がまんができなくて、お皿をこわしちゃったり、牛さんをおどろかせたりしちゃうから。だから、お父さんもお母さんも、怒っちゃったんだ」

 魔法使いたちを止めようとしなかったのも、顔を背けたのも、きっとそのせいだ。自分が悪いんだ。自分が招いた結果だ。

 衝撃も悲しみも通り過ぎた後、ただ淡々と心の中に積み上げてきた言葉たち。それを今日もまたひとつ、メルクリオは積み上げた。けれど、今日はいつもと少し違った。

 ヘゼがメルクリオの頭に手を置く。やや乱暴だったが、決して痛くはない。

 メルクリオは思わず目を瞬いた。顔を上げる代わりに、頭の上の手に触れる。

「ヘゼ?」

「俺には、おまえの親の腹ん中なんてわかんねえけどさ。ふたつだけ、わかることがある」

 ヘゼは、先ほどの手を動かして、黒髪をわしゃわしゃかき混ぜる。屈んで、メルクリオと目を合わせた。

「メルクリオは悪くない。でもって、いらない子なんかじゃねえ」

 体が震える。青天の霹靂とは、このことだ。

 メルクリオはとっさに、少年の体にしがみつく。

「でも」

「少なくとも、おまえがいなくなったら俺たちは寂しい。ミラなんか特にそうだろ」

 言われて、メルクリオは少女の姿を思い浮かべた。「メルにいいっちゃやだ!」と、魔族すらも逃げ出しそうな大声で泣きわめく姿がありありと思い浮かぶ。

「それに、おまえの言う『我慢できない』のって、アエラの量がおかしくて暴走してるんだろ? 我慢でどうにかなる話じゃねえよ。だから、魔法使いたちと修行っぽいことしてるんだろ」

 メルクリオは沈黙する。確かに魔法使い、もとい先生たちからそんな話を聞いた。けれど、彼は納得できていなかった。――いや、話をのみこめてすらいなかったのだ。

 頭の中で糸が絡み合う。くらり、くらりと視界が揺れる。メルクリオはぎゅっと目を閉じて、ヘゼの衣服を握った。

「……わからない」

 何が正しくて、誰が悪かったのだろう。

 自分はどうすればよかったのだろう。

 小さな手が答えをつかむことは、ない。

「わからないよ」

 ヘゼは、黙っていた。それは怒りからくる沈黙ではなく、脅威のない夜のように優しい静寂であった。

 メルクリオのそれより少し大きな手が、再び頭をなでる。

「なら、わかるようになるまで、いっぱい勉強しようぜ。魔法の知識をつければ、見えてくることもあるかもしれない。――俺も、できる範囲で手伝うよ」

 メルクリオは、そろりと顔を上げる。

 得意げにほほ笑む少年を見て――ゆっくりとうなずいた。

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