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44 太陽の猫(2)

 枯草と枝を片付け、体をきれいにした後。一同は、応接室に集まった。監査員への定期報告会も兼ねて休憩することにしたのである。

 メルクリオたち三人は、温かいお茶と、ちょっぴりかたくなった干し葡萄のケーキに舌鼓を打った。精霊ゆえに飲食をしないルーナは、いつものようにその様子を見守っている。同じく精霊のソレイユは、たまたま出てきていたボーグルとじゃれあっていた。三人が人心地ついた頃にはそれにも飽きたようで、テーブルに乗ってくると、最近の話を聞かせてくれとせがむ。

 メルクリオは苦笑して、ソレイユの知らない近況を語った。潜入調査のこと。助手のこと。新たにやってきた〈封印の書〉と魔族のこと。

『へえ。僕が離れている間に、ずいぶん愉快なことになってるね。君が助手を入れるなんて』

「……色々あったんだよ」

 低い声で返したメルクリオは、ケーキの最後のひとかけらをつまんだ。気まぐれに伸びをしたソレイユは、その場に座ってエステルを見上げる。

『しかし、そうかあ。シリウスの娘さんかあ。子供がいるのは知ってたけど、もうこんなに大きくなったんだねえ』

 まるで、親戚か近所の大人のような口ぶりである。エステルは答えに困って曖昧な笑みを浮かべていた。

『それに、まさかラステアが見つかるとは! ねえねえ、あとで会いにいっていい?』

「できればやめてほしい。そろそろ俺の体がもたない」

 ケーキを咀嚼したメルクリオは、きっぱりと答えた。ソレイユとラステアの関係がどのようなものだったのかはわからない。が、何にせよ、ラステアが張り切るのは目に見えている。

 そっかあ、とつまらなそうに呟いたソレイユは、再び飛んできたボーグルに前足を伸ばす。悪戯魔族とじゃれあいながら、少年に話しかけた。

『ほかはなんかあるー? 質問も受け付けてるよ』

「知りたいことは山ほどあるけど。あんたに訊いてもしょうがないというか……」

『失礼な。まあ、魔法暴走事件の犯人はわからないけどね!』

「だろうな」

 偉そうに言い切ったソレイユに、人々は苦笑を向ける。その中で、メルクリオはふと目を瞬いた。

「質問ではないけど。伝えておきたいことはある」

『お、なになに?』

「〈災厄の魔人〉を狙ってる人たちがいる」

 それまで自由に動き回っていたソレイユが、ぴたりと動きを止めた。尻尾をぴんと伸ばして、少年を見上げる。

『……今、なんて言った?』

「〈災厄の魔人〉を狙ってる人たちがいる、って言った」

 メルクリオがゆっくりと繰り返すと、ソレイユは威嚇の姿勢をとった。

『いやいや待て待て! なんでグリムアル大図書館の最高機密が外に漏れてるんだ!』

「俺が知りたい」

 メルクリオたちにこのことを知らせてきたのは、シリウスの伝言だ。けれど、メルクリオは彼に〈災厄の魔人〉のことを話していない。であれば、どうやってそのことを知ったのか――きっかけは、今回の事件に巻き込まれたことだろう。

「あ、あのう。前から気になってたんだけど、〈災厄の魔人〉って何?」

 エステルがそろそろと手を挙げる。彼女を見つめたメルクリオは、雑に頭をかいた。

「……シェラ・レナリア大戦末期に、ポラリスが最初に封印した魔族だよ。今も大図書館の奥で封印されてる」

『でもって、番人さんが日々魔族封印に追われる原因だね』

 メルクリオは端的に答え、ソレイユがややかたい声音でそれに便乗する。怪訝そうに首をかしげた番人の助手のもとに、現館長が飛んでいった。

『〈災厄の魔人〉は、強すぎたんです。ポラリスの封印をもってしても、そのすべてを封じきれなかった。封印後にも〈書〉からアエラが漏れ出して――ほかの魔族たちにも影響を与えました』

「ど、どうなっちゃったの?」

『簡単な話ですよ。今まで相手にしてきた魔族を思い出してみてください』

 笑い含みのルーナの言葉を受けて、エステルは真剣に考え込む。

「んー……みんなとっても強かったなあ。あと、話が通じない子が多かったような? おサルさんとか」

『おサルさんは本人の性質もあるでしょうけど……いいところをついてますよ。〈災厄の魔人〉の力は、彼らの能力と凶暴性を引き上げたんです。だからここにある〈封印の書〉は、結果的に封印が破られやすくなっています』

 エステルはなるほど、とうなずく。その一方で、ソレイユはメルクリオに問いを重ねていた。

『それで、ここの機密をかすめ取ったのは誰なのかな。何かわかってる?』

 その声は少しだけやわらかくなっている。少女が疑問を口にしてくれたおかげで、冷静さを取り戻せたらしい。メルクリオはひとつうなずいた。

「誰、というか。団体の名前はわかってる。宵の星妖精研究会だ」

 再び応接室がざわついた。今度、大きな反応を示したのはクロノスだ。

「だからあんなことを尋ねてきたのか。そう言ってくれれば、私も徹底的に調べたものを」

「いや、あのときはそこまでわかってなかったから……」

 目を見開いた青年に、メルクリオはもごもごと返す。追及を避けるように、カップに手を伸ばした。その様子を見ていたソレイユが、のんびりと体を伸ばす。

『聞いたことはあるね。魔族に関する論文出したり、本の読み聞かせ会を主催したりしてるとこだ。〈災厄の魔人〉なんて物騒なものに手を出しそうには思えないけどなあ』

「外からはわからないだけかもしれないな。この名前だって、表向きのものかもしれないし」

『それはそうだね』

 先代館長は小さく頭を傾けた。

『何か、変わった話を聞いたことはないですか?』

 ルーナが彼に問いを向ける。彼は『うーん』とこぼしながら身づくろいをした。ひとしきり終わったところで、目を見開く。

『ああ。ちょっとおもしろい話は聞いたことあるよ。彼らの拠点は、グリムアルから割と近い町にあるんだけど――そこに毎晩、子供が出入りしているんだって』

 陽光の精霊は、おもむろに語りだす。人間たちは、三者三様の顔を見合わせる。やがて、クロノスが恐る恐る挙手した。

「それは、怪談か?」

『怖い話として語る人もいれば、陰謀論のように語る人もいる。とにかく、ここ何か月か、拠点に出入りする子供の影があるらしいんだ。背格好から考えると、エステルくらいの年齢の子。ただ、性別はわからない。服装からして男の子だという声もあれば、いや女の子だという声もある』

 メルクリオは、口もとに手を当てて考え込む。そのかたわらで、ルーナが羽を揺らした。

『本当に市井の噂みたいですね』

『うん。みんな、奇妙な話を楽しんでいる、っていう雰囲気だよ』

「初めて聞いた……」

 揺れる橙色の尻尾を見ながら、エステルがしみじみと呟く。クロノスもしきりにうなずいていた。一方のメルクリオは、小さく息を吐いてカップを見下ろす。

「子供、か」

 誰にともなく呟いて、残り少なくなったお茶を飲み干した。



     ※



 その後、エステルは応接室を出ていた。メルクリオとクロノスが事務的な話を始めたので、書架の点検と整理を請け負ったのだ。

 今日整理するのは六十一番書架。民俗学などの書物がまとまっているところだ。熱心に整理をしていると、温かな風が頬をなでる。もしや、と思って風の吹いてきた方に目をやると、案の定、橙色の猫がいた。

「ソレイユ。どうしたの?」

『いやあ、何。君にお礼を言っておきたくてね』

「お礼?」

 猫姿の精霊を見て、エステルは首をひねる。ソレイユは悠々と書架を飛び移り、彼女のもとへやってきた。

『ありがとう。メルクリオのそばにいてくれて。あの子もきっと、助かっていると思う』

 ソレイユはそう言うと、尻尾を丸めて座った。エステルは驚きすぎて、本を取り落としそうになる。慌ててそれを書架に戻した後、精霊と向かい合った。

「とんでもない。むしろ私の方がお世話になってるよ。お仕事させてもらってるし、勉強教えてもらってるし……この間なんて、怪しい人に操られたのを助けてもらったし」

『へえ、そんなこともあったのか。……でもね、君の存在が彼に影響を与えているのも、確かだと思うんだよ。前に見にきたときよりも表情がやわらかくなっていたし……いい意味で、肩の力が抜けているようだから』

「そうなの?」

 エステルは目をみはる。――確かに、入学直後のメルクリオは少し冷たい印象だったが、ソレイユが言うほど張りつめているようには見えなかった。

『クロノスや僕らでは、ああはいかなかっただろうから。やっぱり、心を許せる誰かがそばにいるっていうのは大事なんだろうね』

 そっか、と呟いて、エステルはうつむいた。まっすぐそんなふうに言われると、さすがにこそばゆい。ひとり照れ臭くなっていた彼女はけれど、そこであることに思い至って、顔を上げる。

「でも……ルーナだって、ずっとそばにいるでしょ? 私なんかより、うんと長い時間」

 尻尾を揺らすソレイユに、彼女は純粋な疑問をぶつけていた。その瞬間、彼の両耳がぴくりと動く。仮の顕現体は顔がほとんど動かない。けれど、ほんの少し、表情が翳ったように思われた。

『そう、なんだけどね。ルーナではだめなんだ』

「どうして?」

『僕らは……メルクリオに、憎まれているだろうから』

 エステルは息をのんだ。相槌のひとつも打てなかった。けれど、一瞬の硬直が解けると、怒涛のように言葉が思い浮かんで、流れ出る。

「そんな――! メルクがルーナを憎むなんて、そんなこと、あるわけ……!」

 思わず叫んでしまった。けれど、ソレイユは動じない。本当に置物になってしまったかのように、そこに座っていた。

『エステルは、大図書館の番人がどうやって番人になるのか知ってる?』

 少女は、語り聞かせるような問いに怯んだ。え、とかすれた声がこぼれる。

「知らない、けど……」

『そう』

 ソレイユは、少女に呆れることも怒ることもせず、ひょいと立ち上がった。近くにあった梯子の二段目に飛び乗って、彼女を見下ろす。

『ねえ、助手のお嬢さん。仕事をしながらでいいから、昔話に付き合ってくれるかい?』

 そう問うてくる陽光の精霊は、どこまでも静かだ。外や応接室での自由奔放な振る舞いが嘘のように。

 エステルは息を詰め――緊張の面持ちでうなずいた。

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