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44 太陽の猫(1)

 約二週間後、試験の結果が出た。一年〈鍵の教室〉の生徒たちは、みんなが合格点に達していたらしい。マルセルなどは「補習にならなかった」と安堵していた。そして、別の理由で安堵している生徒もいた。

「よ……よかった……全部七十点超えてた……」

 その声を聞いたメルクリオは、机に突っ伏しているエステルを振り返る。

「首が繋がったな」

「うん……生きながらえた……」

 彼がささやくと、助手の少女は気の抜けた笑みを浮かべた。

 エステルが大図書館の番人の助手となる条件――そのひとつが、「学期末試験で各教科七十点以上を取ること」である。父親の身の潔白を証明するまで何が何でも助手で居続けたいであろうエステルは、試験勉強も熱心に取り組んでいた。いや、メルクリオから見れば、鬼気迫る様子だった。

 その緊張が解けたせいか、エステルはすっかり溶けてしまっている。口もとをほころばせたメルクリオは、彼女の前に立つと、その頭を軽く小突いた。

「これからもよろしく」

 彼が悪戯っぽくほほ笑むと、助手は嬉しそうに頬を染めた。

「うん。よろしくね」



     ※



 その次の休日。メルクリオとエステルはグリムアル大図書館の前にいた。今日のおもな仕事は、図書館周辺の掃除である。

 夜中から朝にかけて雨が降っていたので、草木はしっとりと濡れていた。少年少女は足や膝を汚しながら、枯草や小さな枝を拾い集める。ついでに、無秩序に伸びていた雑草なども少し抜いた。

 そして、動き回っているのは子供たちばかりではない。

「なぜ俺まで参加させられているのか……」

 首をかしげたのは、大図書館監査員、クロノス・タウリーズである。コートを脱いで、上下の袖と裾をまくった彼は、湿った枯れ枝を軒先に運んだところだった。

「しょうがないだろ。たまたま今日来たんだから」

 そこに追加の枝を投げ入れながら、メルクリオが答える。彼もさすがに番人の正装たるローブを脱いで、地味な色合いのシャツとズボンを着ていた。古着なので、いくら汚れても問題ない。

 ひと息ついた少年を見上げて、監査員は眉をひそめる。

「いや、しかし。これは俺の仕事ではないだろう」

「体のちっさい俺たちだけじゃ、いつまで経っても終わらない。悪いけど一緒に働いてくれ」

「……そう言われると拒めない……」

 ぶつぶつ言いながらも、クロノスはすぐさま枯れ木の近くに立てかけてあった箒を手に取る。慣れた手つきで落ち葉を寄せて、草の集積場となっている木陰に寄せた。その姿を見て、メルクリオは口元をほころばせる。

「今日はお茶だけじゃなくて、お茶菓子も出さないとだな」

『干し葡萄のケーキなんてどうです? エステルに焼いてあげたものが、まだ残っていましたよね』

「お、いいね」

 ルーナの提案に笑みを返しながら、彼もまた枯れ枝を集めはじめた。


 一方、エステルはあちこち駆け回りながら、大きな籠に枯草を集めていた。箒が一本しかない上に、その一本も子供が使うには長すぎるため、彼女は籠を使うことになったのである。野ウサギのように移動しながら、花でも摘むかのような勢いで落ち葉を拾っていく。このような作業は、嫌いではない。むしろ、昔を思い出して落ち着くのだった。

 鼻歌を歌いながら作業していたエステルは、籠の半分が埋まったところで手を止める。額ににじんだ汗をぬぐった。

「ふう、あっついあっつい。冬でも、動き回るとあったかくなるもんだね」

 大きな独り言をこぼした彼女は、大きく伸びをする。その拍子に汗の玉が伝い落ちてきた。頬まで流れてきたそれを拳でぬぐう。

「……んー?」

 そこで、エステルは首をひねった。

 なんだか暑すぎる気がする。いくら動けば体が温まるとはいえ、今は冬。先日は雪も降ったし、今朝だって雨が降っていた。だというのに、春のような温かさを感じるのはさすがにおかしい。

 エステルがそわそわとあたりを見回したとき――目の前を橙色のものがよぎった。「わっ」と叫び声が弾けた直後、アエラが不自然にざわめく。


『はじめまして、お嬢さん。葉っぱ集めは順調みたいだね』


 どこからか声がした。明るく高く、それでいてからりとした声。出所のわからない音に驚いたエステルは、籠を抱きしめて頭を左右に振る。

『僕も手伝いたいところだけど、この体じゃあ、ちょっとねえ。枯草ぜんぶ炭にして、当代に怒られそうだ』

 声は続けて響く。エステルはそれを聞いて、はっとした。奇妙に反響しているのでわかりづらかったが、音がするのは左右からではない。彼女の下――足もとからだ。

 おそるおそる視線を落とす。そこにいたのは、橙色の猫。

「猫……?」

 疑問が口から滑り出る。彼女を見上げているそれは確かに猫だが、猫ではない。仔猫のような体格で、毛らしきものは見当たらず、両目は取ってつけたような楕円形だ。色合いはともかく、姿かたちは陶器の置物のように見える。

 少女の視線を受け止めた猫は、四つ足で立ち上がって伸びをした。仕草はとても猫らしい。

『いいだろう、この姿。使える力は限られるけれど、結構気に入っているんだ』

 猫は、妙に誇らしげに顔を上げる。動きに合わせて、橙色の光が舞った。幻想的な――とても現実とは思えぬ光景を前にして、エステルは考えるより先に口を開く。

「メルクー! 猫が! 喋って光る橙色の猫がいる!!」

『ぎゃわああ!? いきなり当代呼ぶのかよ!?』

 猫が尻尾を立てて飛びのいた。しかしエステルは気づいていない。怪訝そうな番人に向かって、全力で手を振った。彼は面倒くさそうな表情で彼女の方に近づいてくる。そばにはクロノスもいた。

「騒がしいな。猫がなんだって――」

 草を踏み越えてやってきたメルクリオが、ぴたりと固まる。まじまじと猫を見下ろす彼の隣で、ルーナも羽を張った。

「ソレイユ?」

 番人と館長が、揃って素っ頓狂な声を上げる。エステルがその言葉の意味を問う前に、猫がその場でひらりと舞った。

『やあ、メルクリオ。元気? ちゃんと食べてる?』

「いや、待て。なんでいるんだ、あんた」

『なんでって。様子見にきた』

 猫――ソレイユは、あっけらかんと言い放つ。愕然とするメルクリオに代わり、ルーナが彼の真上に飛んで、目を怒らせた。

『来るときは先に教えてって、いつも言ってるじゃないですか』

『ごめーん。今回はお忍びで来たかったから』

『そんな理由が通用しますか! 私たちが魔族の封印中だったら、どうするつもりなんです?』

『え、助太刀するかな』

 声を尖らせるルーナに対して、ソレイユはまったく悪びれる様子がない。ふたりの言いあう声を聞いて、エステルは気がついた。肉声と違う反響をするこの声は――精霊のものだ。

「えっと……メルク、この猫さんと知り合いなの?」

「……んんー、うん。知り合いというか、なんというか」

 頭を抱えたメルクリオは、かろじて声を絞り出す。それから、苦い顔をエステルに向けた。

「彼はソレイユ。陽光から生まれた精霊で……グリムアル大図書館の、先代館長だ」

 エステルは目をみはる。少年と精霊たちを忙しなく見比べた。

「先代、館長? そういえば、前にルーナが『代替わりしただけ』って言ってたけど」

「ラステアの封印のときだな。よく覚えてるな、あんた」

 目を細めた少年は、じゃれあう精霊たちをながめる。

「だいぶん前……俺が番人になるずっと前に代替わりしたらしい。それから、こうして時折、番人と館長の様子を見にくるんだ」

「そうなんだ」

 うなずいたエステルは、メルクリオの視線を辿る。ソレイユはルーナを捕まえようとしたらしいが、ひらりと上に逃げられてしまった。行動が完全に猫のそれである。

「猫さんの姿は……顕現体なんだよね。えっと、本物?」

「いや。あれも、使える力を制限した仮の姿だよ。本来の顕現体はもっと大きい」

 メルクリオはすぐに答える。エステルのつたない言葉から知りたいことを汲み取ってくれるのは、さすがだった。エステルが感心していると、ルーナが風に舞う木の葉のように戻ってくる。それを追って、ソレイユも駆け寄ってきた。

『今は誰とも契約してないから、この姿になる義務もないんだけどね。こっちの方が小回りが利くから、愛用してるんだ。色々得だし』

「普段、人里で何やってんだ? あんた」

 げっそりと肩を落としたメルクリオを見上げ、ソレイユが尻尾を揺らす。

『で、なんか変わったことあった? 絶対あったよね? 見たことない人間の女の子がいるもんね?』

「あーはいはい、そうですね。変わったことはてんこ盛りだったよ」

 詰め寄ってくるソレイユに手を振って、メルクリオはさりげなく距離をとった。

「細かい話はあと。今は、片づけを終わらせよう」

 エステルは籠を見下ろしてうなずく。困惑して固まっていたクロノスも「了解した」と答えて箒を持ち直した。

『じゃあ、僕は応援してるー』

「はいはい。俺たちのまわりを適当にあっためておいてくれ」

『精霊を焚火扱いとは、やるね、君』

 そんなふうに言いながら、ソレイユも飛び出した。エステルが枯草の集積場に向かおうとすると、その斜め後ろをぴったりとくっついてくる。

『お嬢さん。名前、なんだっけ』

「……エステルです。エステル・ノルフィネス」

 彼女がひるみつつ名乗ると、ソレイユは軽く首をかしげた。が、すぐに『ま、いっか』と呟いて見上げてくる。

『おおよそはメルクリオから聞いたと思うけど。先代館長のソレイユだ。よろしくね、エステル』

「あ、はい。よろしくお願いします」

『ふふ。敬語はなくても結構だよ。むずがゆいから』

 陽光の精霊は、そう返して大きなあくびをする。エステルは小さく笑い声をこぼした。

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