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43 転換の日

 グリムアル魔法学校期末試験・当日。舞台となる学校の上空は灰白色の雲に覆われていた。昨夜から急激に冷えた空気は太陽によって温められることもなく、冷たいまま天地の狭間を揺蕩っている。人通りの絶えないはずの街中は、けれど奇妙に静まり返っていて、冬の使者の到来を人々に予感させていた。

 そして、学校の中も今日は独特の緊張感に包まれている。満ちては散らばるアエラと、胸をざわつかせる鉄筆の音。それらが入れ替わりに響くばかりだ。一方で、その静寂をよそに校舎内を全力疾走する者がいた。

 一年生の少年。入学式から三か月が経ってもまったく変わらない、幼い顔立ちだ。けれど、灰青色の両目には、子供とは思えぬ静かな光が揺らめいている。無人の廊下を駆け抜けて、階段を一段飛ばしで上った彼は、誰もいない場所で小さく口を開いた。

「ルーナ、状況は?」

 鋭いささやきが漏れる。彼――メルクリオの問いに、肩の上で揺らめく金色の光が答えた。

『芳しくありませんね。アエラはまだ膨張を続けています。教室から漏れ出してはいないようですが……』

「教師が抑え込んでくれてるかな」

『おそらくは。ですが、それもいつまで持つかわかりません』

「だな。急ごう」

 ひとつうなずいたメルクリオは、再び床を蹴った。

 彼はちょうど、最後の試験を終えたばかりだった。そのときに魔法暴発の兆候を感じ取ったため、大急ぎで現場に向かっているのである。転移魔法を使う方が早いのだが、生徒たちがいつも以上に気を張っている今、アエラが大きく動くような魔法を使いたくはなかった。そのため、もっとも原始的かつ確実な方法を選んだのである。

 できる限り足音を殺して走り続けたメルクリオは、ひとつの扉の前に辿り着く。その先から、頭が痛くなるほど強烈なアエラの気配が流れ出ていた。

『結界を張ります』

「うん。頼む、ルーナ」

 ふわり、と丸い光がふたりのまわりに飛び出した。それは増えて、集まり、薄い白金の膜を作り出す。それを確かめたメルクリオは、把手に手をかけ、力を込めた。扉はあっさりと内側に動く。指一本分ほど開いてから、ひと息に開け放った。

 その瞬間――低い音と、アエラの熱波が押し寄せた。

「――()()()! 気をつけろ、番人殿!」

 室内から鋭い忠告が飛ぶ。メルクリオは応える代わりに跳んだ。その瞬間、彼が先ほどまでいた場所に巨大な棘が顔を出す。教室の中に踏み込みながら器用にそれをかわしたメルクリオは、そのままの勢いで飛んできた礫を避ける。小さく動き回りながら、教室に目を巡らせた。かたいはずの床には無数の穴が開いている。不規則にえぐられているように見えるが、よく見ると、うねりながら道を描いていた。その道の先にはコルヌ・タウリーズと見知らぬ男性教師がいる。男性教師は、まだ幼い顔立ちの少年を抱えていた。目を閉じて、手足をだらりと投げ出している少年の方から凄まじい勢いでアエラが放出されている。魔法を暴発させた張本人と見て間違いないだろう。

「……よし」

 メルクリオは呟いた。あふれ出るアエラの流れに意識を集中させて、その流れから逃げるように跳ぶ。アエラはすぐさま追ってきた。その動きに反応して、再び床がえぐられる。飛び出した石の棘がメルクリオに襲いかかった。

「『風よ』、『渦巻き集い、壁となれ』!」

 早口の詠唱に呼応して、どこからともなく風が吹く。それは石の棘を次々と弾き飛ばした。ごく短い空白の中で、メルクリオはアエラの流れを辿る。風がやむと同時に、駆け出した。

 今度はぼこぼこと地面が鳴り、モグラの移動の跡のように盛り上がった。それは少年の足もとめがけて迫る。躍るようにその攻撃をかわしながら、彼は叫んだ。

「コルヌ、下だ!」

 アエラを教室内に留めることに集中していた教師は、大図書館の番人の声に目を見開く。戸惑ったように、足もとを見下ろした。

「……下?」

「そこじゃなくて、壁際! 棚の後ろ!」

 コルヌたちの後ろには、背の低い棚がある。魔法に関する教本がいくらか入っているだけだが、その教本がいかにも重そうだ。

「うお、無茶言うなあ」

 コルヌはぼやきながらも動き出した。もう一人の教師と協力して、棚を少しだけ前に動かす。そうしてできた壁と棚の隙間を、まずは男性教師がのぞきこんだ。

「うわっ、ありましたよ、呪文。こんなくっきり刻まれているのに、全然気づかなかった」

「あー……こりゃ、アエラを隠す魔法も一緒に仕掛けられてますね。手の込んだことを」

 後に続いたコルヌが、感心したようにそうこぼす。二人の会話を聞きつけたメルクリオは、再び飛んできた礫を見据えて、手を伸ばした。

「『向かい風は追い風に。乾いた土地は雨雲に。嵐は凪に。砂は星に。あらゆるものは逆転する。あらゆるものは逆流する。我が指の下に入り、我が命の一部となる』」

 天に向けた手をわずかに奥へ動かす。ちょうど、手招きするかのように。すると、これまでメルクリオの方へ押し寄せていたアエラが急に静まった。それらは穏やかな流れとなり、彼の中へ入ってくる。

 延々と膨れ上がり暴れ回る、他人のアエラ。その一端を取り込んだメルクリオは、軽く顔をしかめた。

「これは――」

 呟く声は、彼だけのものではない。

 呼吸を整えたメルクリオは、先ほど手招きした方の指で虚空を弾いた。取り込まれたアエラが解放されて、一斉に弾ける。

「よし。その呪文消してくれ、コルヌ」

「はいよ。ちょっと時間かかるかもしれないんで、踏ん張っててくれ」

 力の抜けた返答があってから、少し経って。メルクリオとルーナは、明らかな変化を感じた。熱を帯びて暴れていたアエラが、すうっと冷やされ、落ち着いていく。どこか苦しげだった男子生徒の表情も少しだけやわらいだ。

 破壊の渦にのまれていた教室に、平穏と静寂が戻る。すべてのアエラが静まったことを確認して、メルクリオは長いため息をついた。こらえきれず、膝に手をついてうなだれる。

「やっと収まった……」

「どうも。お疲れさん」

「ああ。コルヌたちも、お疲れ様」

 棚を元に戻したコルヌがいつもの調子で歩み寄ってくる。男子生徒のことはもう一人の教師に任せたらしい。『教え子』を見下ろした彼は、緑の目を細めた。

「……で、『検証』の結果はどうだった?」

「ああ、うん。確証は取れた」

「つまり――」

 眉を上げた男に、メルクリオはうなずいてみせる。

「学校の魔法暴発と〈封印の書〉の暴走は、俺たちの知らない誰かが仕組んだもの。そして――どちらも、同じ人のしわざだ」

 〈封印の書〉の暴走と学校での魔法暴発は、同一犯が仕組んだものかもしれない。メルクリオがその可能性を真剣に考え始めたのは、一年〈鍵の教室(クラヴィス)〉で魔法暴発が起きてからだった。その確証を得るため、メルクリオとコルヌ、そしてリアンはあることを決めた。「次に魔法暴発が起きたときは、大至急メルクリオに知らせること」そして、メルクリオは「必ず現場に行くこと」だ。結果、今回の事件が起きて、メルクリオは駆けつけたわけである。

 そのおかげで、いくつかのことがわかった。まずは、二つの事件が『知らない誰か』によって仕組まれたものであること。そしてもうひとつは、犯人の意図だ。

『あの魔法、明らかにあなたを狙ってきていましたね』

 それを指摘したのは、ルーナである。

「そうだな。犯人は俺を倒すか殺すかしたい、ってことかな?」

「それか、大図書館の番人そのものに恨みがあるか……」

 人間二人は、深刻に考え込む。苦々しく目を細めたメルクリオの向かいで、コルヌがまじめくさって顎をなでた。

「あるいは、グリムアル大図書館の中の物を狙ってるか? そのために、守護者である番人を無力化しようとしている可能性もあるな」

「中の物……」

 その言葉を聞いた瞬間、メルクリオの脳裏にいくつかの単語がよぎる。

 〈封印の書〉、〈災厄の魔人〉、そして――

「いや、まさかな」

 彼は慌ててかぶりを振った。黒い海に潜りかけた思考を引きずり戻す。不思議そうに頭を傾けている教師を見上げた。

「あとは、エステルに様子を聞いてみるよ。協力ありがとう」

「いやいや。協力してもらったのはこちらだからな。生徒の様子はまた知らせる」

「ああ。頼む」

 事務的なやり取りを終えると、メルクリオは時折振り返りながらも部屋を出た。穴だらけの教室の後始末をコルヌに丸投げするのは気が引ける。しかし、彼も急がなければいけない。心の中で担任教師に謝罪して、少年は駆け出した。


 そうして、メルクリオとルーナが向かったのは――魔法学校の学生寮。貴族の城館を思わせる建物そのものではなく、その下に広がる外庭である。男女で分けられている学生寮の中で、そこだけは区分けに関係なく集まれる憩いの場だった。

 白い石畳と芝できれいに整えられた道を、解放感たっぷりの子供たちが駆け回っている。メルクリオは、追いかけっこをする少年たちを軽くかわして、あたりを見回した。

 庭の端、小さな池のそばに探し人はいた。彼女は長い金髪をなびかせ、全力で手を振っている。

「メルク、こっちこっち!」

 同級生であり助手である少女は、人目をはばからず彼の名前を呼んだ。メルクリオは軽く肩をすくめてから、彼女のもとに駆け寄る。

「エステル。いきなり仕事投げて悪かったな」

「大丈夫。メルクの声がしたときはびっくりしたけど、ちゃんと見てたよ」

 エステル・ノルフィネスは、力強く拳を握った。

 ふたつの事件の犯人に迫るため、メルクリオは彼女にも協力をお願いしていた。今回の魔法暴発に気づいてすぐ、自分より先に試験を終えていた彼女に連絡し、寮にいる生徒たちを見張っていてもらったのである。

 彼らの中に犯人がまぎれている可能性も、否定しきれない。試験中の子たちに対しては教師が目を光らせているはずで、試験が終わった子は寮に帰される。であれば後者をメルクリオかエステルが見ているしかなかった。

「で、どうだった?」

「うーん。見た感じ、怪しい子はいなかったよ。うちの教室のみんなも、試験終わりでへばってたし。あ、ヴィーとユラナスは涼しい顔だったけど」

「寮の外に出ようとした生徒はいたか?」

「いなかった、と思う」

「ふむ……」

 であれば、『知らない誰か』は生徒ではないのだろうか。眉を寄せてしまったメルクリオの前で、エステルがつま先立ちになって顔を突き出す。

「大図書館の方は?」

「ギャリーさんに、いつもより入念な見張りを頼んである。今のところ、人は来てないってさ」

 メルクリオはこめかみのあたりをつつく。納得したのか、安心したのか、エステルの両肩から力が抜けた。

「でも、そうなると、犯人は何がしたいのかなあ?」

「……やっぱり俺が狙われてるのかな」

 暴発した魔法のことを思い出して、呟く。メルクリオとしては冗談のつもりだったのだが、エステルは目を剥いた。

「ええ!? それはそれで嫌だよ!」

「なんで」

「なんでも!」

 少女は聞き分けの悪い子供のようにかぶりを振って、少年に飛びかかる。彼が抗議しようと下とき――別の方向から声がかかった。

「あれっ、メルクリオじゃねえか」

 二人は声の方を振り返る。男子寮の方から、赤い髪の少年が走ってきた。マルセル・グラディウス――彼の後ろからは、やはりというか、カストルとポルックスの二人もついてきている。

「珍しいな、こんなところで会うなんて」

「あー、うん、まあ。今日はほら、試験だったし」

 無邪気な声掛けに、メルクリオは頬を引きつらせる。普段は点呼と食事のとき以外寮にいません、などと言うわけにはいかないので、適当にごまかした。幸い、マルセルたちは「そりゃそうか」と納得してくれる。

「メルくんは試験も余裕だったんだろうなー」

「メルくんだもん。ユラナスみたいにへーぜんと終わらせたでしょう」

 双子がひょっこり顔を出し、琥珀色の瞳をきらめかせる。メルクリオは遠くを見て、頬をかいた。

「いや、余裕ってわけじゃ……別に、普通だったよ」

 彼としては軽く応じたつもりだったが、それを聞いた双子はいきなり高い声を上げる。

「うわー! 聞いたかポルックス!」

「聞いた聞いた! 『普通』なんて言う人が、一番よゆうなんだよねえ!」

 きゃあきゃあと騒ぐ少年たちを見て、メルクリオは思わず「めんどくさ」と呟いてしまう。隣で、エステルが乾いた笑いをこぼした。

 カストルたちの大はしゃぎが落ち着いたところで、マルセルが目を輝かせて二人を見てくる。

「ところでさ。おまえらの応用実技試験は、どんなだったんだ?」

 メルクリオとエステルは、思わず顔を見合わせた。

 学期末試験では、「筆記試験」「口述試験」「実技試験」の三つが行われる。各試験の合計点で合格か不合格かが決まるかたちだ。

 さらに実技試験は、学年の全員が同じ課題に取り組む「基礎試験」と生徒ごとに違う課題が出される「応用試験」の二つに分かれていた。後者は生徒一人ひとりに対して行うため、かなり時間を食う試験だ。だからか、今日の段階では応用実技試験が終わっていない、という生徒もそれなりにいる。幸い、一年〈鍵の教室〉は今日中に全員がすべての試験を終わらせられた。

「えっとね。私は、宙に浮いたちっちゃなランプに、魔法で光を灯して三分維持する、っていう試験だった」

 少年の質問に意気揚々と答えたエステルは、「しんどかったあ」とこぼして空を仰ぐ。それを聞いたカストルとポルックスが飛び跳ねた。

「それ、めちゃくちゃ楽しそう!」

「……二人なら、あっさりできちゃいそうだねえ」

 声を揃えた双子に、エステルは苦笑する。

 熱心にうなずいたマルセルが、メルクリオに視線を移した。

「メルクリオは何したんだ?」

「俺は……あー……」

 彼はつかの間言いよどむ。記憶を辿ると、自然と顔がこわばった。言ってよいものか、と迷ったが、三方から期待に満ちたまなざしを向けられては、応えないわけにはいかない。

「タウリーズ先生が作った、石の巨人と戦った……」

 メルクリオがぼそりと答えると、少年少女は凍りついた。立ち尽くした少年少女のそばを、二年生と思しき生徒数人が駆け足で通り過ぎていく。

 しばしの沈黙の後、青ざめた四人は肩を震わせ――爆発した。

「それもう一年生の試験じゃない!!」

「俺もそう思う」

 苦々しい相槌は、哀愁をはらんで響く。

 叫び声の余韻が消え、新たな声に上書きされた頃、灰色の空から雪がはらりと舞い落ちた。

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