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閑話 学生寮の朝

 朝の訪れを知らせるのは、鐘の音だ。といっても大きく荘厳な音ではなく、耳元で鳴り響く、小気味いい音である。寮監が契約している魔族が毎朝、魔法の小鐘を持って寮中を飛び回っている……そうなのだが、彼らの姿を見た生徒はほとんどいない。

 その日、鐘の音で目を覚ましたエステル・ノルフィネスも、魔族の姿を見ることは叶わなかった。しかし、気にすることなくもぞもぞと布団から這い出る。最初の頃は魔族の姿が見られないことを残念がったりもしたものだが、数か月を過ごすうちに「そういうものか」と受け入れていた。

 あくびをこぼして、伸びをする。そうしていると、上からひょっこりと少女の顔がのぞいた。ユラナスよりもやや長い、やわらかな色合いの茶髪がさらりと落ちる。

「おはよう、エステル」

「あ、おはよー、カルメ」

 軽く目をこすりながらエステルが返すと、同居人のカルメ・ポリスは手を振ってくれる。

 エステルが髪を軽く梳いて寝台を出たところで彼女も下りてきた。二人部屋の寝台は二段になっていて、梯子を使って上り下りする形になっている。

 カルメは眠そうなエステルを見てか、さりげなく声をかけてきた。

「体調はどう? 目、回らない?」

「あ、うん。平気だと思う」

 先日の一時帰宅の後、エステルはしばらく体調を崩していた。わかりやすい風邪などではなく、ふいにぼーっとする、時々急激なめまいに襲われる、といった具合だ。精神を乗っ取られた影響が残っているのだろう、というのがオフィークス先生と大図書館の番人の見立てである。エステル本人はそれで納得したし、時間が経てば治るだろうということだったので、さほど動揺もしなかった。

 ただ、事情を知らない周囲の生徒にはかなり具合が悪そうに映ったらしい。カルメをはじめとする一部の生徒にはかなり心配された。同室であるカルメはここ最近、常にエステルの様子を見て、先ほどのように声をかけてくれる。

 そのことにありがたさと申し訳なさを同時に覚えつつも、エステルはいつもと変わらぬふうに振る舞った。身支度を整え、二人揃って部屋を出ると、すでに生徒たちの姿があった。今日は授業がないからか、みんなローブも身につけず、思い思いの服装をしている。

 やや駆け足で食堂に行くと、すでに人でごった返していた。二人して「わあ、大変」などと言いながらも、なんとか食事を受け取って席を確保した。ほっと一息ついたとき、喧騒の狭間から、聞き覚えのある声が響く。

「あ、エステル。おはよう」

「ユラナス、ヴィーナも! おはよう!」

 トレイを持ったユラナスが、二人に手を振っていた。隣にはヴィーナもいるが、彼女は軽く会釈しただけだ。

「彼女は、同室の子?」

 緊張した様子のカルメを見やって、ユラナスが首をかしげる。「そうそう!」とエステルが答えたところで、隣の少女が慌てた様子で進み出た。

「えっと、〈杖の教室(バークルマ)〉のカルメ・ポリスです。はじめまして」

「〈鍵の教室(クラヴィス)〉のユラナス・サダルメリクです。よろしく。こっちは同じ教室のヴィーナね」

 軽やかに自己紹介したユラナスは、隣の少女を振り返る。ヴィーナはそれを聞いてか、先ほどよりも丁寧に礼をした。

「ヴィーナ・ヴェル・マーレです。お見知りおきを」

「あっ――よ、よろしくお願いします」

 カルメは、その丁寧な挨拶におずおずと返した。それを見て、エステルは軽く首をかしげる。自分と初めての挨拶をしたときは、ここまで緊張していなかったはずだ。やはり名家の子相手となると気を遣うのか――別の理由があるのか。

 エステルが違和感を抱いていることに、気づいているのかいないのか。ユラナスが、彼女の方を見て「ねえ」と顔を突き出してくる。

「せっかくだし、一緒に食べない? 案外、食堂で一緒になることって少ないでしょ」

 はっとしたエステルは、頬をかく。

「それもそうだねえ」

「ね。学校では君、いつもメルクリオさんと一緒だし」

「み、見られてたのかー」

 別にやましいことをしているわけではないのだが、目撃されていると思うとこそばゆい。なんとなく同級生から視線を逸らしたエステルは、寮の同居人を振り返った。

「カルメが大丈夫ならいいよ」

「私? あ、うん、大丈夫だよ」

 カルメはすぐさまそう言ったが、笑顔はどこかぎこちない。エステルは思わず首をかしげたものの、追及せずに座った。

 それぞれに食前の挨拶をして、食べ始める。

「ふふ、今日はいい朝だ。果物以外のデザートつきとは。果物も好きだけどね、もちろん」

「なんか特別感あるよねえ。あと、これ美味しいから好き」

「今日はお肉が控えめでよかった……」

「ヴィーナ、お肉嫌いなの?」

「嫌いではないけど。朝から大きなお肉を食べるのは、辛いわ」

 最初のうちはそのような会話をしながら食べ進めていたが、あるとき、カルメが食事の手を止める。それに気づいたエステルが顔を上げたとき、彼女は身を乗り出した――ヴィーナの方に。

「あ、あの、ヴェル・マーレさん!」

「何かしら」

 ヴィーナはいつものように顔を上げる。直後、カルメは勢いよく頭を下げた。

「……この間は、ごめんなさい!」

 ヴィーナが目を見開いて固まる。動きを止めたのは、エステルやユラナスも同じだった。三人がまじまじと見つめる中、カルメはうつむいたまま言葉を続ける。

「リシテアたちが悪口言ってたの、すぐ近くで聞いてたのに……止められなくて……!」

 続きを聞いても、エステルにはなんのことかわからなかった。しかしヴィーナは何かを思い出したように声をこぼすと、身を乗り出して相手の顔をのぞきこむ。

「あのときの子たちの近くにいたのね。確かに、見覚えがある」

 カルメが細かく肩を震わせる。痛ましい姿に思うところがあったのか、ユラナスがやんわりと口を挟んだ。

「えっと、なんの話?」

「わたしの魔法が暴発した後、別の教室の子がその話をしてきたことがあったの。あれは……からかっていた、のかな」

 考え込むそぶりを見せたヴィーナは、今なお戸惑っているエステルたちを見て補足する。

「前に、カストルとポルックスが怒りながら話してたでしょう?」

「あ……ああ! あれか!」

 ユラナスが手を叩く。エステルも、そこまで聞いて思い出した。少し前、ウィンクルムの双子がぷりぷり怒りながら「よその女子がヴィーとうちの悪口を言った」ということを話していたのだ。当のヴィーナが気にしているふうではなかったので、エステルもあまり気にしないようにしていたのだが。

「カルメ、その場にいたんだ」

 そう話しかけると、同室の少女は恐る恐る顔を上げ、うなずく。

「あのときヴェル・マーレさんに突っかかってたの、うちの教室の子なんだ。リシテアっていう女子と、その取り巻きたち……。わざと聞こえるように言ってるみたいだったから、止めようかと思ったんだけど……あの子たちににらまれると何されるかわからないから……怖くて……」

 彼女の弁解は弱々しく響く。さらに、尻すぼみに消えていった。最後にはうなだれて「ごめんなさい」と繰り返す。

 エステルとユラナスは顔を見合わせたが、ヴィーナは何事もなかったかのようにスプーンを手に取った。

「どうしてあなたが謝るの? あのとき、一緒に『おしゃべり』をしていたわけじゃないでしょう?」

 そして、心底不思議だ、といわんばかりに首をかしげていた。カルメはその顔を唖然として見ている。

「は、話してたわけじゃないよ。でも、近くにいて……」

「なら、気にすることないわ。わたしも気にしていないから」

 ヴィーナはあっさりと言って、スープを口に運ぶ。カルメは、こぼれ落ちんばかりに両目を見開いていた。

 エステルは頭を抱え、ユラナスは肩をすくめる。

「意外と寛大だね、ヴィーナ嬢」

 ヴィーナは、からかうように目を細める同級生から顔をそむけた。

「カルメさんは無関係。それだけのことよ。あのときはメルクリオさんが間に入ってくれて、丸く収まったし」

「丸く収まった、ねえ。そうだといいけど」

 にやにや笑ったユラナスは、ちぎったパンをスープにつける。ヴィーナも楽しそうな級友に湿っぽい視線を送っていたが、すぐ淡々と食事に戻った。

 カルメは唖然として二人を見比べていたが、まわりで響く食器の音や話し声で我に返ったらしい。改めて、ヴィーナに向けて頭を下げた。

「えっと、ありがとう……」

 頭を下げられた側の少女は、しきりに目を瞬きながらも「ええ」と返した。

 食堂の一角が乾いた空気に包まれる。険悪というほどでもないが、どことなく落ち着かない。エステルは気まずさを抱えながら、付け合わせの葉物野菜を頬張っていた。

 彼女が野菜をのみこんだところで、カルメが、あっ、と声を上げる。

「あれ――じゃあ、あのときの男の子が、メルクリオくん?」

 それを聞いて、エステルは食事の手を止めた。ユラナスもパンを置いて向かいの席を見る。

「おや、我が教室の天才少年をご存知で?」

「ご存知というか……エステルがよく話してくれるから」

「へえ? なぁるほど?」

 〈鍵の教室〉の優等生が口角を上げた。狭まった茶色の瞳が、新たなおもちゃを見つけた、と語っている。エステルはとっさに視線を逸らしたが、見逃してもらえなかった。

「なになに、どんな話してるの?」

「そ、そんな大したことじゃないよ……。最近だと、よく勉強見てもらうから、その話とか。授業で見たことない魔法を使ってたとか」

「とっても物知りだし、優しいんだ! って嬉しそうに話してたよね」

「待って待って! カルメ待って!」

 エステルは慌てて手を振ったが、それで宙に吐いた言葉が消えるはずもなく。話を聞いたユラナスがほほ笑ましそうな顔をする。さらに、パンを手にしたヴィーナが吹き出した。

「あなた、本当に“メルクくん”が好きなのね」

「すっ……!? ヴィーナまで!」

 つい叫んでしまったエステルは、真っ赤になった顔を覆う。

「もー! ヴィーナのこともヴィーって呼んじゃうぞ!」

「いいわよ。嫌いじゃないから、あの呼び名」

「ぐああああ」

 反撃するつもりが、さらに強い一撃を食らってしまった。こうなるともう、無意味に叫ぶことしかできない。

 ひとり悶絶するエステルを見て、ほかの少女たちはそれぞれに笑い声を弾けさせた。

 そんなふうに談笑して朝食を終えた後、ヴィーナが静かに立ち上がる。

「それじゃあ、図書室に行きましょうね」

「そうだね。ティエラさんと勉強会だ」

「え、ヴィーナが勉強会?」

 前にみんなで勉強会をしたときは「一人の方が集中できる」という理由で参加しなかったというのに、どういう風の吹き回しか。エステルが碧眼を瞬いていると、少女は気まずそうに言葉を付け足した。

「どうしてもわたしに聞きたいところがある、って言われたの。すごく必死そうだったから、今回だけなら……って」

「で、あたしはそこに便乗させてもらうことになった」

 席を立ったユラナスが、得意げに片目をつぶる。それを追うようにして、エステルも勢いよく立ち上がった。

「いいなあ! ねえ、それ私も参加していい?」

 ヴィーナは一瞬やりにくそうに眉をひそめた。しかし、「こちらの邪魔をしなければ……」と迂遠に許可を出してくれる。

「やった! じゃ、急いで勉強道具持ってくるね!」

「……勉強会ひとつで大げさね、あなた」

 全身を使って喜ぶエステルに、少女たちは温かい――あるいは、生温かい――視線を注ぐ。

 あきれているヴィーナの横で、ユラナスがいま一人の少女に目を留めた。

「カルメさんもよければどう?」

 エステルを見てほほ笑んでいた少女は、「えっ?」と裏返った声を上げて振り返る。

「ちょうど試験勉強はしようと思ってましたけど……私がお邪魔していいんですか?」

「勉強会といっても、図書室に集まって好きな勉強をするだけだから」

 束の間うつむいたカルメは、ぱっと顔を上げた後、三人を見回した。

「そういうことなら。参加させてください」

「やった! ぜひぜひ!」

「……ティエラさんがいいと言ったらね」

 エステルが満面の笑みで返し、ヴィーナはそっぽを向きつつそう呟く。

 カルメは、花がほころぶように笑ってうなずいた。


「よーっし! 勉強がんばるぞー!」

「うん。頑張ろう」

「……ユラナスさんも意外と張り切っているわよね」

「うん。試験でいい点取れたら『妖精の宝箱』亭の期間限定ケーキを買うつもりだからね」

「なんか、ユラナスの目がぎらぎらしてる」


 ささやかな変化を重ねながら、変わらないように見える日常を過ごす。そうして、魔法使いの原石たちは確かに前へと進んでいくのだ。

定期更新は今回で終了です。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

7月中にもう何本か公開するかもしれません。

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