表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/62

38 初冬のある日

 大きな窓から、うっすらと黄金色の光が差し込んでくる。昼と夕方の狭間の陽光は、ヴェールのように教室を包み込んだ。静かな部屋に響くのは、紙とペンのこすれる音。それから少し、人の声。

 そんな時間が長らく続き――あるとき、カラン、と小気味いい音がした。

「ふむふむ、だいぶわかってきたぞ」

「うんうん。だいぶ覚えてきた」

 よく似た顔の少年二人が、よく似た声で少し違う言葉を奏でる。その隣で、短い赤毛をかきむしっている少年が目を細めた。

「まじかよ……俺はまた同じとこ間違えた……」

 うっそりと呟いた少年の対面で、大人しげな少年が手を止める。彼は手元の帳面と本を見比べると、静かにうなずいた。

「なるほど、こういう感じか。試験勉強って面白いな」

「この中でそう思ってるの、メルくんだけだと思うよー」

「なんか、一人だけ見てる世界が違くないか……?」

 彼――メルクリオの発言に、同級生たちは微妙な反応を示す。率直な感想を述べたつもりだったメルクリオは、小さく首をかしげた。

 オロール王国に冬がやってきた。そして、王国が誇る学び舎のひとつ、グリムアル魔法学校は、いつもと違う空気に包まれている。――学期末試験の時が近づいているのだ。

 魔族が眠るグリムアル大図書館を守護する身でありながら、ゆえあって学生にまぎれこんでいるメルクリオにとって、試験は恐れるものでもなんでもない。落ち着きのない生徒たちを横目に、『本来の仕事』に日々勤しんでいた。しかしこの日、双子のカストルとポルックスから「勉強会やろうと思ってるんだけど、一緒にどう?」と誘われた。はじめは断る気でいたメルクリオだが、双子やほかの同級生の勢いにおされて、なし崩し的に参加することになってしまった。

 というわけで、試験勉強用に開放された教室に、一年〈鍵の教室(クラヴィス)〉の数人が集まっている。

「みんなで一緒に勉強するって、なんだか新鮮です」

「王宮だと、そういうのなさそうだもんな」

 この国の第三王女でもある同級生・ティエラの言葉に、赤毛の少年マルセル・グラディウスがうなずく。

「ヴィーナとユラナスも残ればよかったのになー」

 彼が頬杖をついてぼやくと、ティエラが頬をかいた。

「ユラナスさんは用事があるそうですから、仕方ないですよ」

「ヴィーにはふつーに断られた。一人でやった方が集中できるんだって」

 横から顔を出した双子が付け加える。

 本をめくりながら会話を流し聞きしていたメルクリオは、「まあ、人それぞれ合うやり方があるからな」と無難な相槌を打つ。

 彼の隣で椅子が鳴ったのは、そんなときだった。

「――ああっ、また間違えたー!」

 ひときわ元気のいい、少女の声が響き渡る。メルクリオは顔をしかめ、隣に座る少女を振り返った。

「エステル。さすがにうるさい」

「……あ、はい。ごめんなさい」

 のけぞっていたエステル・ノルフィネスは、メルクリオに注意されると静かに上体を起こした。ぐしゃぐしゃになった金の長髪を手櫛で整えながら、手元の本をにらんでいる。

「エステルさんは近代魔法史のお勉強でしたっけ」

 本を閉じたティエラに聞かれて、エステルは「うん」とうなずいた。答える声には覇気がない。

「どこ間違えたんだ?」

「……この問題」

 メルクリオが少し顔を寄せると、エステルはためらいながら設問のひとつを指さした。

「『魔法教育の普及・発展を目的にこの年に創設された教育機関を答えよ』……」

 問題文を小声で読み上げたメルクリオは、軽く顔をしかめる。

「九十年頃というと、あー、〈月桂樹の館〉じゃないか?」

「うん。私、いっつも魔法・研究省って書いちゃう」

「そっちは行政機関だな。〈月桂樹の館〉の運営元。しかも、今は教育省との共同運営だったはず」

「……ややこしい……」

 エステルが頭を抱えてうめく。メルクリオは、少しの間天井を見上げた後、エステルの本に目を戻した。

「んー……『施設は何か』『教育機関は何か』って聞かれたら〈月桂樹の館〉で、『行政機関は』『省庁は』って聞かれたら魔法・研究省って答えればいいんじゃないか。試験的には」

「あー、うん、覚える。覚えておく」

 少女は低くうなりながら、慌ててペンを取る。帳面に走り書きした彼女は、細長く息を吐いた。

「でも、できればもっとこう……知識として覚えたいなあ。こういうの」

「お望みとあらばいくらでも話せるけど」

 メルクリオは言ってから、眉を寄せる。口がすべった。

 そう思ったときにはすでに遅く、エステルが輝く瞳を彼に向けていた。

「本当?」

「……長くなるから、また今度な」

 メルクリオが頭をかいて付け足すと、エステルは「わかった! ありがとう!」と無邪気に笑う。安堵して正面に向き直ったメルクリオはけれど、同級生たちが顔を引きつらせているのを見て凍りついた。

 マルセルが、幽霊でも見るような視線を向けてくる。

「『いくらでも話せる』って何……? おまえマジでなんなの?」

「あー。いやー。えっと、本はたくさん読んでるから……」

「勉強馬鹿かー」

 双子が声を揃える。ずいぶんな言われようだが、メルクリオには反論する理由も余裕もない。

 さらに、ティエラまでもが怪訝そうに首をひねっていた。

「〈月桂樹の館〉が二省庁共同運営、なんて話は一年生ではやらないらしいですけど……すごいですね、メルクリオさん」

「あ、そうなのか? 知らなかった。いや、本当に知らなかった」

 メルクリオは、明後日の方を向いてごまかす。直後、エステルと目が合った。『番人の助手』でもある彼女だけは、納得したとばかりにほほ笑んでいる。番人は少し腹立たしかった。

 ため息をついたメルクリオは、ふと隣を見やる。帳面の端、まるっこい走り書きの文字を追って――灰青の瞳が少し翳った。

「……試験に出るのか、これ」

 頬杖をついて。いやだな、とささやいて。自分の手もとに視線を落とす。

 エステルは、そんな少年の様子を不思議そうに見ていた。しかし、すぐにうなずいて両頬を軽く叩く。

「よっし! もうちょっと頑張ろう!」

「気合入ってるねー。エステル」

「まあね!」

 双子に元気よく答えた彼女は、再びペンを握った。

「今度、一時帰宅するからさ。それまでにできるとこまで勉強しておこう、と思って」

「一時帰宅?」

 双子の声が揃う。メルクリオも少し顔を上げた。

「そう。家に顔出すことにしたんだ。お母さんから手紙もらったからさ――久しぶりに親戚の人が来るから、できれば帰っていらっしゃい、って」

「へえ。いいじゃん」

 カストルが屈託なく笑う。マルセルやティエラもうなずいていた。

「エステルのうちはみんな仲いいよな。うらやましいぜ」

「マルセルのとこは仲良くないの?」

 そんなやり取りをきっかけに、家族談義が始まる。穏やかとは言い難い話の数々を、メルクリオは本をめくりながら聞いていた。


 勉強会がお開きになった後。メルクリオは教室を出てから、エステルを呼び止めた。

「どしたの、メルク」

「いや……確認しておきたいことがあって」

 足早に歩いていた少女に追いついたメルクリオは、そっとあたりを見回す。それから、彼女の方に顔を寄せた。

「さっきの、一時帰宅の話だけど。親戚の人って、誰が来るんだ?」

「えっと、叔父さん。お父さんの弟」

 エステルは首をかしげながら答える。そして、「あっ!」と叫んで手を叩いた。

「そうそう! 私にグリムアル大図書館のことを教えてくれた、叔父さん!」

「……そっか」

 メルクリオは眉間にしわを寄せる。この少女を不安にさせるような様子は見せたくなかったが、こみ上げる苦味は我慢できるものではなかった。

 案の定、エステルは顔を曇らせる。

「……どうかした? あ、大図書館の話はしないよ。私だって記憶吹っ飛ばしたくないし」

「いや……それも大事だけど。本題はそこじゃなくて」

 大図書館に出入りできる者以外に、彼の正体のことや、それに関することを話すと、大図書館にまつわるすべてを忘れる――正体を知られた日、メルクリオがエステルにかけたその魔法は、今もきちんと発動している。だから、メルクリオもそこは心配していない。

 彼は、深呼吸してから助手と向き合う。

「その叔父さんには、ちょっと注意した方がいい」

 エステルが目をみはった。水面のように揺れる瞳に様々な感情が浮かび、溶けて混ざり合う。

「何、それ。どういう、こと――」

「エステル」

 メルクリオは、動揺している少女の名を呼び、震えている手をそっと握った。

「俺も、あんたやシリウスの家族を疑うことはしたくない。けど、あんたが危険な目に遭うのは、もっと嫌だ。だから話しておきたい。――話しても、いいか?」

 じっと見つめる。お互いを、お互いに。

 そうしているうちに、少し乱れていたエステルの呼吸が静まった。目を閉じ、何度かうなずいた彼女は「うん」と小さく返す。

 メルクリオも、それを受け取ってから、改めて話を切り出した。

「エステル、前に言ってたよな。シリウスが逮捕直前にも大図書館に行ってたらしい、って。そういう話を叔父さんから聞いた、って」

「うん。そう」

「それがちょっと引っかかって、来館者の記録を調べてみたんだ」

 メルクリオはエステルの手を離す。エステルは、彼の顔をじっと見た。

 どちらからともなく、歩き出す。

「引っかかった、って、何が?」

「逮捕()()ってところだよ」

 大図書館の番人は、頭の中で言葉をまとめながら、助手を振り返った。

「シリウスが最後に訪ねてきたのは三年前の春ごろだ。逮捕される、およそ五か月前だな」

「五か月……。直前、って感じじゃないね」

「その叔父さんとやらが、五か月前を直前と解釈する人なら、別にいいんだけど」

 ため息まじりに呟いたメルクリオを見て、エステルが首をひねる。時間の感覚は私と変わらなかったような、などと呟いている。

 少し考えこんでいた彼女はけれど、眉をひそめて少年を見た。

「叔父さんが嘘ついてるかも、ってこと?」

「あるいは、叔父さんが誰かに嘘を吹き込まれたか。いずれにしろ、気をつけた方がいい」

 エステルの眉間のしわがいくらか増える。気をつけようがない、と渋面が語っていた。それを察したメルクリオは、雑に頭をかく。

「少しでもグリムアル大図書館をにおわせる話題は、なるべく出さないこと。それから、シリウスについて今まさに調べていることも、黙っておいた方がいいだろうな」

「そ、そっか……。まいったなあ」

 エステルがしょんぼりと肩を落とす。それを見て、メルクリオは思わず刺々しい問いを投げてしまった。

「まさか、家族からシリウスの話を聞こう、とか思ってたんじゃないだろうな?」

「思うに決まってるじゃん」

「やめて。頼むからやめてくれ。俺の目が届かないところで、危ない橋を渡るんじゃない」

 エステルは、ぶう、と言って頬をふくらませる。が、少し前のメルクリオの言葉を思い出したのか、すぐに頬を引っ込めた。

「……わかったよ。普通に、授業の話とか、同級生みんなの話とかにする」

「そうしてくれると助かる」

 メルクリオは、ほ、と息を吐いた。「何話そうかなー。話したいことありすぎるなー」などと呟いている少女をちらと見て、知らず口もとをほころばせた。

 せっかくの一時帰宅だ。母親と会うのも秋休み以来だろう。できれば難しいことは考えず、笑顔で過ごしてほしい。

 不穏な忠告をした本人が、こんなことを考えるのは矛盾しているだろう。頭でわかっていながらも、メルクリオはそんな願いを抱いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ