閑話 いつものこと
〈鍵の教室〉での魔法暴発事件から数日後の、昼休み。お昼までの授業を乗り切ったメルクリオは、様子見も兼ねて校舎の中を歩き回っていた。――と言っても、昼休みの間に見て回れる場所など、ごくわずかだ。結局、次の授業が行われる教室のそばを散歩しているようなものである。
喋りながら歩いてくる男子生徒たちをかわし、休憩場所で固まって黄色い声を上げている女子生徒の集団の前を通り過ぎる。時折ルーナとひそひそ話をしながら歩いていると、覚えのある声がした。
行く手に見えるのは三人の男子生徒。うち二人は、顔だちも声もそっくりだ。見覚えのある双子と見覚えのない少年は、何やら楽しげに話をしていた。が、ほどなくして少年の方が手を振って離れていく。
その姿が遠ざかるのを待って、メルクリオは二人に声をかけた。
「カストル、ポルックス」
「――あ、メルくん!」
ウィンクルムの双子は、彼に気づくと琥珀色の瞳をきらめかせる。駆け寄ってくるなり、元気よく飛び跳ねた。
「何してるんだ?」
「食後の散歩?」
「……まあ、そんなこと」
メルクリオは、適当にぼかして答える。それから、なんとなく双子の後ろについて歩き出した。彼らもそれを自然と受け入れ、当たり前のように振り返る。
「さっきの子は、友達か?」
メルクリオは、去っていった少年のことを思い出して問うた。担任教師の「お願い」が脳裏によぎったからだが、それだけが理由でもない。
カストルとポルックスは、なぜか顔を見合わせ、首をかしげている。メルクリオが不思議に思いつつ待っていると、二人は同時にこちらを見た。
「まあ、友達といえば、友達」
「正しくは、マルセルの友達、かな」
「マルセルの?」
意外なような、そうでもないような同級生の名前が出た。メルクリオが裏返った声で反問すると、双子は揃ってうなずく。
「そう。一年の、〈短剣の教室〉の子なんだ」
「入学してから知り合ったみたいだけど、いきとーごーしてるよ」
「俺たちはほら、マルセルと一緒にいることが多いだろ?」
「だからマルセルの友達が話しかけてくれるけど……ちょっぴり避けられてる感じ、あるんだよね」
同じ顔の少年たちが、交互に事情を説明する。メルクリオは、それをふんふんと聞いていた。双子の言動には最初こそ戸惑ったが、今はだいぶ慣れてきたのである。
「避けられる心当たりがあるのか?」
「それは、ほら」
「俺たちがどろぼーの子供だっての、意外と知られてるから」
カストルが人差し指を立て、ポルックスが胸を張る。メルクリオは「ああ」と相槌を打ったが、胸のあたりに何かが引っかかるような感じがした。双子は気にするふうでもなく、歩きながら続ける。
「メルくんはさあ、知ってる? 去年の春ごろに捕まったごーとーふうふの話」
「強盗夫婦……? ああ、話には聞いた――」
記憶を辿りながら答えたメルクリオは、そこでぎょっと目をみはった。
「って、もしかしてあれ、二人の両親か?」
「あたり!」
カストルとポルックスは嬉しそうに笑う。一方のメルクリオは、引きつった笑みを返すことしかできない。姿を消しているルーナも、隣で『大物じゃないですか』と呟いた。
昨年春、ある夫婦が逮捕された。彼らは王都のある区画で盗賊行為を繰り返しており、数年にわたってその被害が報告されていた。夫婦で協力して犯行に及んでいたのはもちろん、自分の子供すらも利用して、金品などを盗んでいたのだという。
メルクリオが知っているのはここまでだ。が、この話には続きがあった。
夫婦が逮捕された後、その子供――双子の処遇を巡ってちょっとした議論が巻き起こった。盗みを働いていたことは事実だが、子供たちはあくまで親から言いつけられたことを実行していただけ。しかも、『仕事』に失敗すると怒鳴られ、ひどいと殴られることもあったという。当然、その行為が犯罪だと教えてくれる者は誰もいなかった。
ここまでなら、各地でたまに聞く盗賊一家の悲しい実情である。話をややこしくしたのが、子供たちのある能力だった。
彼らには、きわめて特殊な魔法の才能があったのだ。
「親ともども裁くにしろ、無罪ほーめん! ってするにしろ、この二重詠唱使いもどきをほったらかしにするのは危ないしもったいないよね、って話になったんだって」
「そこで、あるお偉い魔法使いが『じゃあ私が保護者になります。ついでに、魔法を使いこなせるように、ちゃんとした学校に通わせます』って言ったんだって」
「で、ウィンクルム姓をもらって学校に入ったと」
メルクリオが後を引き取ると、双子は「そのとーり!」と声を揃える。
「あ、入学試験はちゃんと受けたからな!」
「試験勉強、きつかったなあ。まず文字の練習からだったし」
「あー。なんとなくわかる」
メルクリオは、自分が大図書館の番人になるまでのことを思い出して苦笑した。
廊下はまだまだ生徒の声で騒がしい。それをいいことに、双子は意気揚々と話を続けた。
「親たちが捕まった時さ、そのことがめちゃくちゃ話題になったんだってな」
「だからかわかんないけど、俺たちも試験のときから『盗賊だー』『どろぼーだー』って一部の奴から騒がれたんだよ。そんで今も、ちょっと避けられるんだよね」
「そうだったっけか」
メルクリオは思わず首をひねる。彼はそもそも試験らしい試験を受けていないのだが、それだけ騒ぎになったのなら入学後もあれこれ言われていたはずだ。が、そういった話を耳にした記憶があまりなかった。魔法暴発の原因を探ることで頭がいっぱいになっていたのかもしれない。
メルクリオの反応を見て、カストルたちは「教室のみんなは気にしてなかったよな」とうなずきあっていた。同級生たちが興味を持たなかったために、メルクリオの耳にも入ってこなかった、ということらしい。
「ま、〈鍵の教室〉ってつまり『ワケあり教室』だからなー。同級生が貴族でも犯罪者でも驚かない、って感じだよな」
「ティエラが王女様って知ったときにはびっくりしたけどな。俺らと同じ教室に入れていいんです!? ってなった」
「ま、それを言うならマルセルやヴィーだってそうだよな」
カストルの言葉に、メルクリオもうなずいた。グラディウス家やヴェル・マーレ家は、引きこもりの彼でも知っているような名家だ。その子女たるマルセルたちは、本来、メルクリオたちが知ることもないであろう世界の人々である。彼らと机を並べているというのは、とんでもない奇跡だ。
ポルックスが振り返る。少年の胸のうちを見透かしたように、琥珀色の瞳が輝く。
「そういえば、メルくんのお家はどんななんだ? あ、話したくなかったら、聞かないけど」
「いや――」
メルクリオは、曖昧にほほ笑む。
「俺の家は、別に普通だよ。山の中にある、小さな村の農家」
彼の声が少し沈んだことに、気づいているのかいないのか。へええ、と声を上げた双子は、興味津々に身を乗り出した。
「農家さん! すげーじゃん」
「俺たち、山の中って行ったことないんだよ」
思いがけない反応に、メルクリオは目をしばたたく。
「そんな面白いものじゃないよ。お金持ちってわけでもなかったし」
「えー? 俺らにとっては十分面白いって」
「何作ってたんだ?」
「なんだったかな……ふもとの畑で麦か何か作ってた気がする……あと、牛がいた」
「へえええ」
雑談に花が咲く。双子の質問にメルクリオが答える、という形で話しながら歩く。けれど、その途中で、はたと足を止めた。
廊下の一角が不自然に騒がしい。見てみると、数人の女子生徒が固まって歩いていた。彼女たちは行く先に視線を投げかけると、わざとらしく声を上げる。
「あら。あちらにいらっしゃるのは、〈鍵の教室〉の方じゃない?」
メルクリオたちは、思わず互いを振り返った。けれど、彼女たちが見ているのは彼らの方ではない。その視線を追いかけて――双子が「あ、ヴィー」とささやく。
女子生徒の少し先をヴィーナが歩いていた。やや小ぶりな木箱を抱えている。その中からは、時折がちゃがちゃと音がした。
少女たちは、彼女の背中にどこか刺々しい笑い声を浴びせかける。
「本当だわ。しかも、この間魔法を失敗したっていう、ヴェル・マーレさんじゃないの」
「先生が対応してくださったおかげで、大ごとにならなかったそうだけど。一歩間違えたら火事になっていたわよね」
「生徒同士の喧嘩で魔法を使いかけたとも聞くし。やっぱり〈鍵の教室〉の子たちって怖いのかしらね」
「はずれ教室、なんて言われているだけはあるわ」
意地の悪い声は廊下中に広がる。ヴィーナは反応しなかったが、少しだけ肩が震えているように見える。運悪く居合わせた生徒たちの中には、同調する子もいれば、迷惑そうにして通り過ぎる子もいた。集団のそばにいた別の女子生徒が「ちょっと」と気まずそうにささやいているが、強く止める勇気が出ないのか、それ以上動こうとはしない。
生徒たちの様子を見て、カストルとポルックスが同時に頬をふくらませた。それはもう、風船のように、思いっきり。
「なんだよ、魔法のぼーはつは他の教室でも起きてるだろ」
「じゃあ君たちは、カンカンに怒っても魔法使わずにいられるのか、って話だよな」
呟いた双子が、その勢いのまま踏み出しかけていた。
しかし、メルクリオは手を挙げて二人を制止する。
「まあまあ、落ち着いて」
「メルくん?」
カストルたちは揃って目を丸くする。彼らが驚いている間に、メルクリオは廊下をすたすたと横切っていった。
「ヴィーナ!」
あえて、いつもより声を張って、少女を呼ぶ。よほど驚いたのか、ヴィーナは全身を震わせて顔を跳ね上げた。
「……メルクリオさん?」
「教室行くのか。っていうか、その箱、何? 何が入ってるんだ?」
怪訝そうにまばたきしているヴィーナに、メルクリオは構わず問う。彼女は少し戸惑っていたが、ぽつぽつと答えてくれる。
「えっと……次の授業で使う道具、だって。薬瓶とか、計器とか」
「道具? なんでヴィーナが運んでるんだ」
「さっき、そこでアルタ先生に会って。ひとつだけ運んでほしい、って頼まれたの。引き受けたのはわたしだし、気にしなくていいわよ」
ふうん、とメルクリオは少し大げさにうなずいた。その間にも後ろの方で少女たちが何か言っていたが、そちらは完全に聞き流していた。
無視されている、と気づいたのだろう。最初に声を上げた少女が、靴を高く鳴らして近寄ってきた。
「ちょっと。その態度は失礼じゃありませんの?」
少女はヴィーナをにらみつける。眉をつり上げたまま、その視線をメルクリオの方へも向けた。
「あなたも、何なの。わざとらしく割り込んできて、どういうつもり?」
「何って。彼女の同級生ですが」
メルクリオは頭を傾け、前半の質問だけに答える。そして、しかめっ面のヴィーナを振り返った。
「ヴィーナ、この子たちと話してたのか?」
「はあ!?」
「え――」
名前も知らない少女が裏返った声で叫ぶ。一方のヴィーナは、目と口をぽかんと開けた。それから、小さく首を振る。
「いいえ。おしゃべりをするような仲じゃないし。そもそも、名前すら知らないし」
「あ、あんたね――!」
ヴィーナの数倍気の強そうな少女の顔が、どんどん赤くなっていく。彼女の取り巻きらしき女子生徒たちは、その後ろで困ったように顔を見合わせていた。
そして、ヴィーナ本人は、困惑気味に彼女たちを見回す。それからメルクリオを振り返り――ふいに、何かを思いついたような顔をした。箱を抱え直し、悪口を言ってきた少女に向き直る。
「もしかして、わたしに話しかけていたの? そんな感じがしなかったから、あなたたちがおしゃべりしているだけだと思っていたわ。ごめんなさい」
そう言って、丁寧に頭を下げる。
少女は言葉も出ないようで、わなわなと全身を震わせながら口を開閉している。考え込むそぶりを見せたヴィーナは、さらに言葉を繋げた。
「もう少しで授業が始まるから、失礼するわ。お話は、また今度でいいかしら」
「――か、勝手になさい! 〈鍵の教室〉の問題児と話すことなんかないわ!」
ヴィーナは少し眉をひそめたが、言い返すことはせず背を向ける。代わりに、メルクリオが「あ、それと」と少女を見上げた。
「〈鍵の教室〉の悪口を言うなら、全員の顔と名前くらいは覚えてください。八人しかいないんだから、そんなに大変じゃないでしょう」
言うだけ言って、それじゃ、と手を振る。金切り声が聞こえたが、特に返事はしなかった。
双子がついてきていることを足音で確認し、メルクリオたちは女子生徒集団から離れた。少しして、ヴィーナが口を開く。
「あの。……ありがとう」
「俺はヴィーナに話しかけただけ」
肩をすくめたメルクリオは、彼女を振り返る。自然と笑みがこぼれていた。
「そっちこそ、やるじゃんか。あんなふうに言い返すとは思わなかった」
「あれは……お母様の真似をしただけよ。お母様ほど上手くはできなかったけど」
「……強烈だな、ヴィーナの母さん……」
そんな話をしているうちに、カストルとポルックスが追いついてきた。二人とも、涙が出るほど笑っている。
「メルくん、すげー!」
「かっこいいー!」
「……かっこいいか?」
二人にじゃれつかれたメルクリオは、雑に頭をかく。
つい癖で、態度の悪い役人を相手にする時のように対応してしまった。が、十一、二歳の子供に対してやりすぎだったかと、少し反省しているところである。
そんな苦味をのみこんで、少年は軽く息を吐いた。
「いつも通りにしただけだよ。慣れてるから」
「慣れてる?」
「慣れてるのか?」
双子がすぐさま言葉に食いついてくる。「俺にも色々あるんだよ」と流したメルクリオは、なんとなく伸びをした。
「さて。一応タウリーズ先生に報告しておかなきゃな。あの子たちにいちゃもんつけられたら面倒だ」
「さんせーい!」
「……そうね。根回しは大事だ、ってお兄様も仰っていたわ」
そんなふうに言って、笑いあいながら、教室まで歩く。生徒たちにとっては、いつものことだ。――気づけば、メルクリオにとっても、いつものことになりつつあった。




