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37 『天の園から、砂の大地へ』(3)

『いい加減になさい、ラステア』

 冷たく鋭い少女の声。それを聞いたラステアが、あからさまに鼻を鳴らした。燃え盛っていた炎が少しばかり大人しくなる。

『“月のかれ”か。相変わらず、うるさそうなのを連れておるな』

『あなた相手に口うるさくならない精霊なんて、いませんからね』

『うむ。いかにも、という感じだな。鬱陶しくてかなわん』

 ラステアは、駄々っ子のように頭を振る。それから三つの目を瞬いた。

『はて。しかし、デネボラが連れていたのは“太陽の分かれ子”であったぞ。あれも消えたのか。哀れな』

『勝手に消滅させないでください。館長は代替わりしただけです』

 ルーナが羽と体を張る。それに対しラステアは『なんだ、つまらぬ』とぼやいた。メルクリオは遠い目をしてふたりのやり取りを聞いていたが、それが途切れると竜に向き直る。

「それで、ラステア。そろそろ契約の更新をしたいんだが」

『嫌じゃ。まだ貴様が焼けておらんではないか』

「俺はここの管理運営をしないといけないので、焼かれるのはさすがに困る」

『では、契約の更新も拒否する』

 言い切って体をくねらせたラステアは、挑発的に少年を見下ろした。

『そもそも、この場所自体が好かぬ。分かれ子の結界はまだしも、()()()()のアエラが行き渡っていて心地が悪い』

「あー……確かに、それは我慢してもらわないといけなくなる」

 メルクリオは、まいったな、と頭をかく。それを見てラステアは、二つの目を細めた。

『なぜ妾があの小僧の支配下に入らねばならんのだ』

『――どの口がそれを言いますか。先の大戦で、封印対象になるほど暴れ回ったのはあなたでしょう』

 そっぽを向いたラステアに、ルーナが冷たく反撃する。もちろん竜の方も黙ってはいない。第三の目をほのかに光らせ、メルクリオたちの間近まで降りてくる。

『妾は歯向かってきた人間どもを追い払っただけのこと。妾や魔族に攻撃を仕掛けなければ、ああはならなかったぞ』

『人間があなた方を攻撃したのは、あなた方が“あちら”から出てきたからでしょうが』

『――それは、“あちら”のアエラが不安定になっておったからだ。魔法使いどもの暴走と、貴様ら精霊の怠慢のせいでな』

 ふてくされたような竜の言葉に、ルーナがわずかに体を震わす。メルクリオとエステルも、思わず顔を見合わせた。

『ただでさえ自制心のないものが、さらに心乱された。良心のある者も、そのせいで行き場を失った。そうして“こちら”に出ざるを得なかったものも多いのだぞ。まあ、妾は退屈しのぎに便乗しただけだがな』

『……どういうことです?』

『ああ、貴様はすえの分かれ子か。戦を知らぬのか、あの騒動に関与しておらぬのか――どちらであろうと、妾の知ったことではないが』

 低く嗤ったラステアは、やおら少年の方を見る。かと思えば急降下して、彼と背後の少女に迫った。

「――っ、『聖なる盾よ』!」

 メルクリオは、いつも以上に短い詠唱を放つ。アエラの大楯に弾き飛ばされた虹炎竜は、涼しい顔で体勢を立て直して炎を放つ。少年が荒い息の下から詠唱を繋げようとしたとき。

「『雫は冷たき幕となり、我らを白く包み込む』」

 背後から詠唱が響き、地下室に霧が広がった。メルクリオが振り返ると同時、呪文が繋がる。

「『霧の迷路に潜むのは、宝の守り人、そのつるぎ』!」

 霧の中から無数の鋭い氷が放たれ、ラステアへと襲いかかる。彼女はそのすべてを炎と長い尾で振り払い、激しく咆えた。大風に吹かれる枯れ葉のようにアエラが散り、霧も晴れる。

『ハハハ! 妾に歯向かうか、小さき者よ!』

 ラステアが哄笑する。それを厳しい表情で見上げていたエステルは、負けじと叫んだ。

「うるさい、私の名前はエステルだ! 基本歯向かう気はないけど、メルクにひどいことするのは許さない!」

『正直かつ明快だな! 結構!』

 竜は、さらに笑ったかと思えば、咆哮を上げた。魔法の明かりが激しく揺れ、天地が震動する。

 思わず顔をかばったメルクリオは、立ち位置を調整しながら助手をにらむ。

「おい、エステル……」

「前には出てないよ」

「いや、そうだけど」

 メルクリオが、誇らしげな助手をどう諭すか考えているうちに、震動は収まった。恐る恐る顔を上げた彼らの視線の先で、竜が深々と息を吐く。

『……まあよい。小僧の下に入るのは業腹だが、勇敢にして愚かな人間どもに免じて、当代くらいは我慢してやろう。少なくとも、退屈はせずに済みそうだ』

 静かな声でそう言うと、ラステアはゆっくり降下してくる。虹色の炎はぼうぼうと燃え続けているが、いきなり飛んでくることはなかった。

『それに――貴様もまた、あの戦の被害者だからな。あまり虐めるのも酷というものだ』

 ラステアは、いきなりメルクリオをのぞきこんでささやく。彼は首をかしげた。

「被害者? 俺が?」

『そうであろう? あの戦さえなければ、貴様がこの狂った機構の一部になることはなかった。遠くの地で、ただの人間として死ぬことができたであろうに』

 誰かが息をのむ。あるいは、メルクリオ自身がそうしたのかもしれない。少なくとも、彼にはどちらかわからなかった。

 ラステアは、満足げに喉を鳴らすと、メルクリオから遠ざかった。長い体をうねらせながら、尊大に〈封印の書〉を見下ろす。

『契約を更新するのだろう? く為せ、大図書館の番人』

「……自由だな、あんた……」

『そう思うのなら、妾の気が変わらぬうちに終わらせるのだな』

「ハイ、仰る通りです」

 メルクリオは、ため息をこらえて小机の前に立つ。〈封印の書〉を一ページだけめくると、目を閉じて、息を吸った。

「『メルクリオ・アルス・カドゥケウスの名において、本書およびラステアの契約の書き換えを行う。両者の命をえにしとし、以下の文言を証とする』――」

 目を開く。輝きを放つ文字をなぞる。


「『天に座する虹の竜を

 砂の大地に立つ王は

 堂々と見上げ剣を抜く


 王を嗤ったラステアは

 炎纏いてあぎとを開く

 王は一閃、剣を突き

 竜の喉を貫いた』――」


 封印の呪文は、かつての大王がラステアを追い払ったときの様子を詠んだ詩だ。追い払われた側にとっては不愉快極まりない作品であろうが、当のラステアは平然としているように見える。


「――『王は高く剣を掲げ

 彼らの民へと宣言す


 邪悪にして偉大なる竜は

 今ここに討たれたり!

 私が王である限り

 竜をも破る聖なる力が

 この大地を守るであろう!』」


 力強い詩文は読み上げるごとに光の筋を飛ばした。それはラステアをぐるりと囲み、巨大な檻を作り上げる。ラステアは暴れることも動じることもなく、ただ堂々と、そこに立っていた。

 メルクリオにとっては、見慣れた光景。それが今は、とても美しく、恐ろしいもののように映った。

 巨大な竜が光に包まれ、のまれていく。姿が見えなくなる直前、彼女は牙をのぞかせて、笑った。

『せいぜい妾を楽しませてみせろよ、大図書館の番人――メルクリオ』

 メルクリオは苦笑して肩をすくめる。

 そして、光の檻が本のページに吸い込まれた。

 地下室に静寂が戻る。魔法の明かりは静かに浮いている。上の階から足音が響き――それを待っていたかのように、盛大なため息が重なった。

「……つっ……かれた……」

 メルクリオは、その場にへたり込む。片付けなければいけない、と思いながらも、体は言うことを聞かなかった。

 エステルも「大丈夫?」と言いながら座り込んで胸を押さえている。

「ああ、まだドキドキしてる……今までで一番緊張したかも……」

「話ができる魔族を相手したの、初めてだもんな、あんた……」

「確かに」

 ふう、と息を吐いてエステルが立ち上がる。メルクリオも、なんとかそれに倣った。〈封印の書〉を抱え収納場所を探す。あたりをつけて〈書〉を飛ばしたとき、エステルが真剣な顔で呟いた。

「なんか、気になることも言ってたよね」

「そうだな。もっといろいろ聞いてみたい気もするけど、まともに話してくれないだろうな、あれ」

 少年少女は、鬱屈としてうなだれる。そのかたわらで、月光の精霊が薄羽を激しく動かした。

『彼女の言動は、あまり真に受けない方がいいですよ。人の反応を見て楽しんでいるだけ、ということも多いので』

「あー……すごくわかる」

 先ほどの竜の表情を思い出して、メルクリオは顔をしかめた。一拍の間を置いて、上の方で、すとん、と音がする。それを確かめて、番人は身をひるがえした。

「さ、とりあえず撤収するか。お疲れ様」

「あっ……うん。お疲れ様!」

 目が覚めたようにうなずいたエステルが、小机に駆け寄る。メルクリオも天板の角に手をかけた。

「ね、ねえ!」

「うわっ」

 そのとき、エステルが声を上げる。地下室中に反響するほどの声に、メルクリオたちは飛び上がりそうになった。

「あ、ごめん」

「いや……どうかした?」

「あのさ。さっきラステアが言ってたのって――」

 早口で言いかけたエステルは、けれどそこで口を閉じる。少しうつむいたのち、いつもよりかたい笑顔をメルクリオに見せた。

「……ごめん。やっぱり、いいや」

 メルクリオは息をのむ。そこで初めて、自分の顔がこわばっていたことを自覚した。目を伏せて、「そっか」とだけ返す。ほかに言葉が浮かばなかった。

「これ、運んじゃおうか! ギャリーさん待ってるし」

「あ、本当だ。じゃあいくぞ。せーの……」

 騒がしく、ほんの少しぎこちないやり取りをしながら、二人は小机を持ち上げる。

 彼らのかたわらで、月光の精霊が薄羽を下げた。



     ※



「お? アルタイル、出かけんの?」

 館を出た直後、印象的な声に呼び止められた。アルタイルは、帽子のつばを少し下げて振り返る。

 軽やかな靴音とともに、一人の青年が現れる。どうやら、今まで屋根の上にいたらしい。アルタイルは顔をしかめつつ、青年を見やった。

「カペラ。戻っていたのか」

「おう。さっき報告済ませてきた。で、昼寝してたらあんたの姿が見えたんで」

「……屋根の上で寝るなと、いつも言っているだろう」

「別にいいじゃん。誰に見られるわけでもなし」

 カペラはけたけたと笑ったのち、先ほどの質問を繰り返す。アルタイルはため息をこらえ、うなずいた。

「グリムアルまで行ってくる」

「えっ」

 カペラの大きな瞳が、わかりやすく輝く。彼は、飛び跳ねるように駆けてきた。

「グリムアル!? 大図書館の番人とやり合うなら、オイラも連れてけよ!」

「やり合わない。研究会絡みの知り合いに会いに行くだけだ」

 アルタイルが手を挙げて制すると、青年は「ちぇー」と言って急停止する。その場で子供のように頬をふくらませた。

「なーなー。いつまでアルバリに任せてるんだ? 番人はもう出てきたんだろ? 早くりてーよー。なあー」

「ええい、やかましい。そういうことはベテルギウスに聞け」

「ベテに聞いたって教えてくんねえもん。あんたに聞く方が早いもーん」

「もーんじゃない。離れろ暑苦しい」

 さりげなく寄ってきた青年を手で押しのけて、アルタイルは鞄を抱え直す。一方のカペラはよろめきもせず飛び下がり、小首をかしげた。二か所、角のように跳ねた髪が、動きに合わせて揺れる。

「番人がだめなら、オロールの〈赤い熊〉でもいいぜー」

「もっとだめだ。寝てる怪物をわざわざ叩き起こす馬鹿があるか」

 アルタイルはぴしゃりと言い切る。今度こそため息をついて、血気盛んな仲間を見下ろした。

「〈赤い熊〉の息子の話でも聞いてきてやるから、それで我慢してくれ」

「ええー。オイラ、子熊の方には興味ないんだけど」

 カペラは不満そうに片足を揺らす。

「ま、その子熊が親並みに強いんなら話は別だけどさあ」

「はいはい、わかったわかった。それも含めて聞いてくる」

 今なお文句を垂れている青年に手を振って、アルタイルは歩き出した。騒がしい声を振り切って市街の方へ出ると、やっと肩の力が抜ける。

 コートのポケットに手を突っ込んだアルタイルは、そこから折り畳まれた紙片を取り出した。書き損じの紙の裏、みずからの走り書きに目を通す。会いに行く人物の名と住所を確認してうなずいたが――そこでふと、目を瞬いた。

「ああ、癖でアストルムと書いてしまったな。まあ、誰に見られるわけでもないし、いいか」

 呟いてから、アルタイルは苦笑する。自分もまったくカペラのことを言えないではないか。

 紙片を再び折り畳み、ポケットの奥深くへ押し込む。そうして彼は、駅の方へと歩いていった。

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