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32 苦悩と不安と元素魔法

「……と、いうわけでな」

 マルセルから事の次第を聞いたメルクリオは、思わず頭を抱えた。

 一番起きてはいけないことが、一番起きてはいけないときに起きた、というわけだ。

「……いくらかは俺の責任じゃないか、これ?」

『……それは背負い込みすぎですよ。研究書の伝言の件は、きっかけのひとつに過ぎません』

 うめいた少年の耳元で、精霊が低くささやいた。

『そもそも、この子たちの言葉ひとつひとつをあなたが制御できるわけがないでしょう』

「それはそうだけど」

 ルーナの言葉は厳しいようだが、その奥にはいつもの静かなぬくもりがある。メルクリオは胸の中の靄を弄びつつも、深呼吸して顔を上げた。その拍子に、しかめっ面のマルセルと目が合う。

「どした、メルクリオ。大丈夫か?」

「ああ、うん……なんでもない」

 メルクリオはかぶりを振って教室を見渡した。

 コルヌとエステルたちは別の場所に移動したらしい。すでに姿が見えなくなっていた。これから話を聞くというのなら、授業の始まりが少し遅れるかもしれない。

「あれ、ティエラも連れてかれたのか? とばっちりじゃん、かわいそうに」

「まあでも、二人とお話してたわけだしさ。一番()()()を説明できるのはティエラでしょ」

 気まずそうに頭をかいているマルセルの横で、双子がやかましく話している。ほどなくして、彼らの興味は、この場にいない王女からこの場にいる少女に移った。

「ってか、ユラはいつ先生を呼びにいったんだ?」

 カストルが琥珀色の瞳をいっぱいに見開いて問う。聞かれた方は、こともなげに答えた。

「エステルがヴィーナさんにつかみかかったあたり。あ、これはやばい、と思って飛び出したんだ。そうしたら、ちょうど先生とメルクリオさんがこっちに来てて。助かったよ」

 言葉の終わり、茶色い瞳がメルクリオを捉える。彼は苦笑して肩をすくめた。

「俺は何もしてないけど」

「いてくれるだけでも安心感はあるものだよ。それに君、魔法の腕はタウリーズ先生より上でしょ」

 マルセルがぎょっと目をみはり、双子が好奇心に両目をきらめかせる。ユラナスは、彼らをちらりと見たのち、メルクリオに視線を戻した。

「さっきだって、いざとなったら自分が止める気でいた。違う?」

「……さあ、どうだろう」

 得意げな笑みを向けられた少年は、ため息をつきそうになったのをこらえる。彼らの視線から逃れるように大股で歩き、適当な席を陣取った。


 少しして、教室の扉が開いた。入ってきたのは、出て行った四人のうち二人――ティエラとヴィーナだけだ。

「みなさん、すみません。お騒がせしました」

 ティエラは入室するなりそう言って頭を下げたが、彼女に手を引かれているヴィーナは難しい顔で黙っている。

 各々に出迎えの挨拶をした後、マルセルが目をしばたたいた。

「あれ、エステルは?」

「それが……戻ってくる途中で『一人にしてほしい』と仰って。あまりに辛そうだったので、ひとまず私たちだけで戻ってきたんですけど……」

 ヴィーナの手を離してから、ティエラは心配そうに扉を振り返る。いつも穏やかに澄んでいる橄欖石ペリドットの瞳が、今はややくすんでいるようだった。

「やっぱり迎えにいこうかな」という呟きを聞き、メルクリオは短く息を吐く。呆れたようなルーナの気配を感じながら、席を立った。

「俺が見てこよう。授業が始まるまで、少しかかるだろうし」

「メルクリオさん?」

 子供たちがどよめく。少女の裏返った声が、潮騒のようなその音を割った。

「そんな、お手間を取らせるわけには……」

「手間というほどのことでもない。エステルのアエラなら、すぐ辿れるし」

「で、ですが」

「気にしなくていいよ。俺がやりたくてやってるだけだ」

 メルクリオはひらりと手を振ると、無造作に教室の扉を開ける。教師の影がないことを確認して歩き出した。


「……やっぱあいつら、仲いいよな」

「実は『そういう仲』だったりして」

「君たちはいつも通りだね」

 背後からそんな会話が聞こえてきたが、無視した。



     ※



 学校内にはいくつか小さな休憩場所が設けられている。テーブルを挟むように二、三台の長椅子が置かれており、生徒同士話をしたり本を読んだりできるようになっていた。

 元いた教室のすぐ近くにある休憩場所。今はひと気のないその場所に、エステルはいた。膝を抱え、頭をうずめて、長椅子に丸まるようにして座っている。

 メルクリオはしばらくその姿を黙って見つめていた。が、ひとつ息を吐くと彼女の向かいに座った。

「エステル」

 少女がぱっと顔を上げる。ほんの数十分しか経っていないというのに、ずいぶんとやつれたように見えた。

「……メルク……」

 エステルは、何かを続けかけて、けれど口をつぐんだ。顔を隠すように膝を抱える。

 メルクリオは気まずさに頭をかきながらも、口を開いた。

「そろそろ授業が始まると思う。戻った方がいい」

「……うん」

 小さくうなずいた彼女はけれど、動こうとしない。

 少しの沈黙の後、ぽつりと声がこぼれた。

「メルク……ごめんなさい」

「ん? なんで俺に謝るんだ」

 メルクリオは灰青の両目をしばたたく。彼はこの件の当事者ではない。謝られる心当たりがなかった。

「学校で、騒ぎ、起こしちゃった……。それに、お父さんの話、あんまりしちゃだめなのに……」

 エステルの言葉は要領を得ない。だが、マルセルからある程度話を聞いていたので、何について言っているのかはすぐにわかった。メルクリオは、さりげないふうを装って身を乗り出す。小さな声に耳を傾ける。

「ヴィーナとも、けんかしたかったわけじゃないんだ」

「……うん」

「でも、カッとなっちゃって。がまんできなくて」

「そりゃあな」

 メルクリオもつい先日、自身の問題でマルセルと衝突したばかりだ。その感覚は容易に想像できた。

「どうしよう」

 エステルは再び顔を伏せる。なめらかな金色の髪が、さらりと肩を流れ落ちた。

「私、もうだめだ。ぜんぶ、ぜんぶだめにしちゃった」

 ささやきに混じって嗚咽が漏れる。

 メルクリオは天を仰いだ。無言で精霊に助けを求めたが、気づいているはずの彼女は何も応えない。しかたなく何度目かのため息をのみこんで、エステルの頭に手を伸ばした。

「……魔法について、コルヌはなんて言ってた?」

「え……」

「魔法、使いかけただろ。二人とも」

 少女は濡れた碧眼をしばたたく。少しうつむいて、近い記憶を手繰り寄せた。

「あれは……発動しきってなかったから、いいって。校則違反には数えないって」

 ぽつぽつと返された言葉を拾い、メルクリオはうなずく。それを言った担任教師の顔が目に浮かぶようだ。苦笑しつつ、小さな頭を優しく叩く。

「なら、そんなに思いつめなくていい。担任のコルヌがそう判断したんだから、大きな問題にはならないはずだ」

 今度こそ、エステルが顔を上げた。食い入るようにメルクリオを見る。

「……ほんとに?」

「まあ、断言はできないけどな。『生まれも育ちも違う子供たちが集まっている以上、喧嘩の十や二十は起きるもの』って――いつだったか、リアンが言ってた」

 それほど遠くはない、けれど色褪せた記憶をなぞって、メルクリオはほほ笑む。彼自身はヴェルジネ・リアンが苦手だが、彼女のそういう考え方は嫌いではなかった。

 じっとメルクリオを見つめていたエステルが、身を乗り出す。その拍子に足が椅子から落ちたが、気に留めていないようだった。

「メルクもそう思ってる?」

「だからなんで俺に聞くんだ」

「だって、その……私、『助手』だし」

「――ああ」

 ぼそぼそと言われて初めて、大図書館の番人は気がついた。エステルの心配事は色々あるだろうが、『番人の助手』で居続けられるか、というのもそのひとつだったらしい。

「俺は、別になんとも思ってない。リアンが何も言ってこなければ、助手の扱いを変える気はない」

「そっ、か」

 エステルの肩から力が抜ける。メルクリオは小さく鼻を鳴らした。

「だいたい俺、あんたの喧嘩をどうこう言える立場じゃないし。野外実習のときのこと、忘れたか?」

 彼があえて胸を張ると、エステルはぽかんとする。それから小さく吹き出した。メルクリオも釣られて笑声をこぼす。

 二人でひとしきり笑ったのち、メルクリオは表情を改めた。

「ま、ヴィーナさんと『どうなりたいか』だけは考えた方がいいと思う。……まだ解決してないだろ」

「……うん」

 エステルも、難しい顔でうなずいた。そして、ためらいながらも立ち上がる。

 メルクリオが右手を差し出すと、彼女は泣きそうな顔でその手を取った。



     ※



 教室に戻ると、人が増えていた。コルヌの隣にもう一人、女性教師が立っている。この学校の中でも若手と思われる彼女は、凛々しい顔に少しの苦みをにじませていた。

 何かを話し合っていたらしい教師たちは、メルクリオたちが入室すると同時に振り向いた。

 コルヌがいつもの調子で手を挙げる。

「お、戻ったな」

「すみません。遅くなりました」

 メルクリオは慌てて頭を下げる。もう一人の教師が来ているということは、授業が始まる流れだ。悠長に話しすぎたかとひやひやしたが、担任教師は鷹揚に答える。

「おう、遅刻だぞー……と普段なら言うところだが。こちらの事情説明と打ち合わせも今終わったところなので、今回は不問としよう。ね、アルタ先生」

「そうですね」

 水を向けられた女性教師、エリザ・アルタは淡白に応じる。思うところはあるだろうが、それをわかりやすく顔に出すことはない。メルクリオたちをしばらく見つめた彼女は、わずかに視線を滑らせた。

「落ち着きましたか、ノルフィネスさん?」

 問いかけは静かで、優しい。

 エステルが目を瞬いて、それから背筋を伸ばした。問いが自分に向けられたものだと、遅れて気づいたらしい。

「は、はい! とりあえず、大丈夫です」

「そうですか。困ったことがあれば、遠慮なく仰ってください」

 アルタはそう言って、わずかに目を細める。それから、手元の棒で教卓を軽く叩いた。

「ひとまずは、授業を始めましょう。お二人も着席してください」

 ついでのように声をかけられたメルクリオとエステルは、いそいそと席に戻った。


 今回の授業を主導するのはエリザ・アルタだ。コルヌはあくまで彼女の補助である。以前はひとつの教室の授業に二人の教師をつけることなどなかったが、魔法の暴発がたびたび起きるようになってからは、一部の実践授業でこの体制がとられているのだった。

「――では、今日の条件で元素魔法がどのように現れるかを見ていきます」

 目の前の黒板を棒で示したアルタが、淡々と告げる。黒板には、今日の天気や風の有無などが書かれていた。

「比較がしやすいので、水呼びの魔法と火おこしの魔法を使うことにします」

 はーい、と元気よく返事をした生徒たちは、教師の指示に従って準備を始める。ひな形の呪文を確認し、教室に間隔を開けて散らばった。

 その間中難しい顔をしていたヴィーナは、教室の壁際に陣取ろうとしたとき、ふと目を瞬いた。

「あれ……?」

「どうかした?」

 立ち位置を探していたユラナス・サダルメリクがそれに気づいて声をかける。弾かれたように振り返ったヴィーナは、うろうろと視線をさまよわせた。

「別に、なんでも……。壁に傷があるみたいで、気になっただけ」

「ん? 傷? なんだろ」

 ユラナスは興味深そうに目を光らせたが、直後にコルヌの「準備できたかー?」という声が飛んでくる。好奇心旺盛な少女はその追及をあきらめて、そそくさと教室の後ろに陣取った。

 にぎやかに、それでいて穏やかに授業は進んでいく。

「『天地の恵み、生命の源泉は、この手に集い、渇きを癒す』――」

 呪文詠唱が重なって聞こえたあと、あちこちでいびつな球状にまとまった水が現れた。今日の天気は快晴で、空気もいつもより乾いている。だからか、生まれた水の球は全体的に小さめだ。

 教室をぐるりと見渡し、全員が問題なく魔法を使ったことを確認したアルタが声を上げる。

「魔法をよく観察してみてください。それと、自分と周囲のアエラに意識を向けることも大事です」

 〈鍵の教室〉の子供たちは、その言葉を頼りに自分たちの魔法を見つめる。そして気づいたことを意気揚々と話した。積極的に話さなかった数人も、教師に問われると自分の感じたことを呟いた。

「それでは、今の魔法をアエラに還してください。次は火を灯してみましょう」

 アルタの静かな号令で、生徒たちは一斉に魔法を消す。それから、新たな詠唱を始めた。

 ヴィーナもそのうちの一人だった。いつもとなんら変わらぬ調子で呪文を紡いだ。

「『ほむらの種は指先に灯り、光とぬくもりをもたらす』」

 偉い人がきれいに整えたことばをなぞる。つまらない、と思いながらも、それを当然のこととして今日も繰り返す。

 周囲のアエラが熱を帯びる。体の内側が、ほんの少し温かくなる。ほどなくして、まっすぐ立てた人差し指の上に小さな火が灯った。

 燃える音が少し大きい。視界がいつもより明るい。

 それはけれど、あくまで『通常』の範囲内の変化だ。元素魔法ならごく普通に表れる、結果の揺らぎ。

 少女はそれを静かに見つめていた――はずだった。

「――え」

 突然のことだった。

 視界の端で何かが淡く光る。そうかと思えば、体が急激に熱くなった。息も苦しくなるほどだった。

 魔法を消さないとまずい、そう思うのに体が言うことを聞かない。灯火はみるみる大きくなり、炎と化した。それでもまだ足りないとばかりに燃え盛り、視界を深紅に染め上げる。

 ヴィーナは助けを求めようと口を開いた。けれど、熱い空気が流れ込んでくるばかりで、音のひとつも出てこない。

 いやだ、と無音の声で叫んだ瞬間。

「ヴィーナ!」

 鬱陶しいあの子の声がして。

 横から殴られるような衝撃を感じた。

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