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28 みんなの魔法

 声の方を振り返る。

 ヴィーナたちのそばに立っている少女が、祈るように両手を組んでいた。橄欖石ペリドットの瞳をまっすぐ前に向けている。

 視線の先には半透明の壁があった。子供たちと狼を隔て、雨粒すら弾くそれは、時折淡い虹色に輝く。

「で……できた……」

 ティエラは大きく息を吐きだすと、その場に膝をついた。それまで唖然としていた同級生たちは、下草の鳴る音で正気を取り戻す。

「まじかよ……。これ、ティエラがやったのか?」

「すごい……」

 狼に飛びかかられそうになっていた二人が、壁を見上げて感嘆する。それを見ていたメルクリオは安堵の息を吐いて、いっとき構えを解いた。

「あ、ありがとうございます。でも、そんなに長持ちはしないかと……」

「気にすんなよ。こんなバカでかい壁、出せるだけでもすげーって」

 マルセルが両目を輝かせてティエラを見た。ヴィーナがそれに何度もうなずく。その後、彼女は立ち上がり、マルセルを手招いた。

「そこ、他人ひとに感心してる場合じゃないでしょ。来なさい」

「あ? なんだよ」

「いいから」

 ヴィーナが続けて手招くと、マルセルは不承不承そちらへ歩いていく。彼の右手をにらんだ少女は「手、出して」と刺々しく指示した。首をかしげつつ言う通りにした少年の手に白い五指をかざし、少女は静かに目を閉じる。

「『根源たる力よ、身の内を巡る者らよ。その血を以て傷をふさぎ、その力にて痛みをとどめよ』」

 ひっそりとした詠唱の後。マルセルのてのひらに、ぽ、ぽ、と小さな光がいくつも灯った。それがするりと手の表面をなぞると、傷が少しずつふさがって、赤みが引いていく。

 少年は、目を丸くしてその光景に見入っていた。

 手のひらがすっかり元に戻ると、何事もなかったかのように光が消える。少女の吐息がつかの間、響いた。

「――やった」

 消えてしまいそうなほどの小声でそうこぼしたのち、ヴィーナは静かに手を下げた。それから、神妙な表情で下を向く。時折「ちょっとした傷を治すなら……」とか「体のちゆのうりょくをもっと引き出すには……」とかいう独り言が漏れてくる。先ほどの魔法について考え込んでいるらしかった。

「あ、あのさ。ありがとな」

 マルセルが、しきりにまばたきしながら頭を下げる。ヴィーナはきょとんとして顔を上げた。

「どういたしまして」

 思い出したように返した彼女は、再びうつむく。

 そのとき、ティエラが叫んだ。

「壁がもう持ちません! みなさん、備えて!」

 王女の悲鳴を聞いてヴィーナが顔を上げ、マルセルが飛びあがる。

 そして、メルクリオたちも表情を険しくした。

 薄れゆく壁のむこうでは、狼が低くうなり声を漏らしている。人間たちに食らいつけないのが不満でしかたがない、といわんばかりだ。

 七人の間に再び緊張が走る。その中で、カストルとポルックスが拳を握った。

「よーっし!」

「おれたちも負けてらんないね」

 気合十分な双子は、ちらとメルクリオの方を見た。彼は視線を投げ返して、小さくうなずく。

 すると、カストルたちは胸に手を当て、同時に口を開いた。

「『雨よ、雨よ、恵みの水よ。来たれ、来たれ、此方こなたへ来たれ』」

 きれいに重なった旋律が森を揺らす。

「『雫と雫、連なりて、流れ流れて川となれ』」

 詠唱に呼応して、降り続いていた雨粒が不自然に流動しはじめた。力ある言葉に束ねられた水滴は、一筋の流れとなって轟音を立てる。

 狼を呑み込んだ激流を前に、さしものメルクリオも絶句した。ただひとり冷静な精霊が、のんびりと呟く。

『二重詠唱ですか。久々に見ましたね』

 二重詠唱とは文字通り、同じ呪文詠唱を二人が同時に行うという詠唱法だ。同じ魔法を重ねることで、その威力を倍増させることができる。仕組みは単純だが、詠唱がきれいに揃わないと不発に終わったり暴走したりするので、言うほど簡単な手法ではない。

 けれども、生まれた瞬間から一緒にいるウィンクルムの双子にはうってつけの魔法だった。

 水の中で橙色の光が爆ぜる。狼が水に抵抗し、それに反応したアエラが光となっているのだ。それを見て正気を取り戻したメルクリオは、鋭く詠唱した。

「『雷電よ、迸れ』!」

 右腕を振り上げ、水流を切り裂かんとばかりに振り下ろす。瞬間、水の中を白い光がはしった。狼にまとわりついた雷電が強烈な音を立てる。どうどうとうなっていた水が弾け飛び、空が明るくなった。

 湿り気を帯びた道の上で、狼がうずくまっている。その体表からは時折、電気の名残と思しき白光が散っていた。苦しげに震える狼を見て、少年少女は息をのむ。

「さ、さすがに落ち着いたでしょうか……?」

「いや。まだだな」

 ティエラの呟きを拾ったメルクリオは、淡白に否定する。

 狼は、それを聞いていたかのようにぐうっと身を起こす。子供たちの方をにらみ、低く長くうなって――いっとう大きな咆哮を上げた。

 その音は周辺一帯に響き渡り、森を騒がせた。大気が振動し、木々が軋んで、羽を休めていた鳥の群れが一斉に飛び立つ。

 獣の怒りを真正面から受けた子供たちは、耐え切れずうずくまった。とっさに耳をふさいだものの、その程度で完全に防ぎきれるものではない。日々、魔族の絶叫を嫌というほど聞いているメルクリオですら、耳の痛みに顔をゆがめた。

 ――そのせいで、狼への対応が遅れた。

 収まらぬ怒りを森中にぶちまけた狼は、そのまま人間たちの方へ突っ込んでくる。一足先に動けるようになったメルクリオは、獣の顔を間近に捉えて青ざめる。

「やばっ……」

 魔法はもう間に合わない。

 ならば、と、メルクリオは勢いに任せて踏み出した。

『無茶ですよ、メルク!』

 高い悲鳴が耳朶を震わす。メルクリオは顔をしかめつつも地を蹴った。

「そう思うんなら力貸せ!」

『ああもうっ、帰ったらお説教ですからね!?』

 珍しく金切り声を上げた精霊が、自らのアエラをメルクリオの方へ流す。メルクリオは、体の底から熱が湧きだし、それが全身に染みわたるのを感じた。淡い光となったアエラが、両腕を薄く覆う。

 狼が跳躍する。その瞬間、メルクリオは腰を落とし、両腕を顔の前で構えた。

「メルク、何やって――」

 助手の声を背に受けたとき、メルクリオは腕に衝撃を感じた。狼が噛みついてきたのだ。

 歯を食いしばり、両足に力をこめる。

 狼の牙の狭間で白月げっぱくの火花が弾けた。金色の眼が見開かれ、噛む力がふっと緩む。

 そのわずかな隙をついて、メルクリオは全身をねじった。大きく振り抜かれた腕の勢いで狼が地面に叩きつけられる。

 メルクリオは大きく息を吐き、未だうっすらと光っている腕を下ろした。

 そのとき、背後でマルセルが瞠目したことを、メルクリオは知らない。

 しかし、彼の言葉は確かに聞いた。

「エステル! 狼の気を引ける魔法くれ! 煙幕とか!」

「ちょ、マルセルまで何するつもり!?」

「いいから!」

「なんなのさ、もうっ!」

 メルクリオが驚いて振り返った瞬間、文句を言っていたエステルが、高々と右腕を上げる。

「えーと、えーと……『あかあかと燃えるほむらは球となり』――」

 そして、狼を指し示すように振り下ろした。

「――『獣の頭上、高きところで花咲かす』!」

 エステルの指先から生まれた火球が、弓矢のように飛んでいく。詠唱の通り、それは狼の遥か上で弾けた。

 まだこのあたりに水気が残っていたのか、白い湯気がもうもうと立ち込める。

「『水よ、この地に下りて凍りつけ』」

 マルセルの声がした。普段の様子からは想像もできない、静かで厳かな声音であった。

 ささやきに近い詠唱のあとには、森がじわじわと冷えていく。

「メルクリオ、下がれ!」

 少年の一声が乳白色の世界を割った。ほとんど反射で飛び下がったメルクリオの横から、赤毛の少年が踏み出す。かたく拳を握った彼は、勢いよく駆け出した。

「『氷刃ひょうじんは、この拳を剣と化す』!」

 走りながら叫ぶ。そこからの、跳躍。

 腹の底から声を出した少年は――薄らいだ湯気のむこうにいる狼の鼻面に拳を叩きこんだ。氷に覆われた拳を。

 衝突の直前、マルセルの拳を覆っていた氷が割れて氷柱のように変化する。それは狼の毛皮を容赦なく貫いた。

 今までとは質の違う、獣の声がこだまする。湯気はすっかり消え去って、その場に伏した狼の姿がはっきりと見えた。

 巨体のかたわらに着地した少年が、盛大に息を吐く。

 あとには、沈黙が訪れた。

「……やっ、た……?」

 自然の音だけがあたりを包む。

 誰かの声が、それをほんの少し揺らす。

 縛りから解放された子供たちは――一斉に息を吐きだし、へたり込んだ。

「よ、よ、よ、よかったあああ……」

「死ぬかと思った……」

 全員の胸中を代弁した双子の横で、ヴィーナが地面に両手をつく。ティエラがその後ろで何度もうなずいていた。

 エステルは胸に手を当てて深呼吸を繰り返している。そのそばへはいつくばってきたマルセルが、彼女に「ありがとなー」と言って拳をのろのろと持ち上げた。エステルは苦笑して、自分の拳を相手のそれにくっつける。

 釣られて座り込んだメルクリオは、自分の腕をまんじりと見つめていた。狼の牙を受けた腕には、傷もなければ痛みもない。けれど、筋肉痛にも似ただるさがこびりついていた。濃密なルーナのアエラを直接まとったせいだろう。

 腕をさすりながら顔を上げたメルクリオは、軽く瞠目する。

 マルセルに伸されたはずの狼が、頭を上げた。鼻づらの傷は、すでにゆっくりと治りはじめている。

 彼はのっそり立ち上がる。同級生たちも足音でそれに気づいたらしい。揃って頬を引きつらせた。

 しかし、メルクリオだけは落ち着いている。座ったまま空を仰いだ。

 細い雲が泳ぐ、青い空。

 その真ん中を、同じ色の影が横切った。

 独特な旋律が響き渡る。子供たちがそれに惹かれて空を見たとき、狼と彼らの間に、空色の鳥が割り込んだ。

「チェロちゃん!」

「ってことは……!」

 双子が歓声を上げた。そこに、土を踏む靴のが重なる。

「――みんな!」

 茶髪の少女が、小柄な女性教師を伴って駆けてきた。

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