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24 それぞれの魔法

 そして、秋休みが明けた。静かだったグリムアル魔法学校に、生徒たちの笑い声が戻る。

 大図書館の番人の潜入調査も当然のように再開した。彼はまた、魔法学校の一年生『メルクリオ・シュエット』として過ごすことになる。


 休み明けの翌日。一年生の〈鍵の教室(クラヴィス)〉ではさっそく魔法実践の授業が行われた。その内容は、『自分の得意な魔法と改善点を見つけること』。生徒たちが好きに魔法を使って、それを見た教師から助言をもらう。さらには生徒自身でも改善点や困った部分を探していく、という流れだ。

 基礎の段階を終えて、国内随一の魔法学校らしい授業へと様変わりしていく。


「よーし。みんな、十分に距離を取ったな? それじゃあ、好きに魔法を使ってくれ。思いつかない人は、自分が一番使いやすい魔法でいいぞ」

 東演習場に散らばった〈鍵の教室〉の面々は、教師の号令で一斉に詠唱を始めた。ばらばらの言葉が混ざり合い、薄曇りの空の下で色とりどりの光が舞い踊る。

 この授業を担当するコルヌ・タウリーズはのんびりと演習場を歩き回っていた。まるで散歩のような風情だ。

 冷たい風を浴び、生徒に気づかれぬよう身震いした彼は、そこである一点に目を留める。

 演習場の中心部で、赤い短髪の少年が長い木の枝を握りしめていた。両足を広げて踏ん張り、息を止めるほど力を入れている。そして、感覚を研ぎ澄ませてみれば、木の枝のまわりでアエラが流動していた。

 コルヌが何食わぬ顔で見守っていると、少しして細く渦巻いていたアエラがぱっと散る。盛大に息を吐きだした少年が、膝に手をついた。

「マルセルさんのそれは……ひょっとして、武装魔法の練習か?」

 そこでようやく、コルヌは彼に声をかけた。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返していた少年――マルセル・グラディウスは、教師に気づくと慌てて起き上がる。

「あっ。えっと……そうっす! どうしても武装魔法が使えるようになりたくて」

「武装魔法は剣術や体術とのかみ合わせがいいからな」

 マルセルが嬉しそうにうなずいた。しかし、その顔がすぐに曇る。

「でも、なかなかできるようにならないんすよね……」

「そうなのか。長いこと練習してるのか?」

 教師の問いに、少年は「ちっさいときから」と力なく答える。コルヌは顔をしかめて考え込んだ。その間に、言葉が続く。

「アエラ使づかいがうまいユラナスに見てもらったことがあるんすけど……『集中力が足りない』って言われちゃいました。すぱっと」

「すぱっと、かあ」

 コルヌは思わず苦笑した。

 武装魔法とは、戦闘時、剣や体にアエラをまとわせて強化するものだ。人間が扱う魔法の中で唯一、呪文がなくても発動できる魔法だが、そのぶん膨大なアエラと想像力、そして集中力を要する。

 マルセルの場合、体内のアエラの量は申し分ない。魔法の基盤となる想像力もなかなかのものだ。ただ、大元のアエラの制御が上手くできずに悩んでいる。

 魔法使いの卵とみなされた子供は、大抵の場合、十歳頃までに自分の中のアエラを操るための訓練を終える。訓練をしてもアエラが不安定な子は、体に何か問題があるか、ひとつのことに集中するのが苦手かのどちらかだ。マルセルは今のところ、体に異常は見つかっていないという。

 ユラナス・サダルメリクの評価はおそらく間違っていない。

 コルヌは少し考えて、頭をかいた。

「武装魔法じゃないと武術に合わせられないってわけじゃない。武装魔法が難しそうだったら、ほかの魔法を使うことも考えていいと思うぞ。人それぞれ、得手不得手というものがあるし」

 むう、と少年が不満そうにうなる。コルヌは笑って己の顔を指さした。

「先生も武装魔法は苦手だ。戦いながらあれを維持するのはきつすぎる」

 からりとした言葉を聞いても、少年のしかめっ面は緩まなかった。彼はそのまま木の棒を握り直す。

「……でも、やっぱり武装魔法を使えるようになりたいっす。もう少しやってみます」

「そうか」

 コルヌは肩をすくめる。無理に止めることはしない。代わりに軽く背中を叩いた。

「まずはきちんと背筋を伸ばす。呼吸は止めるな」

「は、はい?」

「息を吸って、吐く。これを一回一回意識してみろ。それに慣れれば、少しは集中が続きやすくなる」

 怪訝そうだったマルセルの表情が、みるみる輝く。「はい!」と元気よく返事をしたマルセルを明るく励まし、教師はその場を離れた。

 深呼吸しだした少年を振り返り、眉根を寄せる。

「グラディウス……。ハマル将軍は、どんな教育をしてきたのかね」

 ハマル・グラディウス――マルセルの父親は、周辺諸国に勇名をとどろかせた軍人だ。今は後進の育成に励んでいると聞く。戦力としての魔法、兵力としての魔法使いは重要視しているが、魔法自体に興味はない。そんな人だ。

 マルセルが武装魔法にこだわるのは、そのあたりに理由があるのかもしれない。

「……ま、焦ることはないさ。まだ一年生だ」

 誰にともなく呟いて、コルヌは『散歩』を再開した。



 次にコルヌが見つけたのは、木のそばに生えている植物にぶつぶつと話しかけている少女だった。漏れ聞こえる呪文が途切れたところで、木陰から顔を出してみる。

「精が出るな」

「うわっ!」

 少女――ヴィーナ・ヴェル・マーレは素っ頓狂な声を上げて飛びのいた。担任教師の顔を見るなり、げんなりと肩を落とす。

「タウリーズ先生……おどかさないでください」

「ははは、すまんすまん」

 生徒に咎められた教師は、頭をかいて木の反対側に回る。ヴィーナの前にかがみこんだ。

「どうだ、育ったか」

「一応効果はありましたが、思ったようにはいきません」

 ヴィーナはすまして答え、足もとの植物に視線を落とす。鋭い葉をもつ植物の先端には、季節外れの赤い蕾がついていた。

 コルヌは顎に指をかけ、ヴィーナを一瞥する。一年生としては出来すぎているのだが、本人は不満らしい。

「スズメの怪我は治せたのに、花を咲かせようとするとアエラが上手に動かないんです。何が足りないんでしょう」

 少女が紫色の目をきつく細めた。コルヌは、しばしうなってしまう。現時点では明確な答えを出すことは難しい。しかし、そう言っても彼女は納得しないだろう。

 悩んだ末、少しだけ話をずらしてみることにした。

「ヴィーナさん、ほかに得意な魔法はあるか?」

「……火を出したり、風を吹かせるのは得意です」

「じゃあ、これは使いづらいっていう魔法は?」

「水を操ったり、先生のように土や岩を動かすのは苦手です」

 少女は鋭い語調で答える。その間も蕾から目を離さなかった。コルヌは顎をなでながら彼女の視線を追う。

「ふむ。それなら、属性の偏りがあるかもな。花が咲くためには風や日の光も必要だが、水が足りないと枯れてしまうし、土の養分が足りなくても育たない」

 ヴィーナが首をかしげた。赤みがかった金髪がさらりと揺れる。それを見ながら、教師は左の人差し指を立てた。

「つまり、自分があまり得意じゃないもののことも気にしてみよう、ってことだ。あとは、仕組みを理解するのも大事だぞ」

「仕組み、ですか」

「そう。花を咲かせたいのなら、花が咲くまでの過程と、それに必要なものを学ぶこと。そうすればアエラの動きもわかりやすくなるし、呪文も組み立てやすくなる」

 蕾をにらんでいた少女は、それを聞いてやっと顔を上げる。コルヌの方をじっと見てから、ひとつうなずいた。

「なるほど。勉強してみます」

 しかつめらしくうなずいたコルヌはけれど、思い出したように眉をひそめる。

「あと、許可なく野鳥に触っちゃだめだぞ」

 注意されたヴィーナは、不思議そうに目を瞬いた。

「なぜですか?」

「病気を持ってるかもしれないからだ」

 もっとも伝わりやすかろう理由を挙げて注意する。ヴィーナは素直に「わかりました」と言った。ひそかに息を吐いて、コルヌはひらりと手を振った。

「じゃ、また来るよ」

 短く告げて、その場を離れる。背後から、再びか細い呪文詠唱が聞こえてきた。



 演習場の南側、周囲に人がいない芝生の上で、そっくりな少年二人が魔法を使っていた。どうやら風を操る練習をしているらしいが、詠唱の内容はそれぞれ違う。

 そよそよと吹く風に揺らされる髪を押さえ、コルヌは声を張り上げた。

「ウィンクルムの二人は個別練習か?」

 風がぴたりとやむ。魔法を止めたカストルとポルックスは、楽しそうに駆け寄ってきた。

「そうです。今日は――」

「別々の魔法をやってまーす」

 カストルの発言を引き取って、ポルックスが手を挙げる。

「珍しいな。君たちにはもう『売り』があるだろうに」

「だからこそですよ」

「だからこそですー」

 双子は声を揃え、琥珀色の瞳をきらめかせた。そして、カストルが胸を張る。

「最近は、それぞれの魔法の()()()を上げようって思ってるんです」

「どうですか、先生?」

 誇らしげな兄の横から、弟がひょっこりと顔を突き出す。担任教師は腕を組み、真面目な表情をつくった。

「君たちの言う通りだ。それぞれの魔法が上達すれば、一緒に使ったときの威力も上がる」

「そうでしょう、そうでしょう」

 また二人の声が揃う。歌うような返答だったからか、妙に美しく響いた。

「個別練習はこれからも取り入れるといい。ただ、一緒の練習も続けような。サボって感覚を忘れると、足並みが乱れやすくなるから」

「なるほど。了解しました!」

「しましたっ!」

 揃って敬礼のまねごとをした双子は互いに向き合う。

「そんじゃあ、この後は『二重詠唱』するか」

「よしきた、やろう!」

 元気な兄の提案に、弟が飛び跳ねながら答える。コルヌはほほ笑んでその光景をながめた。



 校舎近くの木のそばから、朗々とした詠唱が聞こえてくる。最近何かと聞くことの多い声に誘われて、コルヌはそちらへ歩いていった。

 長い金髪をなびかせる少女のまわりで光の球が踊っている。それはくるくると回り続けていたが、そのうち統制が乱れて、四方八方に飛んでいってしまった。少女は慌てた様子で打ち消しの呪文を口にする。光たちは被害を出す前に跡形もなく消え去った。

「あ、先生!」

 エステル・ノルフィネスは、声をかけられる前に教師に気づいたらしい。碧眼を輝かせて手を振った。

 それに応えたコルヌは、のんびりと歩み寄る。

「どうも、助手さん」

「授業中にそれ言っていいんですか?」

「誰も聞いてないし、大丈夫だろ」

 まっとうな指摘を軽く流して、教師は笑う。エステルは少し眉をしかめて小首をかしげた。しかし、すぐに渋い表情を消して背伸びした。

「どうですか? 私の魔法」

 期待にあふれた顔を見返して、コルヌは頬をかいた。

「一年生であそこまでできれば十分だな。詠唱も上手いし。……というか、休み前より詠唱のキレよくなってないか?」

「わ、ほんとですか? やった!」

 エステルは両方の拳を握りしめて小さく飛び跳ねる。軽く笑声を立てた教師はけれど、直後に遠くを見やった。先ほど、彼女が生み出した光球が飛んでいった方角だ。

「エステルさんの課題は、魔法の制御と操作かな。細かい動きとか、魔法を一か所で維持するとか、苦手だろ」

「うっ……それは、その通りです」

 少女は一転してうなだれる。表情がくるくる変わる教え子を一瞥し、教師は人差し指をなめらかに回した。

「呪文詠唱だけで制御ができないときは、動作を組み合わせるといい。詠唱しながら腕を振ったり、アエラの動きに合わせて足踏みしたり、な」

 エステルはしきりにうなずいている。

 コルヌは、真剣な少女に耳打ちした。

「番人殿もよくやってるだろ」

 碧眼がわずかに見開かれる。

「そういえば、やってますね」

「参考にするといい。せっかく最高のお手本が近くにいるんだからな」

 教師は顔を離して悪戯っぽく片目をつぶる。生徒の方も笑顔で胸を張った。

「やってみます! 今度コツとか訊いてみようかな?」

「おう、そうしろ」

 からからと笑ったコルヌは、その場を離れようとする。しかし、「あ、あの!」と呼び止められた。

「どうした?」

「飛行魔法と重量操作の魔法が使えるようになりたいんです。何から手をつけたらいいですかね?」

「……ずいぶん先の予習をしてるんだな」

 これにはコルヌの笑顔も引きつった。

 十中八九、グリムアル大図書館絡みだ。コルヌは断定した。なぜ断定できるかというと、偉大なる番人殿が息をするように飛行魔法を使う様子をしょっちゅう見ているからである。

「呪文が載ってる本とか理論の本とかは見てみたんですけど、あんまり頭に入ってこなくて」

 呟きのような少女の言葉を聞き、教師は頭の中でいくつかの書物を思い浮かべた。魔法を専攻することとなる三年生ですら読み解くのに苦労するものばかりである。

「…………とりあえず、自分を三秒浮かせるところからだな」

 頭を高速回転させたコルヌは、結局、『浮遊・飛行魔法基礎』の授業の最初に話す内容をそのまま口にした。



「――君たちに教えることは何もない」

 同じ場所で魔法を使っていた少年と少女を見たコルヌは、爽やかに言い切った。

 二人は揃って不満げな顔をする。

「開口一番それですか」

「先生、真面目にやってください」

 呆れたように呟いたメルクリオの隣で、ユラナスが腕を組む。コルヌも負けじと真剣な表情をつくった。

「大真面目だよ。君たちは四年生の〈冠の教室(クローナ)〉あたりにぶちこんでもやっていける。よって、先生から言えることはない。以上」

 それを聞いた二人は「ええー」と低い声を漏らした。普段ほとんど話さないくせに、こんなときだけ仲良しである。

「楽しみにしてたんですが……」

 ユラナスが、ため息をついて自分の周囲を飛んでいた水の竜を消し去る。その言葉に、メルクリオがうなずいた。

「俺もです。〈撃滅〉の魔法使いから助言もらいたかった」

「え、タウリーズ先生ってそんな物騒なあだ名がついてるの?」

「それ俺じゃなくてうちのご先祖の二つ名な!? しかもかなーり前のご先祖だからな!?」

 コルヌは大慌てで弁明し、咳払いする。生徒の皮をかぶった番人は、しれっと顔を逸らした。わかってからかっているのだろう。

 少年はちらちらとこちらをうかがい、少女も澄み切った期待のまなざしを向けてくる。

 コルヌは、参った、とため息をついた。

「そうだなあ。しいて言うなら……」

 呟いて、思考する。それから緑の瞳をまっすぐ二人に向けた。

「君たち二人に共通していることだけど、なんでもできちゃうぶん、その力に物を言わせて無茶をしているように見える。いつもじゃないけどな」

「というと?」

 ユラナスが黒茶の瞳をきらめかせた。

「このくらい平気だろうと思って、高度な魔法を連発することはないか? 転移魔法とか」

「転移魔法はさすがにないですよ」

「あくまで例えな」

 すぐさま切り返してきたユラナスに、コルヌも言葉を投げ返す。一方のメルクリオは、わかりやすく目を逸らしていた。……ここしばらくの騒動や業務のことは、コルヌのもとにも報告が来ている。問い詰めるまでもなかった。

 ユラナスも多少は身に覚えがあるのか、むう、とうなっている。そんな二人を順繰りに見て、コルヌは表情をやわらげた。

「どんなに優秀な魔法使いでも、人だ。万能の精霊や神様じゃない。どこかで必ず限界はくる」

 少女はしきりにうなずき、少年はただ沈黙している。

「二人は、それを忘れないように。決して無理をせず、難しいことは仲間に頼るといい。同級生が六人もいるんだからな」

 ――ユラナスはどうかわからないが、メルクリオにこの言葉は響かないだろう。それどころか、かえって混乱させることになる。

 彼に万能の存在であることを求め続けてきたのは、コルヌたち大人なのだから。

 それでも彼は、言わずにいられなかった。



     ※



 ユラナスと別れたメルクリオは、ひと気のない演習場の東端をぶらついていた。

 教師に「教えることはない」と言われた以上、あのまま魔法を垂れ流していても無意味だ、と判断したのだ。ユラナスも同じ結論に至ったのか、コルヌを見送るなり魔法を止めて、呪文の研究らしきことを始めていた。

 心地よく張り詰めた空気の下で、ただそぞろ歩く。木々のざわめきと、踏みしめた芝生の音を聞いて、深く息を吸った。

「なあ、ルーナ」

『なんでしょう』

 正面を見たまま呼びかけると、虚空から返答があった。

「周囲のアエラに不審な動きはないか」

『今のところないですね』

「そうか」

 メルクリオは、相槌を打ってあくびをかみ殺す。

「……暇だ」

『たまには暇もいいじゃないですか。寝る時間も取れないよりはましです』

「くそう、まだ蒸し返すか」

 澄ました少女の声を聞き、メルクリオはげんなりと顔をしかめる。

 ボーグル脱走騒ぎ以降、徹夜を余儀なくされるような事件や仕事は持ち込まれていない。助手がいることもあって、きちんと眠る時間を確保できるようになっていた。

 魔法暴発事件の続報もなかなか入らない。平和なのはいいことだが、かえって不気味なようにも思えた。

『……おや?』

 ルーナが声を潜める。メルクリオも、片眉を跳ね上げた。

「誰かいるな。生徒か?」

『おそらく、そうですね』

 応答ののち、月光のアエラがしぼんだ。

 メルクリオは、一応注意しつつ歩を進める。ほどなくして、木陰に人の姿を見つけた。

 亜麻色の髪をひとつに束ねた少女が、静かに呪文を紡いでいた。清流のような詠唱に合わせ、彼女の内なるアエラがぐうっとうねって上がってくるのがわかる。周囲のアエラも細かく揺れて、茫洋とした光を放ちはじめた。

 そのアエラが大きく動くかと思われた瞬間、一斉に散った。光も消えて、アエラは再び天に還る。

 少女は惜しそうにそれを見届けて、ため息をついた。うつむいて木陰に座り込む。

 メルクリオは、歩調を変えずに歩み寄った。

「ティエラさん」

 声をかけると、彼女ははっと顔を上げた。慌てたように腰を浮かす。

「あっ、メルクリオさん! すみません、お邪魔でしたか」

「いや、そんなことないけど……。俺は暇だったからぶらぶらしてただけ」

「そ、そうなんですか」

 メルクリオが首をかしげると、ティエラは戸惑った様子で座り直す。メルクリオはなんとなく、木の幹にもたれかかった。

「ティエラさんこそ、ずいぶん離れたところでやってるんだな」

「はい。みなさんの様子が見えない方が、集中できるかと思いまして……」

 ティエラは、橄欖石ペリドットのごとき瞳を空へ向ける。

「先ほど、タウリーズ先生にアエラを安定させる瞑想を教わったので、それをやってから魔法を試してみたんです。でも、また失敗しちゃいました。なかなか上手くいかないものですね」

 照れたように笑う。その横顔にはけれど、傷ついたような色がにじんでいた。しばし彼女を見つめたメルクリオは、つとめて穏やかに口を開く。

「前々から気になってたけど、ティエラさんはアエラが安定しないのか?」

「……はい。どうも、体質の問題らしくて」

 うなずいたティエラは、笑みを消して、膝の上で両手を絡めた。

「普通、人のアエラはゆっくりと増えて濃くなっていって、五、六歳くらいで安定するそうです。でも、私は生まれたときからアエラが多かったみたいで。それで、制御しづらいのだそうです」

 ぽつぽつとこぼれる彼女の言葉を、メルクリオは静かに聞いていた。彼が相槌を打つと、ティエラは目を丸くして振り返る。

「……怖くないですか?」

「ん? なんで」

「いえ……。この話をすると、たいてい怖がられるので。入試のときも大騒ぎになりましたし」

 ティエラの声が尻すぼみに消える。メルクリオは、あー、とこぼして頭をかいた。

「俺は、別に。()()()()()()()()

 少女は瞠目し、細く息をのむ。唇がわずかに動いたが、結局言葉は紡がれなかった。

 なんとなく精霊の方を見ていたメルクリオは、意識をティエラの方へ戻す。

「魔法使いにとっちゃ天賦の才みたいなものなんだろうけど。抑えられるようになるまでは、大変だよな。前触れなく吐いたり、いきなり頭痛くなったり」

「はい……。前を通った建物の窓ガラスがいきなり割れる、なんてことも……」

「何それ危ない」

 灰青色と若草色がかち合う。二人は、どちらからともなく吹き出した。少しの間笑いあったのち、メルクリオは何気なく問う。

「専属の医者とか家庭教師とか、つかなかったのか? 王族なんだから、いくらでも優秀な人を手配できるだろうに」

 一瞬の沈黙。そののちティエラは――オロール王国第三王女は、ほほ笑んだ。

「ええ。お医者様も家庭教師もつけていただきました。ですけど、彼らでも手がつけられなかったようなのです。制御も魔法の勉強も成果が出ず、何度もアエラの暴走を起こしてしまって――最終的には、お父様から『王宮内ではどうしようもないからグリムアル魔法学校に入りなさい』と言われました」

 匙を投げられた、ということか。あるいは、あまりに成果が出ないので、医者も家庭教師も解雇されたのかもしれない。

 メルクリオは頭を抱えた。耳元からも呆れたような気配が伝わってくる。

魔法学校ここに丸投げかよ。無茶苦茶だな」

「本当に。先生方も同じように思われたでしょうね」

 ぼやいた少年に、王女が微苦笑を向ける。彼女はそれから両手を広げて、見つめた。

「だからこそ、ちゃんと魔法使いにならないといけないんです。なのに……」

 消えそうなささやきは、痛みと不安をはらんで落ちる。そちらを一瞥したメルクリオは静かに体を起こした。

「自分のアエラを体に留めることはできてるんだから、あとは工夫次第でどうとでもなるよ。……ティエラさんは、アエラを抑えることを意識しすぎている気がする」

 え、とこぼしたティエラは、両目をしばたたいてメルクリオを振り仰いだ。彼は軽やかに反転して、彼女と向き合う。

「ティエラさん。そこに落ちてる葉っぱを取ってもらっていいか?」

 ティエラの足もとに落ちている、黄色っぽい葉を指さす。彼女は怪訝そうにしつつも、それを拾って立ち上がった。丁寧な所作でメルクリオに葉を渡す。

「ど、どうぞ」

「ありがとう」

 お礼とともにそれを受け取ったメルクリオは、乾いた葉を顔の前にかざす。

「――魔法を使うっていうのは、こういうことだ」

「……え?」

「今俺がやったのと同じことを、アエラにやるんだよ」

 ティエラは、意味がわからない、というように顔をしかめていた。けれど、少しして目覚めたような表情になる。その変化を見届けて、メルクリオは口角を上げた。

「魔法で何をしたいか――もっと言えば、アエラに何をしてほしいか。それをきちんと伝えて、叶えてもらったらお礼も言う。少なくとも俺は、そういう気持ちで魔法を使ってきた」

 葉を高く掲げる。それと同時に口を開いた。

「『舞い踊る空の子らよ。地より出でし命の欠片を運び、新たな命の糧とせよ』」

 詠唱が終わるやいなや、ぱっと手を離す。落ちかけた葉はどこからか吹いた風に舞い上げられ、遠くの空へと流されていった。

 葉が飛んで行くのを目で追っていたティエラは、それが完全に見えなくなると感嘆の息を吐く。

「そっか……。だから、メルクリオさんの詠唱は優しいんですね」

 今度は、メルクリオが両目をしばたたいた。

「優しい、か?」

「はい。とても」

 ティエラはやわらかく目を細めた。一点の曇りもない。

 メルクリオが再び頭をかいたとき、遠くから覚えのある声が聞こえてきた。

「どうだ、ティエラさん。……と」

 小走りでやってきたコルヌ・タウリーズは、メルクリオを見て足を止める。

「メルクリオさんも一緒だったか」

「お邪魔なようなら退散しますよ」

 メルクリオは平然と言って、体をひるがえそうとした。しかし、ほかならぬティエラに止められる。

「あ、待ってください。もう一回魔法を試そうと思うので、ご迷惑でなければ見ていってください」

 メルクリオは驚いて振り返る。コルヌも意外そうに二人を見比べていた。

「いや、でも」

「メルクリオさんにも見ていただきたいのです」

 王女の言葉とまなざしは、妙に力強い。どこかの助手を彷彿とさせる姿に、メルクリオはたじろいだ。迷ったすえ、木の前に戻る。

「……まあ、一回くらいなら……」

「先生は構わないぞー」

「ありがとうございます!」

 嬉しそうに頭を下げたティエラは、すぐに背筋を伸ばして深呼吸を始める。少し後、ひっそりとした声が演習場を包み込んだ。

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