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19 日常のさざ波

 二年生〈杖の教室(バークルマ)〉の授業中に魔法の暴発が起きたのは、秋の休暇を控えたある日のことだった。

 最初は生徒の呪文が不安定だったものと思われたが、授業に関わった人々の証言を聞く限り、そういったわかりやすい異常はなかったという。

「これまた派手だな……」

『よく怪我人が出ませんでしたね……』

 コルヌのはからいで無人の現場にやってきたメルクリオは、教室内の惨状を見て嘆息した。

 広々とした部屋の中心に、鋭く光る破片が無数に散らばっている。防御魔法でも仕掛けていたのか、教壇の周辺や窓などには傷一つない。

 ルーナが無言で結界を張る。そのぬくもりを確かめたメルクリオは、慎重に部屋へ踏み込んだ。目についた破片を拾い上げる。色や質感からして、青銅だろうか。

 ある生徒が変形魔法で金属の塊をいじろうとしたとき、突然アエラが渦を巻き、その金属が粉々になった。それが、今回の『事故』の経緯らしい。コルヌの話を思い出しながら、メルクリオは教室じゅうを見回す。魔法の暴発直後によく感じる不快な熱が、ちりちりと肌を焼いた。

『どうです? “不審なアエラ”は感じますか?』

「いや……今回は感じない。ルーナはどうだ?」

『私も感じませんね。この騒ぎが起きる直前に、一瞬変な感じがしたくらいです』

 精霊にもほとんど気取らせない、ということか。メルクリオは、やや乱暴に頭をかく。

「相当手ごわい相手だな、こりゃ」

 独白に返る声はない。けれど、ルーナがむっつりと黙り込んでいる気配は伝わってきた。どうしたものかと考え込んでいたメルクリオは、何気なく事故現場の中心を見て、眉をひそめた。

「……ん?」

 目を凝らす。そしてさらに顔をゆがめたメルクリオは、金属片の海の中に踏み込んだ。何も知らない人が見たら大慌てで止めに入る荒業だが、当人は涼しい顔である。

 ためらいなく中心に行き、その中でもっとも大きな破片を拾い上げる。陽光にかざし、矯めつ眇めつながめた。ほかの金属片と違って、この破片は白っぽい。しかも、何かを彫ったような溝があった。再び、目を凝らす。青緑色の破片の中に、白い光がぽつぽつと見える。

「これは……」

『面倒なことになってきましたね』

 すぐそばで、心底嫌そうな声がささやいた。



     ※



 グリムアル魔法学校の食堂は、昼時になるとお腹を空かせた生徒たちでごった返す。ゆったりと好きな食べ物を取っていく子もいれば、汗だくで駆け込んできて余り物をなんとか確保する子もいる。

 この日のメルクリオは、どちらかと言えば後者だった。魔法暴発の現地調査と報告が長引いて、昼食争奪戦に乗り遅れたのである。

 出入りする生徒の波にまぎれ、ふらふらと食堂に入ったメルクリオは、そばの長机を一瞥してため息をつく。お昼の鐘が鳴った頃には色とりどりの料理で埋め尽くされていたのであろうそこは、すっかり空きだらけになっていた。

「……まあ、よくあることだしな」

 慰めるように呟いて、トレイを手にする。余り物をざっとながめ、パンひとつとゆで卵、野菜スープを取っていった。

 席を探して視線を巡らせていたとき、雑踏の中から元気のよい声がする。

「あ、メルク! おかえり!」

 聞き慣れた声にひかれてそちらを見ると、窓際の席でエステルが手を振っていた。彼女もこれから昼食なのか、トレイの上にはまだ料理が並んでいる。メルクリオは無言で手を挙げ、彼女の方へ歩いていった。

「相席いいか?」

「もちろん! そのために場所取りしてたからね」

「……そこまでしなくていいよ」

 得意げに胸を張ったエステルに苦笑し、メルクリオは向かいの席に座る。彼のトレイを見たエステルが、目を丸くした。

「あれっ。メルク、お昼それだけ?」

「争奪戦に負けた」

「それじゃ持たないよー。六限で魔法の練習試合やるんだよ?」

「別に平気だよ」

 一年生の練習試合なら、仮に寝不足でも難なくこなせる。多少空腹なくらいは何の問題にもならない。そういう意味もこめてメルクリオが短く答えると、エステルは自分が取り分けた料理たちをながめてうなずいた。かと思えば、フォークを肉団子に突き刺して、メルクリオの皿に乗せてくる。

「あげる。まだ手はつけてないからね」

「いやあんた、自分の分だろ。自分で食べろ」

「いいの。私の分はいっぱいあるから」

 エステルは、自分の皿を指さしてにこりと笑った。こういうときの彼女は、大抵言動を曲げない。長くはないが濃い付き合いの中で、メルクリオはそのことを理解していた。ため息をつきつつも、「じゃあいただく」と言っておく。

 食前の祈りを捧げ、静かに食器を持つ。このとき、エステルなどと一緒にいると視線を感じるのだが、メルクリオはさして気にしていなかった。

 彼が野菜スープを一口飲んだとき、エステルが話を切り出す。

「そういえば、どうだった? 魔法の暴発」

 少女は興味津々だ。メルクリオは、少し考えてかぶりを振った。

「『知らない誰かのアエラ』は感じなかった」

「そっか……。じゃあ、ほんとにただの事故なのかな?」

「そうとも言い切れない。〈封印の書〉に手を出した人とは違う人物がやったことかもしれないし」

 淡々と返したメルクリオは、そこで一度食器を置く。先ほど見たものを思い返し、胸に薄い靄が立ち込めた。

「……それに、ちょっと嫌なことが判明した」

「え? 何がわかったの?」

「あー。あとで話す」

 食い気味に訊いてきたエステルはけれど、メルクリオの一言であっさりと引き下がった。彼の言う「あとで話す」は「大図書館で話す」という意味だ。それを素早く察したのだろう。

 その後、少しの間、二人は黙って食事をしていた。しかし、メルクリオはパンが残り半分になったところで顔を上げる。

「そうだエステル。『読書』の方は順調か? 禁術の本はだいぶ読み進めてるみたいだけど」

「あ、うん。おとうさ……もう一冊の方も、最初の章はだいぶ読めた」

 エステルもまっすぐにメルクリオの方を見て答える。人を気にしてか、わずかに目が泳いでいた。

 その答えを聞いて、メルクリオは少し考えこむ。

「……ちょっと試してみるか」

「試す?」

 いぶかしげに問い返したエステルを見て、メルクリオは貰ってしまった肉団子を咀嚼した。そして、机を指で軽く叩く。

「今からいくつか質問をする。それに答えてみてくれ」

「う、うん? わかった」

 エステルはどうも、ぴんと来ていない様子だ。メルクリオは構わず口火を切る。

「――シリウス・アストルムがしゅとして研究していた事柄は?」

 鋭い問いに、少女は目を瞬く。しかし、メルクリオが無言のままでいると頼りなく口を開いた。

「え、えっと。精霊と魔族、特に彼らの存在がアエラにもたらす影響について」

「その研究の中で、オロール王国および学会からもっとも評価されたことと、その理由は」

「精霊がアエラと調和し共存している、魔族がアエラを支配しそれに干渉している、と明確に定義づけたこと。理由は……それまで色んな魔法使いの間でぼんやりとは言われ続けていた内容だけど、しっかりと観察・研究を行って論文にまでまとめたのは、彼が初めてだったから」

「……よし」

 メルクリオは、その後も質問を続けた。シリウスの最近の研究について、禁術の定義、精霊と魔族が関わる禁術の事例、などなど。エステルはそれらの問いに、時折まごつきつつも的確に答えた。

 ひと通り質問を終えたメルクリオはうなずいて、軽く手を叩く。エステルが長々と息を吐いた。

「そこまでわかってれば大丈夫だな。今度からほかの研究書を見るか」

「本当? やった!」

 エステルが嬉しそうに拳を握る。けれど、すぐに唇を尖らせた。

「にしても、びっくりしたよ。入学試験を思い出した」

「こういうのは抜き打ちで確かめた方がいいからな」

 不満げにぼやくエステルをよそに、メルクリオは残りのパンをスープに浸す。少しふやけたそれを口に放り込んだ。

『異界の魔族の長期召喚なんて、いいところを突いてきましたね』

 姿を見せないまま、ルーナがささやく。

 彼女が話題に出したのは、先ほどの問答の中でエステルが挙げた禁術の事例のひとつだ。

 隣の世界――異界とも呼ばれる――に住む魔族を魔法で呼び出すことは可能だが、こちらの世界に留めておけるのは短時間だ。

 異界の魔族は強い。その強者をできるだけ長い時間使役することはことはできないだろうか、と考えて実行した魔法使いがいた。

 その魔法使いが召喚したのは、人を食らう魔族だった。そこで魔法使いは、人をさらって生贄とし、魔族に与えることで彼を留めつづけた。

 しかし、それも三か月が限界だった。三か月後のあるとき、突然魔族が発狂し、魔法使いが住む町のアエラが乱された。当の魔法使いも魔族の暴走に巻き込まれて亡くなった。

 最終的に魔族は止められ、元の世界へ還されたが、生贄になった人々を含め多数の死者を出した。

 禁術とは、このように、発動前後に多数の犠牲や大きな危険を伴う魔法のことである。

 少し前のエステルの言葉を思い出し、メルクリオはにやりと笑った。

「当時の番人が出張るほどの大事件だな。生々しい記録が残ってるよ」

「う、うん。『大図書館の番人』がちょっと出てきたから。それで印象に残ってるのかも……」

 照れ臭そうに笑うエステルを見て、メルクリオも口もとをほころばせる。この助手は、良くも悪くもグリムアル大図書館に馴染み始めているらしい。

 ――それが喜ばしいことかどうかは、メルクリオにはわからなかった。

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