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18 戦の傷、父のことば

「……本、濡らすなよ」

 呆れを含んだ一言が、耳に届く。

 エステルはそう言われて初めて、自分が泣いていることに気がついた。慌てて本を遠ざけ、目もとをぬぐう。生ぬるい涙が肌の熱をうっすらと奪った。

 額にちくちくと何かが当たるのを感じて、エステルは顔を上げる。大きな両目がすぐそばにあって、じっとこちらを見つめていた。エステルは腫れぼったい目を細め、人差し指でボーグルをなでる。

「ありがと。私は大丈夫だよ」

 泣きたいのはボーグルの方だろう。エステルは、心配そうにしながらメルクリオの方へ飛んでいった魔族を見つめ、唇を噛む。

 そのメルクリオが、〈封印の書〉を閉じて、静かに口を開いた。

「……この話には、続きがあってな」

 エステルは目をみはり、対面の少年を見つめる。

「各地を放浪していたボーグルはあるとき、魔族たちを封じた魔法使いの噂を聞いた。その人に聞けば犬のことがわかるかもしれない、と思い、ボーグルは魔法使い――ポラリスを訪ねた。けど、彼のところにも犬はいなかった。いや、犬を封じた〈封印の書〉が行方不明になっていたんだ」

「――えっ!?」

 エステルは、思わず立ち上がっていた。天板を叩かんばかりの勢いで、メルクリオに詰め寄る。

「行方不明!? なんで!?」

「わからない。記録によると、グリムアル大図書館設立後になくなったそうだ。ただ、詳しい経緯はその記録にも残ってなかった。初期の混乱の中でなくなったのか、誰かが持ち去ったのか……。可能性は色々考えつくけどな」

 メルクリオは、うかがうようにボーグルを見た。本の上に乗っている彼を指先でなでながら、続ける。

「友達がいなくなったと知ったボーグルは、ポラリスに『自分を封印して、ここに置いてくれ』と頼み込んだそうだ。大図書館の番人のそばで友の帰りを待ちたい、あわよくば自分も一緒に友を探したい、ってな。ポラリスはその願いを聞き入れて、このボーグルを封印した。――それが、戦争に関わっていない悪戯魔族がここにいる経緯だ」

 〈封印の書〉に書かれていることは、多少の脚色はあるにせよ、おおむね事実だという。エステルは椅子に座り直し、そう説明してくれたメルクリオに対してうなずいた。それから、また浮き上がった魔族を呼ぶ。

「ボーくん。友達、見つかるといいね」

 そう言うと、ボーグルは何度も目を上下させた後、エステルの周囲をぐるりと飛んだ。

 その様子をながめていたメルクリオが腕を組む。

「ポラリスは在任中ずっと、その犬――グリムを探し続けたそうだ。けど、見つからなかった。結果、グリム探しは番人の役目のひとつになった」

「……ってことは、メルクも探してるの?」

「ああ。歴代番人が残した記録はもちろん見たし、大戦に関係している場所は調べられる範囲で調べた。けど、今も見つからないまんまだ」

『本を売る行商人に接触したりもしましたねえ。あれは独特の緊張感があって楽しかったです。収穫なしでしたが』

 のんびりと、ルーナが口を挟む。それに対しメルクリオが「楽しんでたのはルーナだけだろ」とぼやいた。重いため息がテーブルに落ちる。

「シリウスにも、『研究のついででいいから、何か見つけたら教えてくれ』って頼んでたんだ。あいつが捕まったんで、その情報も来なくなったけど」

 いきなり出てきた父の名が、少女の胸を突く。息をのんだ彼女が次に感じたのは、小さくない衝撃だった。

「メルクって、お父さんと知り合いだったの?」

 しかし、飛び出た疑問に返されたのは、湿っぽい視線とため息だった。

「なんでそこで驚くんだよ。大図書館に出入りしてたって、聞いてたんだろ?」

「むかーしのことだと思ってたんだよ!」

 エステルは思わず叫ぶ。その声に驚いたらしいボーグルが、小さく跳ねて再び本の上に乗った。もぞもぞと体を震わせる魔族を見下ろしていたメルクリオが、そこでふと目を見開く。

「――そうだ。シリウスといえば」

 ささやくように呟いた彼は、立ち上がった。首をひねったエステルを見下ろして、告げる。

「エステルに話しておきたいことがあったんだ。ちょっと待っててくれ」


 メルクリオは、ボーグルを〈封印の書〉に戻して、応接室を出ていった。しばらく経ってからひょっこりと戻ってきて、「ちょっと来てくれ」とエステルを手招く。やはり首をかしげながら彼についていったエステルは、大きな机を前にして固まった。

 その机の上には、何冊もの書物が並べられている。厚みも大きさも異なるが、ひとつだけ共通点があった。著者名が『シリウス・アストルム』であるということだ。

「これ……全部、お父さんが書いた本?」

「そう。とりあえず目についたものを集めて、内容を調べた」

 メルクリオはこともなげに答える。エステルはまたも驚いて、少年を振り返った。

「一人で調べたの? いつの間に?」

「あんたと『入れろ入れない』の攻防してた頃から、ずっと」

 メルクリオは、きまり悪そうに頭をかく。エステルは驚きすぎて言葉を失ってしまった。しかし、続く彼の言葉に、その驚愕も吹き飛ばされる。

「で。俺が調べた限りでは、シリウスが禁術に関わっていたと思しき記述は見つからなかった」

「……じゃあ!」

 碧眼が輝く。勢いよく身を乗り出した少女を、少年は手で制止した。

「共著や監修――あいつが間接的に関わった本や、著者の登録がない研究書はまだ見てないから何とも言えない。あくまで今のところは、って話だ」

 メルクリオは大量の書物に視線を移し、それに、と続ける。

「俺だけでは気づけない暗号なんかもあるかもしれない。そこで、これからはエステルにも協力をお願いしたい」

「もちろん、いくらでも協力するよ! 私がやりたいと思ってたことだし!」

 エステルは、右の拳で胸を叩いた。意気込む彼女を見て、少年は口もとをほころばせる。

 少し張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。そこで、メルクリオが口を開く。

「それで、エステル。あんた、父親の研究についてどのくらい知ってるんだ?」

 エステルは、きょとんとまばたきした。拳を口もとに当てて考え込んだ後、言葉を選んで答える。

「ええっと……精霊とか、アエラとか、そのへんを調べてたってことくらい」

 少女は頬を赤くする。言葉にしているうちに、思いのほか自分が父の研究について知らなかったのだと気づいたのだ。恐る恐るメルクリオの反応をうかがったが、彼はいつも通りの表情でうなずいた。

「そっか。それじゃ、まずはこれだな」

 言って、並べられた本のうちの一冊を手に取る。もれなくシリウスの著書であるそれをエステルに手渡した。

「文章が硬くてちょっと難しいかもしれないけど、最初の章に最近の研究内容がまとめられてる」

「へえ……!」

「それから、これ」

 瞳を輝かせるエステルに、メルクリオはもう一冊の本を差し出した。一冊目よりも大きくて、少し厚い本だ。エステルは何気なくその表紙をながめ――叫んだ。

「あっ! これ!」

 その本の題名は、『魔法の禁忌 概要と事例』。

「なんだよ、いきなり大声出して」

「学校図書館で探したけど、借りられてた本!」

 しかめっ面で耳をふさいでいたメルクリオが、目を瞬く。「それはちょうどよかった」と呟いて、耳から手を離した。

「借りてったの、メルクだったの?」

「いや。これは俺の私物」

「し、私物……!」

 エステルは、手渡された本をまじまじと見る。つくりがしっかりしていて、著者や発行元が濃い色で記されている。そこそこ値が張りそうだ。おまけに保存状態がいい。――本を持つ手がわずかに震え、嫌な汗が吹き出した。

「その二冊を読んで、研究の概要と禁術の知識を頭に入れること。それができたら教えてくれ。ここにある本をまた見せる」

 彼女の緊張を知る由もないメルクリオは、机に広げた本を重ねながら指令を出してきた。エステルは、首が取れるほどの勢いでうなずく。指令に加え、取り扱いは慎重に、という一文を胸に刻んだ。

 メルクリオは、一か所に重ねた本を持ち上げる。

「今日は仕事もないし、気が済むまでここで読んでっていい」

「え? 仕事ないの?」

 そうっと本を抱えたエステルが思わず訊くと、メルクリオはうなずいてから顔をしかめた。

「館長が、『しばらく仕事量を減らす』って言って聞かないから……」

 心なしか不満げな番人の隣で、館長が鼻を鳴らす――ような音を出す。

『今回のようなことが続いては困りますからね』

「そんな何度もやらないって」

 ぼやいたメルクリオに、ルーナはなおも疑いのまなざしを注いでいる。二人のやり取りに苦笑しつつ、エステルは机に本を置いた。ありがたく、この聖域を使わせてもらうことにする。

 ひとまず父の本を手に取った。全体的にどんなことがどんな文体で書かれているのか、先に把握しておきたい。

 本を開く。ページをめくる。メルクリオの言う通り、難しい言葉や表現が多く、大人の魔法使い向けの本、という感じだ。

 それでも確かに、シリウス・アストルムが書いた本だった。その文章は、エステルの父のことばだった。

 優しい声を思い出す。寝る前に読み聞かせをしてくれた声。書斎に入っちゃだめだろう、と叱ってくれた声。いつでも名前を呼んでくれた、父の声。それが、頭の中に響いてくるようで。

「……お父さん……」

 鼻の奥が、つんと痛む。エステルは、ぎゅっと顔に力を込めて、紙面に並ぶ文字をなぞった。

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