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10 〈封印の書〉の在処

 アエラが騒いでいる。耳朶をくすぐる音と熱を感じたエステルは、胸のあたりをローブの上から握った。少しの間凍りついていたが、遠くから響いた轟音で我に返って駆けだす。

「本、本……〈封印の書〉……」

 口の中で呟きながら、エステルは走り続けた。一応あたりを見回してみるが、メルクリオが言っていたようなものは見つからない。変わったアエラの気配もなかった。

 来た道を戻り、崩れ落ちた箱の山の前で急停止する。そこでしゃがみこんだエステルは、ひとまず箱をどかしてみることにした。箱の重さは様々だ。中身がからで容易に持ち上げられるものから、ずっしりと重くびくともしないものまで。移動できる箱をひと通り動かし、最後に重い箱に当たる。底の角を持ってみても、踏ん張ってうなってみても、箱は動きそうにない。エステルはそれをどかすことをあきらめて、息を吐きだした。

「うーん……ここにはなさそうかなあ。案外、中に入ってたりして?」

 どかした箱たちを順繰りに見てみたが、やはり変わった気配はない。かぶりを振ったエステルは踵を返した。

「次だ、次! 急がなきゃ!」

 こうしている間にも、メルクリオと魔族の戦いは激化しているだろう。急がなければならない。

 最初に魔族の猿と遭遇した場所をくまなく見て回る。荷物らしきものすべて、石の壁、脇道に茂る草の中まで探したが、本も巻物も石板も出てこなかった。

 本当にあるのだろうか、という疑念が鎌首をもたげる。が、〈封印の書〉がなければあんな凶暴な魔族は現れないはずだ。今は大図書館の番人の言葉を信じて動くべきだろう。

 そう自分自身に言い聞かせ、草の中から抜け出したエステルは、そこでふらついた。地面がわずかに揺れたせいだった。遅れて、体の中まで震わすような低い音が聞こえてくる。

「……メルクリオくんって、本当に大図書館の番人なんだな」

 音がした方角を見つめて、少女はひとりごつ。

 今、エステルが特に強く感じているアエラは三種類。ひとつはあの猿魔族のもの。もうひとつがメルクリオ自身のもの。最後が、彼が操っているのであろう周囲のアエラ。

 魔族のものと少年のもの、どちらも身がすくむほど濃厚かつ強大だ。そして、メルクリオの詠唱に突き動かされているであろうアエラたちは、感嘆するほど軽やかに、なめらかに流動している。彼が優秀な――いや、偉大な魔法使いであることは、駆け出しのエステルにもわかった。

「番人、ってことは大図書館にいたんだよね。いつからかは知らないけど。……なんで魔法学校に入ったんだろ」

 彼の正体を知ったときから、心の端でうっすらと抱いていた疑問。それがふいにこぼれ落ちる。けれど、こぼしたところで答えは返らない。たとえメルクリオに直接問うたとしても、教えてはくれないだろう。

 エステルは、強くかぶりを振って、再び走り出した。

 それからもできる限り〈封印の書〉を探し回ってみたが、いつまで経っても見つからない。少しずつ戦いの場に戻っていくかたちになっている。道を覆うアエラは濃さを増し、エステルの頭に鋭い痛みをもたらした。

「うっ……なんかやばい気がする……」

 痛む個所を押さえて呟いた直後、突風が吹きつけた。熱をはらんだ風はエステルの前髪を乱暴にかき上げ、小さな体を押し戻す。

 うめき、それでもなんとか踏みとどまったエステルは、けれどすぐに顔をこわばらせた。周囲のアエラが不自然に熱を帯び、渦を巻いている。

「『顕現せよ、魔を拒む聖なる盾よ』!」

 危ない、と直感した少女は、とっさに両手を突き出して呪文を唱えていた。それに呼応したアエラが、エステルの前に半透明の盾を作り出す。先ほどメルクリオも使っていた防御魔法。現れた盾は彼のものより小ぶりで不安定だが、襲い来る熱波をしっかりと防いだ。押し寄せる気配と熱が消えた後、エステルが打ち消しの呪文を口にすると、盾は静かにアエラへ還る。それを確かめた彼女は、すぐに近くの植え込みの中へと飛び込んだ。

「ほんと急ごう……! このままじゃ私の体も持たない!」

 植え込みの陰で頭を抱え、すごい速さで通り過ぎた魔族の気配をやり過ごす。慎重に立ち上がったとき――エステルは、不思議な気配を感じて目を瞬いた。

 最初にここを走り抜けたときには気づかなかったものだ。肌をぴりぴりとくすぐる感覚。それでいて邪悪な雰囲気はなく、むしろ吸い寄せられてしまいそうな力の渦。

「もしかして……」

 エステルは、やや背を丸めて歩き出す。草葉を慎重にかき分けて、不思議な気配を辿った。

 ほどなくして、草のむこうに黒い柵が見えてくる。おそらく、柵を越えてさらに進むと敷地内の森に入るのだろう。生徒たちがうっかり森に迷い込むのを防ぐために柵が立てられているのだ。

 森は実習などで入ることがあるらしいが、エステルたちはまだその機会に恵まれていない。

 柵の前まで辿り着いたエステルは、黒く冷たい表面を撫でて眉をひそめる。不思議な気配は、この柵のすぐ先から漂ってきているのだ。

 瞼を狭め、顎を突き出す。木々が作り出した薄暗がりに目を凝らすと、無秩序に生い茂る草の中に筒状の物体が見えた。

「……巻物」

 メルクリオの言葉を頭の中で繰り返し、そのうちのひとつを口に出す。

 あれが探し物である可能性は高い。問題は、どうやって取るかだ。エステルは腕を組んで考え込んだ。魔族の封印と禁止行為を天秤にかけ――数秒ののち、決断した。

 エステルは柵の上部に手をかけて、ぐっと力を込める。その勢いで体を跳ね上げ、柵を飛び越えようとした。しかし、思ったほど高く跳べず、中途半端に身を乗り出す格好になる。

「ぐえっ」

 奇妙な姿勢でうめく。下腹に金属が食い込んで苦しい。

 息を止め、全身に力を込めたエステルは、再び柵に手をかけて、どうにかこうにか体を起こす。柵を蹴りつけてなんとか柵の前に戻ったが、その代償として盛大に尻餅をつく羽目になった。

 幸い、草だらけだったので大して痛くはなかった。詰めていた息を吐きだして起き上がったエステルは、ローブをはたいて立ち上がる。

「ううむ。困ったなあ。こういうときは……」

 あたりを見回したエステルは、あるものに目を留める。丸い葉をたくさんつけて、長く伸びている植物。名前はまったくわからない。

 近づいて、触れてみる。思ったより茎が丈夫そうだ。エステルはひとつうなずき、詠唱した。

「『陽光と我が力を糧として、伸びろ、伸びろ。深き森へといたるほどに』」

 植物の生長を促す魔法。その呪文のひな型に少し修飾を加えたものだ。エステルが触れた植物は、呪文詠唱の最中からするすると伸びはじめ、彼女がすべてを言い終わる頃には四倍近い長さにまでなっていた。アエラの動きをなぞったエステルが柵の方へ軽く腕を振ると、植物も同じ方に向かって茎を伸ばす。そして、〈封印の書〉らしきものに強く巻き付いた。

 エステルは「よし!」と拳を握る。

「『我が手に戻れ』」

 朗々と詠唱を連ねると、柵の方へ伸びた植物はエステルの手もとまで動いた。彼女は植物に巻き付かれていたものを引き抜く。やはり巻物だ。古いながら丈夫そうな緑色の紐でまとめられている。

 巻物をひとしきりながめたエステルは、植物に視線を戻す。

「『根源たる力よ、あるべきところへ還りたまえ』」

 詠唱で魔法を打ち消すと、植物はしゅるしゅると縮んだ。しかし、完全に元の長さに戻ったわけではなかった。遠目から見てわかるほど、その茎だけ周囲の群れから飛び出ている。

「ばれたら怒られそう」

 エステルは恐々としつつも巻物を抱きしめた。あとはこれをメルクリオのもとへ持っていけばいい。大急ぎで駆け戻り、植え込みを飛び越えた彼女は――けれど、そこで凍りついた。高く低い絶叫が、左の耳から右の耳へ突き抜けていく。

 魔族の猿が、全速力の馬車並みの速度でこちらに向かってきていた。

「ええええええ!? なんでえええ!?」

 思わず叫んだエステルは、猿に背を向けて走り出す。さすがに時間をかけすぎたか――と、恐る恐る振り返った。猿の足に光る鎖が巻き付いたのは、ちょうどそのときだ。

 猿が急停止を余儀なくされる。しかし手足を動かす勢いをまったく緩めず、むしろ鎖を引きちぎろうとしていた。ふうふうと荒い鼻息がエステルにまで届きそうな剣幕である。

 猿は低くうなり、咆哮を上げた。毛むくじゃらの巨大な獣がそうして向かってくる姿は、怖いの一言では済まない。この隙に走って逃げようと思っていたエステルは、けれど足をもつれさせて転んでしまった。うめきながら腕をさすっているうちに、目もとがじわりと熱くなる。

「なにっ……なんで、あんな怒って……」

 洟をすすりながらぼやいたエステルは、無意識のうちに巻物をにらむ。そこで――頭の中に稲妻が走った。

「〈封印の書〉」

 猿が向かってくるのは、これが手元にあるからか。

 そう悟ったとき。彼女はもうひとつのことに気づく。巻物をまとめる紐に、何かが描かれていたのだ。それは、文字。小さい上にところどころかすれて見えなくなっているが、エステルでもなんとか読める文字だった。

 それをじっと見つめていると、後ろから澄んだ音が響く。全身を震わせたエステルは、考えるより先に動き出していた。片腕で巻物を抱え、あいた方の手を石畳につく。引きずるようにして体を動かし、なんとか猿の進路から外れた。

 案の定、絶叫が響き渡って、恐ろしい気配が近づいてくる。エステルは巻物を確保したまま必死で這いつくばった。しかし、悲しいかな猿の方が圧倒的に速い。すぐにその姿がはっきりと見えてきた。

「あああああ無理無理無理むりいいいい!」

 半泣きで叫びながら、エステルは地面を転がる。制服のローブが砂だらけだが、もはや気にしていられない。

 彼女の努力もむなしく、猿はすぐに追いついてくる。光る目がその姿を捕捉し、猿の口が大きく開いた。

 ずらりと並んだ歯は、意外にも人間のそれとあまり変わらない。そんなずれたことを考えながら、エステルはぎゅっと目を閉じていた。

 想像していた痛みはいつまでもやってこない。代わりに、金属を引っかいたような甲高い音がした。

 エステルは耳をふさいで目を開ける。瞑目したわずかな間のうちに、彼女と猿の間に銀色の壁ができていた。猿はその壁に爪を立てたり噛みついたりしている。しかし、壁には傷一つつかない。

「え……これ、魔法?」

 それにしては、詠唱も聞こえなかったしアエラの動きも小さかった。

「エステル!」

 戸惑う少女の耳に、力強い呼び声が届く。かなり遠くにいるはずの、メルクリオの声。それは、エステルが飛び上がるほどはっきりと聞こえた。

「め、メルク!?」

「あんた、なんか持ってるか?」

「あ、えと、なんか巻物っぽいもの見つけた!」

「やっぱりか! それ捨てろ!」

 いきなりの指示に、エステルは素っ頓狂な声を上げる。

「で、でも、これ多分封印の――」

「わかってる! いいから今は捨てろ! 題名と著者だけわかればいい!」

 エステルは、はっとして巻物を見下ろす。短い沈黙の後、思い切ってそれを後方に放り投げた。転がった巻物を見もせず、エステルは猿に向き直る。

 メルクリオのところに行かねばならない。

 先ほどはなぜか会話ができた。おそらく彼の魔法だろう。それがいつまでも持続する保証はない。

 エステルは、深呼吸して駆け出した。猿と自分を隔てていた壁が消えるのを見る。猿がこちらへ突進してきた。エステルは、あえてそれを避けない。猿に自分からから突っ込みながら、叫んだ。

「『顕現せよ、魔を拒む聖なる盾よ』!」

 半透明の盾が現れ、猿がそれに激突する。エステルは休む間もなく呪文を連ねた。

「『空の子ら、風の使いよ』――『この身を汝らのもとへ導け』!」

 足もとから、ゆっくりと風が起こる。それは次第に速度を上げ、やがて渦となった。エステルの体は風に勢いよく押し上げられて、あっという間に空を舞う。

 エステルは、しかと一点を見つめていた。着地点――つまりは、巨大な猿の背を。

 風がやむ。浮遊感の後、全身を強く引っ張られる感覚。

 自然にその身をゆだねた少女は、勢いよく落下した。衝撃の後に感じるのは、ちくちくとした毛の感触。

 全身の痛みにうめきつつも、エステルは腕を伸ばした。猿の背をがむしゃらにつかんでよじ登る。その後、全身を使って息を吸い――伝えるべき言葉を吐き出した。

「題名! 『魔法薬用植物総覧 第二巻』!」

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