ロシア 9
ロシア外務人民委員のモロトフの形相が変わった。
「いよいよ本性を現したな。そもそも、日露中立条約締結の3か月も前に、山下奉文中将がドイツ首脳からロシア侵攻計画を聞かされていたというではないか。
それにもかかわらず、素知らぬ顔で中立条約に調印し、ドイツの欺瞞工作に加担するとは、二枚舌もここに極まる。最初から、中立条約はまやかしだったのだ」
「山下中将はからかわれただけだと、我々は信じ込まされていた。
古来、敵を騙すには先ず味方からとされる。ロシアだって、国境に集結する独軍に気がつきながら、英国を油断させる陽動策だとする、ドイツ外務省の言い訳を真に受けていたではないか。騙されたという点では、五十歩百歩だ」
「よくもまあ、そんな戯言を」
「それはさておき、ドイツ軍の次期作戦は、バレンツ海のムルマンスク、白海のアルハンゲリスクに上陸して南下し、北上するカフカス戦線の軍と合流して、ロシアを東西に分断するというものらしい。そうなると、モスクワはウラルからも切り離され、完全に孤立することになる」
「不可能だ。そんな馬鹿げた妄想で、恫喝できるとでも思っているのか」
「もちろん、そんなつもりはない。だが、ドイツ軍がロシアの領土から撤退するとしたらどうだ?バルト三国やベラルーシ、ウクライナは、一時的にドイツの経済圏に入るかもしれないが、フランスと同じように独立を維持するなら、後日、手の打ちようもあるだろう。親独派を葬り去り、親露派に政権を取らせる策など、いくらでもある。そうやって、また取り返せばいいではないか。私は、貴国が世界平和の実現を主導してはどうかと提案しているのだ」
他方、ドイツは、日本の空母機動部隊と巨大戦艦の威力を目の当たりにして、これ以上日本の発言力が強くなることを警戒し始めた。
それでなくとも、長引く戦争で経済が疲弊し、広大な戦線の維持が困難になっていた。
紆余曲折はあったものの、ロシアとドイツの休戦が発表された。
そうなると、窮地に追い込まれるのはイギリスだ。
次の焦点が、間違いなくイギリス本土上陸作戦だからだ。
大西洋の軍事援助を遮断され、深刻な物資不足に陥り、継戦能力は1か月を切っていた。
ドイツ軍の戦車を迎え撃つ武器が、槍と棍棒になる日もそう遠くない。
加えて、チャンドラ・ボース率いる自由インド政府の出現が、独立運動を激化させ、植民地兵士の動揺をまねいていた。
このままでは、大英帝国の存続すら危ぶまれる事態に追い込まれかねない。
一旦休戦して、態勢を立て直すこともやむなしとする動きが、イギリス国内に拡がった。
他方、あと1年もすれば最新鋭の空母や戦艦が続々と竣工し、圧倒的な戦力が整うアメリカは、たとえイギリスが講和したとしても、米国は単独で戦いを続けると、いきり立つ。
最後に、世界平和を希求するローマ法王が仲介に入り、日本軍が全ての占領地から撤退することを条件に休戦案を纏め、アメリカもそれをしぶしぶ受け入れた。
ところが、いざ講和成立という段階になって、日本の足もとで問題が勃発する。
これまで、連戦連勝の報道しか聞かされず、国力の実情を知らされていなかった国民にとって、政府が突然発表した占領地からの全面撤退は寝耳に水だった。
新聞は「数知れぬ若者の血で贖われた天佑神助を、弱腰の政府が台無しにしようとしている」と書き立て、国民は「戦場で命を散らせた父や子、夫の犠牲を無駄にするのか」と、怒り、激昂した。
民衆の暴動が燎原の火のように全国へ広がり、青年将校はクーデターに立ち上がる。
だが、天皇の断固たる決意のもと、内務大臣を兼務する東條英機首相が警察を、梅津美治郎参謀総長が陸軍を、米内光政軍令部総長が海軍を陣頭指揮して鎮圧する。
そして、地には平和が戻った。




