表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

95/97

ロシア 8

1943年1月23日 ロシア チュメニ


 モスクワから東へ1700キロ、チュメニにある農業アカデミーの校舎は、帝政時代に建てられたもので、サンクトペテルブルク近郊のロシア皇帝の夏の離宮、エカテリーナ宮殿を彷彿とさせる瀟洒な造りだ。

 もっとも、本家の宮殿は、ドイツ軍との攻防戦で破壊され、廃墟となっていたが。


 その建物の2階にいたボリス・ズバルスキーは、正面玄関の呼び鈴が鳴る音を聞いた。

 1階に降りて扉を開けると、そこには見慣れない将校が立っている。


 彼は、カザフスタン軍の中尉を名乗った。

「これまで警備を担当してきた、内務人民委員部の部隊がボルゴグラード戦線の督戦に投入されることになり、交代を命じられた。引き継ぎに当たって、保管物を確認したい」と告げ、書類を示した。


 ボリスが中尉の後ろに目をやると、完全武装の兵士の一団が控えている。

 引継ぎなら前任者は来ないのだろうかとも思ったが、余計なことは聞かないことにした。


 この国では、知らなくてもいいことを知ったばかりに、追放されたり、命を失ったりする例が数知れない。


 それに何より、この居心地のいい生活を失いたくなかった。

 ロシアのいたるところが戦場になり、多くの民衆が飢えと寒さに苦しんでいるこの時に、電気も暖房も完備した建物に住むことを許され、食料はもちろん、紅茶やケーキ、コニャックさえも、ふんだんに用意されているのだから。


 ボリスは、言われるままに、中尉と兵士たちを2階へ案内した。

 中尉は、目的の部屋に入るやいなや中央に据えられた水槽に直行し、カリウムアセテート、グリセリン、塩化キニーネの水溶液に沈む、インドゴムの包帯に包まれた保管物を念入りに点検した。


 確認がすむと、中尉は振り向いて言った。

「我々は、日本軍の特殊部隊だ。これより、この保管物と建物およびその敷地を接収する」


「保管物」とは、戦禍を逃れ、モスクワのレーニン廟から疎開して来た、ウラジミール・イリイチ・レーニンの遺体だった。


 クレムリンの会議室で、ロシア外務人民委員のモロトフが怒気を露わにした。

「日本は、ロシアの領土に侵入し、こともあろうに同志レーニンの遺体を略奪した。これは明白な中立条約違反であり、宣戦布告だ」


 日本政府から全権を与えられた、参謀本部次長高山中将が口を開いた。

「一部の過激分子の仕業だ。お恥ずかしい話で恐縮だが、我々が青年将校の暴走に手を焼いているのは先刻ご承知の通り。お怒りはごもっともながら、ロシア軍が突入すれば、遺体もろとも自爆すると言っているのだから、ここはまず冷静になってほしい」


 脇に控えた、次長付の白石大佐が付け加えた。

「もし日本軍にロシア領土通過を許していただけるなら、もちろん我々が責任を持って鎮圧いたします。ですが、殺戮の繰り返しに終止符を打ち、地に平和をよみがえらせたいという、若者の至情も理解できなくはありません。この辺りでドイツと停戦することは、考えられませんか?」


 モロトフは怒りのボルテージを上げた。

「盗人猛々しいにも、程がある。無法をはたらいておきながら、仲介役面をしようというのか!」


 高山中将が静かに指摘した。

「カフカスの会戦で、主力部隊が包囲されているのではないか?万一この部隊が壊滅したら、モスクワは風前の灯と聞いたが?」


「大祖国戦争は、勝利するまで終わらない」


 高山中将が口調を一変させた。

「日本海軍が、大西洋の制海権を握っていることをお忘れかな?アメリカからの軍需物資輸送が滞っていると聞いた。インド洋経由の輸送は既に絶たれている。あとは、ウラジオストクからシベリア鉄道を経由するルートが残るだけだ。


どうしても戦争を続けるというのであれば、日本としては日露中立条約を破棄、シベリア鉄道を寸断し、ウラジオストクを陸と海から封鎖することになる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ