大西洋
他方、大西洋も戦局の転換点を迎えていた。
Uボートの群狼戦術で独航船の被害が続出し、継戦能力が2ヶ月を切るところまで追い詰められたイギリスは、第1次世界大戦の対潜水艦戦で成果を上げた、護送船団で局面の打開を図る。
それを察知したドイツは、日本海軍に水上部隊の派遣を求めた。
軍令部は、第3艦隊に戦艦「大和」、「武蔵」をはじめとする連合艦隊直属部隊を加えた特務艦隊を編成し、大西洋へ進出して護送船団を駆逐するよう命じる。
巨大戦艦「大和」と「武蔵」の遠洋航海は、膨大な燃料を必要とする。
大西洋への遠征は、アバダーンを制圧したからこそ可能になった作戦だった。
空母4隻を瞬時に海の藻屑とした第3艦隊に加えて、艦砲射撃で装甲師団を壊滅させた世界最大の戦艦が大西洋に向かっているという噂は、連合国の輸送船の乗組員を震え上がらせた。
装甲師団を壊滅させたとはいっても、実態はほとんどイギリス軍の自滅だったのだが、英当局がその詳細を公表しなかったため、「大和の主砲は、40キロメートルの彼方から、戦車を狙い撃ちにすることができる」という、工作員が後方攪乱のために流したデマが、まことしやかな都市伝説として広まり、海の男たちを怯えさせたのだ。
連合国の正規空母は、この12月に新鋭空母「エセックス」が就役したことで、歴戦の「レンジャー」と合わせて2隻になっていた。
この2隻の空母の護衛のもと、アメリカとイギリスの戦艦を糾合し、特務艦隊に決戦を挑むという案が検討の俎上に載った。
だが、開戦劈頭、日本の航空戦力によって戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、「レパルス」を沈められて以来、空母「インドミタブル」、「フォーミタブル」、「イラストリアス」、「ビクトリアス」と、主力艦を次々に失い、煮え湯を飲まされ続けてきたイギリスは、空母2隻では力不足として、王立空軍の制空権のもと、ブリテン諸島近海で決戦することに固執する。
他方、アメリカ側にも、おいそれとイギリスの要望に応じられない事情があった。
資源豊富なアメリカの唯一のアキレス腱、クロム鉱だ。
クロム鉱は、大砲の砲身や装甲から、各種のエンジン、さらにはターボチャージャーまで、様々な軍需品の生産に欠かせないレアメタルだ。
そのクロム鉱の自給率はわずか5%、主要な輸入先であるニューカレドニアが、ガダルカナルの日本軍基地からの攻撃に晒され、いつ上陸、占領されるか予断を許さないため、急遽開発を進めたキューバの鉱山とその輸送ルートは、なんとしても守る必要があった。
また、再三流れるパナマ運河空襲の噂も看過できない。
艦上攻撃機による雷撃と、艦上爆撃機の急降下爆撃で、パナマ運河の水門という水門をことごとく破壊し、長期にわたって使用不能にするというものだったからだ。
そうなれば、大西洋艦隊と太平洋艦隊が分断されるのみならず、米国の物流が深刻な打撃を受け、市民生活に重大な影響を及ぼしかねない。
追い打ちをかけるように、「日本軍のアメリカ大陸上陸=アメリカ本土決戦計画」が、米国の新聞にリークされた。
まず南アメリカに上陸、南米諸国を宣撫して米国から離反させ、次いで北米西海岸を空襲、カリフォルニアに敵前上陸して飛行場を制圧し、全米の都市や軍事施設に空襲を敢行するというものだ。
一見荒唐無稽なその内容は、軍事専門家の目から見ても驚くほど具体的だった。
それもそのはず、連合艦隊が第2段作戦の構想を傘下の将官に募った際、山口多聞少将その人が起案し上申した「二航戦参謀鈴木中佐小官の趣旨を体して提案せるものの件」に他ならなかったからだ。
その記事のキャプションには、ご丁寧にも、大西洋を制する特務艦隊を率いる山口少将が、アイビーリーグの名門、プリンストン大学の大学院で優秀な成績を修めたこと、そして「アメリカ海軍が最も警戒する日本海軍軍人の1人」であることが付言されていた。
もっとも、爆撃機として傑出した作戦行動半径を誇る米国のB-29でも、カリフォルニアから東部の首都ワシントン、ニューヨーク、ボストンなど主要都市を爆撃するには航続距離が足りない。帝国海軍は、航続距離1万キロ以上とB-29を上回る長距離爆撃機「実用機試製計画番号N-40」の開発を中島飛行機に内示していたが、実戦に投入できる爆撃機の航続距離ははるかに短かく、「全米の都市を空襲する」という作戦は、実際には無理があった。
しかし、米国市民の多くは、日本の技術力や生産力の水準を知る由もない。
この程度の情報リークでも、市民の間に不安を広げるには十分だった。
アメリカもまた、世論対策上、主力艦をアメリカ近海から動かすことが難しくなる。
それぞれの思惑が交錯し、米英両国の戦艦部隊による艦隊決戦は見送られた。




