ミッドウェー 8
山口少将は「飛龍」艦長の加来大佐に言った。
「いや、私の責任だ。赤城、加賀、蒼龍を失った時点で、敵の空母は3隻、こちらは1隻だ。
日本海軍には、アリューシャン列島に龍驤、隼鷹、連合艦隊主力に瑞鳳、日本本土には瑞鶴、翔鶴と、まだ5隻の空母がある。
一旦撤退して数的優位を回復した上で、再度決戦を挑むという選択肢もありえた。
先任の第8戦隊司令官重野少将なら、そういう判断を下したかもしれない。
序列を無視した越権行為で勝手に指揮を執り、無謀にも多勢の敵に挑んだばかりか、疲労困憊した飛行隊を何度も死地に投じ、夥しい犠牲者を出した。
今回ばかりではない。重慶爆撃作戦では、零式艦上戦闘機の配備が間に合わず、戦闘機の直掩が無いまま爆撃機隊に出撃を強い、さらには、無差別絨毯爆撃に国際法違反の懸念ありとの指摘まで受け、『人殺し多聞丸』と誹られた。
その責任は、万死に値する。
私も残ろう。
そして、水底から、これからの日本と若者たちの未来を見守ることにしよう」
機関科指揮所の川内少尉は、永山少佐の不可解な反応に当惑していた。
永山少佐に、「機関科員は全員持ち場を死守していますが、倒れる者が続出しています」と言ったのは、高射砲台の砲弾の誘爆がいつまで経っても収まらず、通風筒から煙が吹き込むたびに、それを吸って倒れる者が絶えないからだ。
その都度、扉の開け閉めを繰り返すので、非効率なことおびただしい。
「とにかく消火を急いでほしい」と言葉を続けようとしたら、
「何か言い残すことは……」という、意味不明の言葉が返ってきた。
機関長の田島中佐に、そのことを伝えると、
「冗談を言っている場合か。何もない、そんなことより砲弾の誘爆をなんとかしろ、と言ってやれ」と怒鳴られた。
だが、船内電話に向かっていくら叫んでも、もはや永山少佐からの応答はなかった。
川内少尉は、慌てて田島中佐に報告した。
「後部操舵室からの応答が途絶えました。何かあったのでしょうか?」
田島中佐は、落ち着き払って指摘した。
「電流計を見てみろ。バッテリーが切れて、船内電話が使えなくなったんだ。電動操舵装置でバッテリーを使い切ってしまったようだ。船内電話のバッテリーは、小さくても専用のものを別に用意した方がよかったな。日本に戻ってドック入りしたら、頼むことにしよう」
川内少尉は、ほっとしたが、そこである可能性に気がついた。
「永山参謀が『何か言い残すことは』と言ったのは、冗談のつもりではなく、バッテリー切れに気がつかず、機関室が全滅したと勘違いした、ということではないですよね?
もしそうだったら、総員退去ですから、我々は取り残されてしまいます」
「まさか。貴様じゃあるまいし、永山参謀がそんな早とちりをするはずがない。とはいえ、このままでは舵を動かせない。人力操舵に切り替えるから、艦橋に行って応援を呼んでこい」
川内少尉は、酸素不足で息苦しい機関科指揮所から、左舷前部機械室に入った。
そこには煙もなく、新鮮で綺麗な空気に満たされていた。
「空気がこんなにおいしいとは、思わなかったな」
胸いっぱいに吸い込み、一息入れて後部機械室へ続く通路に入る。
防水扉は焼け焦げて、扉のハンドルが火傷しそうになるほど熱い。
手にタオルを巻いて力一杯押してみたが、ビクともしなかった。
それでは、ボイラー室上部通路に上るか。
天井のハッチのハンドルを回してみると、こちらはなんとか動いた。
だが、ロックは解除できたはずなのに、ハッチが開かない。
付近にいた全員に声をかけ、鉄棒でハッチを力任せに突き上げた。
除夜の鐘を真下で聞くような、轟音が響き渡る。
それを何度も繰り返すうちに、ハッチと天井の隙間から水滴が落ち始めた。
水滴を顔に受けた川内少尉は、思わず叫んだ。
「熱い!」
消火のために注いだ海水が火災で加熱され、熱湯となって通路に溜まり、水圧でハッチを押さえつけているのだ。
火傷をしないようにタオルを首に巻き、ラッタルを登り背中をハッチに当て、渾身の力を込めて押し上げた。
僅かに空いた隙間から、熱湯が吹き出す。
高温に堪えながらさらに押し上げると、ハッチは軋みながらも徐々に開いていった。
滝のように海水が流れ落ちる中を、構わずにつき切って上部通路に出る。
この通路を格納庫の脇を通って進み、前部士官室前の階段を上れば飛行甲板だ。




