イラン 2
日が暮れると、砂漠の気温は一気に下がる。
星空の下、陸軍第5師団捜索第5連隊の外山中尉は、「あきつ丸」の飛行甲板から夜のシャットルアラブ川を見つめていた。
2列になって進む船団が黒々と見える。
第5師団は、第48師団と並び、敵前上陸作戦において日本を代表する存在だ。
この2個師団が、アバダーンに橋頭堡を築く任務を担う。
「あきつ丸」は、上陸用舟艇の大発動艇27隻を船内に格納する陸軍の揚陸艦だ。
大発動艇は1隻で完全武装の兵士70名を運べるから、「あきつ丸」は2千名近い兵力をあらかじめ船内で大発に乗り込ませ、一斉に揚陸する能力がある。
さらに、空母のような全通飛行甲板を持ち、戦闘機や偵察機も10機余り搭載する。
後世の強襲揚陸艦を先取りした、当時、世界にその類を見ない、革新的な設計の船だった。
予定の水域に到着すると、ガラガラと音を立てて錨が下された。
船尾の4つのハッチが上に開き、兵士を満載した発動艇が次々とスロープを滑り降り、川面に浮かぶ。
米英軍を含め、一般の輸送船で上陸用舟艇を扱う場合は、空の艇をデリックで水面におろし、兵士たちは船舷から垂らした縄はしごを伝って乗り移る。
それだけでも結構な時間を要する上、ロープの長さが短く艇まで届かないこともしばしばで、最後は飛び降るしかない。
小銃に加え、1週間分の食糧、スコップやツルハシ、鉄線鋏、弾薬、水筒、救命胴衣など、完全武装した際の装具の重量は40キロに達し、飛び降りた衝撃で、捻挫したり、脳震盪を起こしたり、怪我をする兵士も少なくなかった。
移乗を終えると、発動艇は連隊ごとに纏まり、輸送船の艦尾に集合した。
そのまま、息をひそめて待つ。
焦る気持ちを抑えながら40分を数えた頃、「あきつ丸」の檣頭に白い照明が灯った。
連隊長が前進を命じる。
発動艇は、赤と青の懐中電灯を信号代わりにして、二列となって進んだ。
河岸が近くなり、左右に散開する。
上陸第一波の歩兵が、胸まで浸かった水をかき分けながら、上陸していくのが見えた。
外山中尉の乗った発動艇も、船尾の錨を打ち込み、河岸の砂を噛んで乗り上げる。
船首から2人の兵士が錨を抱えて飛び降り、岸に駆け上がって左右に分かれた。
「人間錨」となってハの字にロープを張り、艇の動揺を抑えるためだ。
船首の歩板が前方に倒れ、兵士たちがそれを渡し板にして降りていく。
この装備は、大発動艇が世界で初めて実用化したものだ。
それまで一般的だった、渡し板を舳先から押し出す方式では歩兵しか上陸できないのに比べ、この方式なら戦車などの車両も利用でき、アメリカ軍やイギリス軍など、その後に開発される上陸用舟艇のグローバルスタンダードとなった。
外山中尉は、自転車を担ぎ上げ、「行くぞ!」と声をかけて渡し板から浅瀬に飛び込んだ。
部下の兵士たちも、続いて飛沫を上げる。
川の水をかき分けて進み、砂浜に上がって先を急いだ。
舗装された道路に出ると、歩兵部隊がうずくまって待機していた。
その先頭には土嚢が積み上げられ、重機関銃が前方を睨む。
「先遣隊だ、先に通せ」と声をかけ、兵士と兵士の間を縫って前に出た外山中尉は、2個小隊の自転車部隊を率いて、挺身隊が待つ港湾施設を目指した。




