イラン 1
イラクのイギリス軍は、本国編成の部隊をインドに抽出されて、戦力不足に陥っていた。
そのため、主力の5個歩兵師団、すなわちインド第5・第6・第8・第10師団とポーランド第3カルパチア・ライフル師団を、ヨルダンのドイツ軍と対峙する西部方面に集め、首都バグダッドにはインド第10自動車化旅団を待機させる一方、インド第31装甲師団は戦略予備として、バスラに置いた。
そこへ、ドイツとイタリアの輸送船団が、掃海艇を先頭にシャットルアラブ川に向かっているという報告が入る。
アバダーンの空挺部隊と合流するのが狙いだろう。
だが、ドイツ軍も、イタリア軍も、港湾設備を利用しなければ部隊を揚陸できない。
上陸用舟艇を保有しておらず、敵前上陸の訓練を積んだ部隊もいないからだ。
空挺部隊は、そのために港湾施設を占拠したのだろうが、彼らは火力に乏しく、装甲師団をもってすれば赤子の手をひねるようなもの。
そうなれば、輸送船団はすごすごと引き返さざるを得ない。
イギリス中東軍司令部は、バスラの装甲師団に対し、速やかにアバダーンの日本軍空挺部隊を殲滅して港湾施設を奪還するよう命じた。
インド第31装甲師団を率いるロバート・ワーズワース少将は、命令を受けると直ちにバスラを出撃、ホラムシャハルを経てアバダーン郊外に達し、攻撃態勢を整えた。
攻撃開始を命じようとした、まさにその瞬間、砂漠に雷鳴が響き渡った。
地面が地震のように揺れる。
重砲の一斉射撃だ。
しかし、誰が?どこから?
遡上する枢軸国の船団は、まだ50キロ以上離れている。
それを除けば、茫漠たる砂漠が広がっているばかりだ。
この辺りで重砲を保有する部隊といえば、イランに駐留するロシア軍しかいない。
ロシア軍の誤射なのか?
だとすれば、砲弾は北東から来たことになる。
ワーズワース少将は、少しでも被害を抑えるため、南西への移動を命じるとともに、ロシア軍に抗議し、直ちに砲撃を止めるよう要求した。
しかし、ロシア側の反応は要領を得ず、時間ばかりが過ぎていく。
その間にも、被害が続出した。
やがて、驚愕の事実が判明する。
砲弾の飛来する方向が、ロシア軍のいる北東ではなく、砂漠しかないはずの南西だったのだ。
砲弾を撃ち込んでいたのは、砂漠の彼方、40キロ離れたカウル・アブド・アッラー水路を航行する戦艦「大和」と「武蔵」だった。
主砲46センチ砲の射程は、40キロを超える。
ただ、これだけ距離があると、砲弾の散布界は直径1キロ以上、半数が着弾する公算誤差でも直径700メートルだ。
砲弾が、その中のどこへ落ちるかは神のみぞ知る。
中でも3式弾は、見た目こそ派手だが、トラックを炎上させただけで、装甲車両の損害は限定的、死傷者の数も意外に少なかった。
だが、弾着のばらつきは、かえって何がどこに落ちるかわからないという不安を煽り立てた。
西側に広がる湿地帯に嵌るもの、弾着跡のクレーターに落ちて横転するもの、がれきに乗り上げて擱座するもの、果ては味方同士で衝突するものまで出て、インド第31装甲師団は実質的な戦闘能力を早々に喪失し、後退を余儀なくされた。




