カサブランカ沖 4
鮫の体長は、3メートルをゆうに超えていた。
海戦が始まると、餌を求めてどこからともなく鮫が集まってくるという話は、怪談めいた小話としてたびたび聞かされていたものの、自分自身が獲物として狙われるとなれば話は別だ。
大宅大尉は救命バックから銀粉を取り出して、周囲にばら撒いた。
銀粉は、本来、友軍機が救助に飛来した際、発見しやすいように目印として使うものだが、海面に広がって太陽の光を遮り、海中からは大きな影のように見えるので、鮫がそれを巨大な海洋生物と勘違いして、襲撃を諦めてくれることを期待したのだ。
しかし、血の匂いを嗅いだ鮫は、獲物が手負いであることを見透かして、大宅大尉たちに狙いを定めたらしい。
半径10メートルの円を描きながら、こちらの隙をうかがっている。
1分ほども過ぎた頃、突然襲いかかってきた。
巨大な顎が、わずか2メートルに迫る。
南部14年式拳銃を抜き、水中で待ち構えていた大宅大尉は、その顎に向かって引き金を引いた。
空中での発射とは比較にならない、強烈な反動と衝撃が襲う。
右肩に激痛が走り、右手首は捻挫し、右耳の鼓膜も破れた。
弾倉は吹き飛び、尾栓にもガタがきて、2発目はもう撃てない。
弾丸が命中したのかどうか判然としなかったが、鮫は姿を消して2度と現れなかった。
それからどれだけ時間が経ったのか、意識が朦朧として、よくわからなくなっていた。
「隊長!船です。船が見えます!」
小野飛曹長が叫んだ。
たしかに、水平線に何か見えるような気がする。
混濁した意識と生への妄執が生み出した幻ではないのか。
だが本物だった。
距離は5000メートル、8000トン級のタンカーが30度の角度で近づいてくる。
「うねりの頂点で、海水を高く放り上げろ。声を上げるな。体力を消耗して、死ぬぞ」
最後の力を振り絞り、立ち泳ぎをしながら、頭上で手を振り回す。
船は刻々と近づくが、船上に人の気配はない。
もし、通り過ぎてしまえば、あとは死を待つばかりだ。
一縷の望みも失い、絶望とともに沈んでいくのか。
心が折れそうになった時、甲板から日焼けした船員の顔がのぞいた。
「おーい、おーい」と呼びかける声がする。
「助かった」
ほっとした瞬間、力が抜けて溺れそうになり、危うく救命胴衣にしがみつく。
船に80メートルまで近づいたところで、泳ぎのペースを落とした。
急いで泳ぎつこうとして体力を使い果たし、目の前に差し出されたロープをつかむ力も失い、目を見開いたまま沈んでいく戦友を何人も見てきた。
最後の体力を温存しておかなければ、救助されることすらおぼつかない。
発見してくれたのは民間の徴用船で、この航路を通ったのは全くの偶然だった。
「空腹でしょう。でも、急に食べると死にますから」
体調に配慮して、まずスープ、それから柔らかい粥を出してくれた。
一刻も早く母艦に無事を知らせたかったが、無線封止中ということで、丁重に断られる。
2人が空母「瑞鶴」にたどり着いたのは、第3艦隊がマルタ島を離れる直前だった。




