南太平洋 6
ハルゼー中将が警戒した通り、日本の空母部隊がトラック島から南下しつつあった。
ただし、それは第3艦隊ではなく、第4航空戦隊だ。
「飛龍」、「雲鷹」、「大鷹」の3隻の空母を擁し、遠目には空母機動部隊に見えなくもないものの、内実はそれには程遠い。
「雲鷹」と「大鷹」は、日本郵船の貨客船だった「八幡丸」と「春日丸」を改造した輸送用小型空母で、搭載機数が少ない上に速度が遅く、無風状態では魚雷を搭載し燃料を満タンにした攻撃機は離艦が困難とあって、空母対空母の戦いにはとても参加できない。
「大鷹」にいたっては、ほんの1か月前、任務を終えてトラック島に帰投する途中、米潜水艦「トラウト」の待ち伏せにあい、あやうく撃沈されかけた。
「雲鷹」にならい、飛行甲板の左舷外側に2式1号10型カタパルトを設置し、対潜哨戒訓練中だったため、艦爆が潜水艦を発見して事なきを得たものの、輸送船を護衛するどころか、自分自身を守るのが精一杯という体たらくだ。
唯一の正規空母である「飛龍」にしたところで、修理に合わせて対空レーダーを搭載し、防空能力が格段に強化されたとはいえ、飛行機の搭乗員は、ミッドウェー海戦当時のような百戦錬磨のベテランはほんのひと握り、やっと離艦と着艦をこなせるようになったひな鳥たちばかりで、戦力としてほとんど期待されていなかった。
他方、ガダルカナル島のティナ飛行場では、陸軍第85飛行隊と第87飛行隊が機種更改することになり、最新型の「鍾馗」が到着した。
エンジンを1250馬力のハ41から、1450馬力のハ109に換装し、最高速度を580キロから605キロに引き上げた「鍾馗2型」だ。
海面高度から高度5000メートルに達するまでの所要時間がわずか4分15秒という、傑出した上昇力を誇る。
だが、従来の戦闘機に慣れた岩城大尉らにとって、「鍾馗」はあまりにも異質だった。
それまでの日本の戦闘機は、空中戦で負傷したパイロットが意識を失い、操縦不能になっても、機体は水平姿勢を保ったまま滑空を続け、不時着して生還した例があるほど、安定性が高かった。
ところが「鍾馗」は、欧米の最新鋭戦闘機と同様、高速性能を優先し、低速時の安定性は二の次という設計で、離着陸時には従来とは異なるスキルが求められる。
ベテランの中には、人身事故を起こしかねない「殺人機」と毛嫌いする者も多かった。
岩城大尉をはじめ、ティナ基地のパイロットたちが幸いだったのは、「鍾馗」の扱いに慣れた坂川少佐から直接特訓を受けられたことだ。
例えば、操縦席の防弾鋼板だ。
敵の銃弾や砲弾の破片からパイロットを守ってくれる優れものだが、日本陸軍の12.7ミリ弾の弾頭は、米軍の12.7ミリ弾に比べて全長が短く軽量なため貫通力が劣り、それを反映して防弾鋼板も米軍のものより薄く設計されていた。
米軍の12.7ミリ機関銃に真後ろから至近距離で撃たれると、貫通するおそれがある。
そこで、敵に背後をとられたら、機体をひねって射線に角度をつけて防ぐなど、実戦的な指導を受けた。
ちなみに、厚い防弾鋼板に守られていたとされる米軍機だが、F4Fのエンジンは1200馬力で鍾馗より非力だ。
闇雲に装甲を厚くすると機体が重くなり、性能が劣化するから、帰投した機体の弾痕の位置と数のデータを集めて統計をとり、装甲にメリハリをつけるという工夫をした。
しかも、銃弾が集中した箇所ではなく、弾痕がほとんど無い、空白域の装甲に重点を置いた。
データがあるということは、そこを撃たれても生還できるということであり、データが無いということは、そこに命中すると撃墜されることを意味するからだ。
他方日本軍には、日夜死闘を繰り広げる最前線で、データを集めて統計をとるなどという悠長な趣味は無く、先輩パイロットから口伝された操縦術で乗り切る必要があった。
慣熟が進むにしたがい、「鍾馗」は連合国の戦闘機を圧倒し始める。
「鍾馗」に撃墜された、ある米軍パイロットは、司令官にこんな報告をした。
「小太りの新型ゼロに、またやられてしまいました。
我々の戦闘機では、もはや太刀打ちできないかもしれません。
あいつらと出会ったら、逃げていいと指示する隊長までいます」
司令官は、苦虫を噛み潰したような顔で、そっけなく応えた。
「空中で勝てないなら、地上にいる間に破壊しろ」
「鍾馗」のキルレシオ(撃墜数と被撃墜数の比率)や生還率の高さ、そして何よりも航空機先進国である欧州の戦闘機と比べても、勝るとも劣らない上昇力が海軍を驚かせた。
不時着しても歩いて帰ってこられる陸軍とは違い、海上での燃料切れが死を意味する海軍には、「鍾馗」のように割り切った仕様の戦闘機はないが、基地防空をいつまでも陸軍に頼ったままでは海軍航空の沽券にかかわる。
そこで、海軍バージョンの「鍾馗」を中島飛行機に発注することになった。
翼内機銃を海軍の99式1号20ミリ機銃に換装し、14試局地戦闘機改(後の雷電)の研究成果を参考に、集合排気管を推力式単排気管に変更することで空気抵抗を低減して、最高速度を620キロに引き上げた、局地戦闘機「蒼電」である。




