南太平洋 1
1942年10月26日 ガダルカナル島
連合国は、これまで枢軸国の攻勢に押されていた。
ミッドウェー海戦など、局地戦では戦果を挙げる場面もあったものの、全般的な戦況を覆すには至らず、依然守勢を余儀なくされていたのだ。
だが、ついに反転攻勢の時が訪れた。
太平洋、大西洋、ロシアの全戦線において、一斉に反撃に転ずるという壮大な戦略だ。
そして、その劈頭を飾るのは、アメリカ軍によるガダルカナル島上陸作戦だ。
とはいえ、太平洋方面で作戦行動可能な空母が、第61任務部隊の「ホーネット」ただ1隻となると、勇猛果敢で知られるハルゼー中将もさすがに頭が痛かった。
さらに気にかかるのは、ミッドウェー海戦において、たった1隻でアメリカ空母3隻に殴り込みをかけ、「ヨークタウン」を屠った恐るべき空母、「飛龍」のコールサインが久しぶりに傍受されたことだ。
ただでさえ劣勢な航空戦力の格差が、さらに開いたことになる。
未確認ながら、日本の空母機動部隊がトラック島から南下中という情報もあった。
寡をもって衆を制するには、ミッドウェー海戦と同様、こちらの存在を知られる前に敵を発見し先制攻撃するしかない。
そこで、まずはできる限り多くの偵察機を放ち、敵空母を発見次第直ちに攻撃すべく、出撃準備を整えた対艦装備の攻撃隊主力を待機させ、ガダルカナル島へ向かう対地装備の第1次攻撃隊は、少数精鋭に絞り込んだ。
ウィリアム・ウッドヘルム少佐指揮するSBDドーントレス艦上爆撃機15機、エドウィン・パーカー大尉率いるTBFアベンジャー艦上雷撃機6機、直掩に当たるのは、ヘンリー・サンチェス少佐をリーダーとするF4F 8機だ。
「ホーネット」を発進した攻撃隊は、上空で編隊を組み直し、日本軍のルンガ飛行場を目指した。
ガダルカナル島まであと80キロという辺りで、折悪しく積乱雲に遭遇する。
乱気流を避けるため迂回しようと、ジョン・ボウワー中尉が機首を転じた、まさにその瞬間だった。
敵機が後上方から襲いかかってきた。
「日本機だ!ゼロファイターだ!急降下で逃げろ!ゼロは急降下に弱い!」
ボウワー中尉は、無線電話のマイクにそう叫ぶと、一気にF4Fの操縦桿を倒した。
これには、ちょっとした前日譚がある。
発端は、連合艦隊司令長官山本五十六大将だ。
開戦に当たり山本大将は、大英帝国が軍事力のかなりの部分をインドやオーストラリア、ニュージーランドなど植民地の兵士に頼っていることに着目し、セイロン島やハワイ諸島を占領して連合国の反撃を封じた上で、英本国と植民地を分断して植民地兵の戦意を削げば、英国は窮地に陥ると考えた。
そこで、英国に米国を説得させ、戦争の継続を断念するように仕向けるという戦略だ。
セイロン攻略の足掛かりとなる、アッズ作戦に着手するとすぐに、ハワイ作戦のさきがけとして、ミッドウェー作戦の準備を命じた。
セイロン奪取には陸軍1個師団、ハワイには3個師団を投入する必要があり、ロシア侵攻を諦めていない陸軍は、戦力を割くことに難色を示していたが、連合艦隊の方では、ミッドウェーを占領して既成事実を作ってしまえば、陸軍も無視できなくなると、強気の意見が支配的だった。
それに対し軍令部は、たとえミッドウェーを占領しても、陸軍と押し問答をしている間に海上封鎖されたら、上陸部隊は干上がってしまうと反対し、それよりも米国へのクロム鉱の輸出を遮断して軍需生産を滞らせる方が打撃は大きいとして、主要産地であるニューカレドニアを襲う、フィージー・サモア作戦を主張する。
議論は平行線を辿り、これでは埒が明かないと痺れを切らした連合艦隊が、ミッドウェーの後であればフィージー・サモア作戦を受け入れてもよいと譲歩した。
すると今度は軍令部が、そうまでしてミッドウェーをやりたいなら、アリューシャンも加えるのが条件だとハードルを上げる。
アメリカが開発中の新型爆撃機B-29の試作機の初飛行が迫っており、それが実戦に投入されたなら、アリューシャン列島から東京を爆撃することが可能とみられるためだ。
こうして、北はアラスカのアリューシャン列島から、南はオーストラリアに近いニューカレドニアまで、太平洋を8000キロ縦断しながら敵前上陸を繰り返すという、稀有壮大にして空前絶後の作戦が決まった。
もちろん、それに近い発想はこれまでにもあった。
例えば、第一航空艦隊第二航空戦隊司令官の山口多聞少将が作成させた、「二航戦参謀鈴木中佐小官の趣旨を体して提案せるものの件」では、半年をかけてニューカレドニア、アリューシャン、ミッドウェーを順次占領する作戦が提案されている。
しかし、実際の作戦は、ミッドウェーとアリューシャンを同時に攻撃し、その後直ちにニューカレドニアへ向かうという、乱暴なものになった。




