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インパール 15

 第15軍司令部は第31師団に対し、敗走するイギリス軍を追撃し、西方の大都市、ディマプルへ突入するよう命じた。


 宮崎少将は、大東亜共栄圏の多国籍軍、フリーダム・フレンドシップ・ファイターズ(自由友愛同盟軍)総司令部に同行していたチャンドラ・ボースに、インド国民軍を率いて、ディマプルへ入るよう促す。


 インドの民衆に絶大な人気を誇る、独立運動の闘士を先頭に入城することで、この戦いを日英の争いではなく、インド独立戦争と位置付けるためだ。


 インド国民軍最高司令官にして、自由インド政府首班であるチャンドラ・ボースが、「インド独立運動の旗」を掲げてディマプルに入ると、市民は欣喜雀躍する。


 チャンドラ・ボースは、出迎えに集まった大勢の市民を前に、インド全土へ向けて獅子吼した。


「親愛なる我らがインドの民よ。

私は今、母なる大地に立っている。


今日のこの日は、私の生涯を通じて、最も誇りとする日になるだろう。

世界に向かって、自由インド政府樹立を宣言する、栄えある日だからだ。


私の終生の希望の一つが、今、かなえられた。

心から、神に感謝したい。


だが、インドの全ての人々が自由を手に入れるその日まで、私たちは歩みを止めてはならない。


ここに私は、これまでも、これからも、インドのあらゆる民と常に共にあることを誓う。

暗闇の時も、光明の時も、悲しみの時も、喜びの時も、受難の時も、そして勝利の時も。


我々の歩みは、イギリスの圧制の象徴、古都デリーのレッドフォート、あの赤壁の城塞に入城する日まで、決して終わることはない。


インドに自由を!


ジャイヒン!(インド万歳!)、

チェロ デリー!(進撃せよ デリーへ!)」


 チャンドラ・ボースの演説は、ラジオ放送の電波に乗ってインド全土に響き渡った。


「ジャイヒン!」

「チェロ デリー!」


 民衆の叫びが津波のように押し寄せ、インドは荒れ狂う巨象と化した。

 信仰や民族、階級や言語、政党や会派、官僚や民間人の壁を越え、4億の民が1つになる。


 デモが、デリー、コルカタ、ラホール、チェンナイなどの各都市で、次々に烽火を挙げ、警官隊と衝突し、流血の惨事となって、多数の死傷者が出た。


 それが民衆の怒りに油を注ぎ、デモはゼネストへ、そして暴動へとエスカレートしていく。


 デリーでは、イギリス軍が駐屯するレッドフォート(赤壁の城塞)が数万の群衆に包囲され、天空を劃する赤い城壁に喚声がどよめいた。


 デモ隊が検問ゲートに迫った時、銃声が轟いた。

 喚声が悲鳴に、そして怒号に変わる。


 郵便局が、警察署が、やがて英軍の軍用車両までもが群衆に襲われ、炎に包まれた。

 暴動は何日も続き、国民会議派のネルーが説得に乗り出して、ようやく鎮静化した。


 イギリス植民地政府は、すでに事態をコントロールする力を失い、国民会議派はイギリス軍による民衆への武力弾圧を糾弾し、インド人将兵の間にさえ動揺が広がり始める。


 インドにおける英国の権益が脅かされ、イギリス人の生命・財産すら危殆に瀕する事態となり、チャーチル首相は、中東に駐留するイギリス本国編成の部隊に、至急インドへ向かうよう命じた。


 だが、海路の制海権は日本に奪われ、陸路は道という道が避難民に埋め尽くされて、援軍は進むことすらままならなかった。

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