インパール 8
第18師団の北を進む、第15師団の右翼、第60連隊は、ホマリンとタウンダットの中間でチンドウィン河を渡った。
新月に近い暗夜の闇の中を、数えきれない影が蠢き、95式折畳舟やゴムボート、さらには近隣に自生する直径30センチの巨大な象竹で組み上げた筏が、一斉に押し出される。
折畳舟に乗った兵士は、軽快なエンジン音を聞きながら川を渡り、ゴムボートの兵士も、水飛沫が多少かかる程度ですんだが、竹の筏は、完全武装の兵士が乗ると70センチも沈み込み、全員がずぶ濡れになった。
兵士の渡河が終ると、折畳舟を横に並べて橋板を乗せ、門橋を作って火砲を渡す。
馬は舟や筏の側を泳がせた。
最後に渡った兵士は、筏を密林に隠し、河原の砂に残る足跡を消して、先発隊の後を追う。
その先は、人跡未踏のジャングルだ。
密生する草木を山刀で斬りはらい、道なき道を進む。
兵士は密林で道に迷わないように、前を行く兵士の背嚢に手を当て、一列となって歩いた。
列から逸れたら遭難しかねない難路で、行軍するだけでも命懸けだ。
谷間の川辺で露営すれば、水には不自由しないが、蒸し暑い上にマラリアや赤痢の危険があり、山岳民族の集落があるような、高度1000メートル以上の高地なら、涼風が頬を撫で、伝染病も避けられるものの、水を手に入れるには長い山道を上り下りしなければならない。
そんな日々が7日も続いた頃、突然前方のシャングシャックで砲声が響いた。
シャングシャック攻略の担当は、他ならぬ第60連隊だ。
だが、連隊はまだ行軍中で、一兵も到着していないのだから、戦闘になるはずがない。
北隣を進む第31師団の左翼、第58連隊が迷い込んだのだろう。
ウクルル辺りで遭遇戦になり、敗残兵を追ううちに、隣の区域まで入ってきたのか。
連隊長の阿部大佐が尾根に上がり、双眼鏡で前方を偵察すると、2キロほど先の高地に敵の陣地があった。
麓から山頂まで鉄条網を何重にも張り巡らせ、かなり急な傾斜を200メートルほど登った先に塹壕があり、掩蓋も築かれている。
死守するほどの拠点とも思えないのに、妙に手の込んだ造りだ。
特務機関から、この辺りで多くの現地住民が工事に駆り出されたと聞いたが、こんな陣地を作っていたのか。
阿部大佐は呟いた。
「囮の小兵力をわざと敗走させ、勢いに乗って追撃してくる敵を誘い込む罠かもしれない。
ここは慎重に攻めないと、痛い目に合うぞ」
だが第58連隊は、手早く片付けて自分たちの担当区域に戻ろうと思ったのか、暗くなるとすぐに夜襲を開始した。
砲弾や銃弾が飛び交い、山全体が燃え上がる。
大隊長が阿部大佐に進言した。
「ここは我々、第15師団第60連隊の担当区域です。部外者の第31師団に手柄を横取りされるわけにはいきません。我々も夜襲をかけましょう」
阿部大佐は諭した。
「勇猛果敢なのはいいが、戦況をよく見ろ。掩蓋に籠って迫撃砲を放つイギリス軍に対して、第58連隊の方は、身を隠す遮蔽物も無い急坂を小銃だけで突撃している。
あの陣地を砲兵の協力なしに攻撃するのは無謀だ。甚大な損害を出しかねない。
それより、夜の間に山砲を準備しておけ」
阿部大佐の見立て通り、第58連隊の夜襲は失敗に終わった。
夜が明けると同時に、第60連隊の山砲が砲撃を始めた。
次々と砲弾が敵陣に炸裂する。
数時間後、第58連隊の砲兵も到着し、2日間にわたって集中砲火を浴びせた。
敵の反撃が衰えてきた頃合いを見計らい、翌未明を期して第58連隊が西から、第60連隊が東と南から、総攻撃をかけることになった。
その夜半、突如としてイギリス軍が猛烈な射撃を開始した。
照明弾がひっきりなしに上がり、周囲が昼のように明るくなったかと思うと、銃弾が雨あられと降り注ぐ。
阿部大佐は、けげんな顔の大隊長に説明した。
「敵は、狙いもつけず、闇雲に撃っている。こういう撃ち方は、中国戦線でも何度か経験した。
この陣地の使命は死守することではなく、我々に出血を強いて進撃を遅らせ、時間を稼ぐことだ。
一定期間持ち堪えたら、後退せよと指示されているはずだ。
守り通す気だったら、いくら弾薬が豊富にあっても、こんな撃ち方はしない。撤退した後に弾薬を残すと、我々に利用されるから、運び切れない在庫を処分しているだけだ。まもなく終わる」
40分ほども続くと、猛射は突然止み、一切の音がしなくなった。
そして、人の気配が消えた。




