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インパール 4

 タウンバザーを制圧した熊野大佐率いる213連隊は、翌々日、敵を求めてシンゼイワ盆地へ南下した。


 手始めに盆地の制高点を狙うことにして、朝霧をつき北東の丘を攻撃する。

 射弾観測の小部隊を追い払うつもりで始めた戦闘だったが、そこにいたのは、なんとインド第14師団の司令部そのものだった。


 突然、背後から襲われた司令部要員は、参謀から書記、伝令、通信兵にいたるまで、全員が武器を取って激しく抵抗したものの、迫撃砲の砲撃で死傷者が続出、抗戦を断念して丘を下る。


 これまでの英軍は、退路を断たれると、すぐに敗走するか、降伏するかのどちらかだった。

 だが、今回は違っていた。


 盆地周辺の山襞や密林を利用して巧みに死角を作り、戦力の消耗を避けながら機を見て反撃に転じるという、見違えるように巧みな戦い方を展開する。


 日本軍にできるだけ出血を強いつつ、チッタゴンからの増援部隊を待つ作戦に違いない。

 漫然と包囲戦を続けていると、逆包囲されるおそれがある。


 熊野連隊は、シンゼイワ盆地を第214連隊に任せ、チッタゴンに向かって北上を開始した。

 マウンドーでインド第47旅団を破った、第215連隊とインド国民軍第2師団もそれに続く。


 イギリス軍が当初計画していたのは、インド第14師団が囮になり、第33師団を引きつけている間に、本国編成の精鋭部隊、イギリス第6旅団が海上からシットウェの港に乗り付け、挟み撃ちにする作戦だった。


 そのため、イギリス第6旅団はチッタゴンの港で待機していたが、インド第14師団が退路を絶たれ助けを求めているとの通報を受け、陸路シンゼイワへ急行する。


 北上する日本軍と、南下するイギリス軍は、チリンガ近郊で激突した。

 壮絶な遭遇戦となったものの、熊野連隊が盾となって進撃を阻止している間に、第215連隊とインド国民軍がイギリス第6旅団の側背を突き、潰走させる。


 もはやチッタゴンへの道に、立ち塞がる者はいない。

 インド国民軍が、「インド独立運動の旗」を先頭にチッタゴンへ入城すると、市民は拍手喝采して迎えた。


 第33師団とインド国民軍第2師団は、小高い丘の上にあるインド・ゴシック様式の裁判所を当面の拠点と定め、「インド独立運動の旗」と日章旗を高々と掲げた。


 チッタゴンは、かつてイギリス植民地の首都だった大都市コルカタまで350キロ、東京と京都ほどしか離れていない。


 幕末の鳥羽伏見の戦いで、幕府軍敗北という凶報を受け、衝撃に震えた江戸の町にも似て、驚愕と狼狽がコルカタに広がった。


 チャーチル首相は、コルカタ死守を命じる。


 だが現地に駐屯するのは、治安維持が主な任務で、実戦経験に乏しいインド第26師団だ。

 百戦錬磨の日本軍を相手にするには力不足と見て、インド東部軍はイギリス本国編成の第70師団を急ぎコルカタへ送ることにした。


 とはいえ、インパールも放置はできない。

 ビハール州のインド第50戦車旅団をインパールへ、アッサム州の北アッサム旅団をコヒマへと向かわせた。

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