インパール 3
ベンガル湾に臨むミャンマー有数の港湾都市、シットウェに布陣した第33師団の桜井中将は、第213連隊の熊野大佐に、国境に近いマウンドーとブティダウンに前哨陣地を築くよう命じた。
熊野大佐は、第1大隊をマウンドーに、第2大隊をブティダウンに向かわせる。
第2大隊の岩井少佐は、マユ河を船で渡り、ブティダウンを目指した。
少佐が目的地に到着すると、偶然にも同様の命令を受けてチッタゴンから出撃してきた、イギリス軍の大隊と鉢合わせする。
遭遇戦となり、即座に攻撃を命じた。
予想外の敵襲に驚いたイギリス軍は、ブティダウンの攻略を断念してマウンドーに転進する。
だが、そこでも梨木少佐率いる第1大隊の反撃を受け、ほうほうの体で退散した。
この戦いは、大隊同士の小競り合いの域を出るものではなかったが、戦略的には意外に重要な意味を持つことになった。
鹵獲品の中から作戦地図が見つかり、そこにはインパールからチッタゴンにかけての詳細な地形と、イギリス軍の配置が記されていたからだ。
やがて、インド第14師団の主力が現れ、ブティダウン=マウンドー防衛線の前面にある、シンゼイワ盆地に陣を敷いた。
盆地は、東西1300メートル、南北2000メートル、日本の関ヶ原古戦場に近い広さがある。
最前線のブティダウンに進出した熊野大佐は、師団司令部から、敵正面を迂回し補給拠点のタウンバザーを突くよう命令を受けた。
だがその作戦は、ルートに難点があった。
ブティダウンからタウンバザーまで、平坦な農地が延々と続き、身を隠す遮蔽物が何一つ無く、敵が布陣する丘の稜線から丸見えなのだ。
移動中に発見されたら、全滅しかねない。
そんなことになるくらいなら、敵に正面から挑む方がまだましだった。
ミャンマーでの戦いや、ブティダウン・マウンドー戦の経験からいって、熊野連隊単独でも敵の防衛線を突破する自信がある。
とはいえ、命令は命令だ。
熊野大佐は、新月の闇に賭けることにした。
夜半を待ち、決死の覚悟で声を殺し音を消して、暗闇の中を進んだ。
案に相違して道中何事もなく、夜明け前に待機地点に到着する。
予定通り、黎明と同時に攻撃を開始した。
熊野連隊のタウンバザー攻略戦は、拍子抜けするほどあっけなく終わった。
抵抗らしい抵抗もなく、敵兵はたちまち四散したのだ。
意外に思って捕虜を尋問すると、ブティダウンで対峙するインド第123旅団が、側面と背後から兵力を抽出し、正面に全戦力を集中していたことが分かった。
日本軍が、敵から丸見えのルートを通るなどという、素人じみた策を選ぶはずがなく、必ず正面突破を狙ってくると読んだらしい。
熊野大佐は、苦笑するしかなかった。
倉庫に入ってみると、そこには大量の食糧や武器、弾薬が溢れていた。




