ミャンマー 4
ミャンマー国防軍の別動隊には、特務機関の福沢少佐と坂上少尉が同行していた。
インド侵攻作戦に備え、現地の情報を収集するためだ。
そんなある日、福沢少佐が意外なことを言い出して、坂上少尉を面食らわせた。
捕虜にした3名のグルカ兵を、後方の収容所へは送らずに、引き取れと言い出したのだ。
当初は恐怖に顔を引きつらせていたグルカ兵だったが、福沢少佐が笑顔を浮かべて英語で話しかけると、徐々に落ち着きを取り戻し、貴重な情報をもたらしてくれた。
それで気が変わったらしい。
坂上少尉は、慌てて説得を試みた。
「ここにはまだ、自分たちが寝起きする場所すらないんです。彼らをどこに収容すればいいんですか。私を除けば、現地住民の通訳の少年が1人いるだけで、監視も困難です。しかも川の対岸には、彼らの本隊が駐屯しているんです。すぐに逃亡されてしまいます」
だが福沢少佐の返答は、あっさりしたものだった。
「逃げられても構わないよ。気にするな」
そして、チンドウィン河を偵察すると言い残し、1人で川を下って行ってしまった。
残された坂上少尉は、附近の地形を検討し、チンドウィン河支流のウユ河に面した、クンダン村を根拠地に定めた。
10戸足らずの小さな集落だ。
とりあえず、村のはずれにある、荒れ果てた寺院に入る。
村長を呼んで協力を要請していると、野次馬が集まってきた。
よく見ると、足の爛れた村人が多い。
早速、消毒して薬を塗り、塩を渡した。
このあたりは、塩を川の上流の岩塩に頼る地域だが、戦争で水運が途絶したため、塩不足に陥っていたのだ。
この噂は瞬く間に近隣の村々に伝わり、ウユ河流域のみならずチンドウィン河からも、様々な村の村長が、バナナ、パパイア、鶏、卵などを土産にして挨拶に訪れるようになる。
食糧が心細い坂上中尉にとっては、どんな山海の珍味よりも有難い贈り物だった。
上機嫌になったクンダン村の村長は、すぐに資材の手配をしてくれた。
用意が整うと、村人達が総出で事務所や倉庫の建築に取りかかった。
木と竹を組み合わせ、竹を薄く削った紐のようなもので縛り、屋根は椰子の葉で葺く。
床には割った竹を敷き、壁も竹を編んで作る。
小振りに編んで竹の枠に入れたものは、上から吊り下げて、入口の扉になった。
建物はどれも高床式で、地面から1メートルほどの高さがある。
台所や食卓などの家具を含めて、わずか1日で完成した。
さて、捕虜のグルカ兵をどうしたものか。
福沢少佐に言った通り、監禁する場所などあるはずもない。
坂上少尉は、福沢少佐の真似をするしかないと腹をくくり、グルカ兵を呼んで言った。
「イギリスは、これまでアジアの諸民族を圧迫して来た。ミャンマー独立義勇軍は、ミャンマー独立のために戦っている。インド国民軍も、インド独立のために立ち上がろうとしている。今こそ、イギリス人を追い出し、君たちの手で君たちの国を取り戻す時だ。だから君たちは、もはや捕虜ではない。自由だ。逃げたければ、逃げてよい」
グルカ兵は、目を白黒させたまま、絶句している。
あまりにも突然の話で、どう理解していいのかわからないのだろう。
坂上少尉は、「すぐに逃げないのなら、とりあえず今夜は通訳の少年と一緒に事務所で寝るように」と言って、寝具を渡した。
3人のグルカ兵は、素直に従った。
やがて彼らは、自ら朝早く起き、近所の川で水を汲み、料理の手伝いをするようになる。
坂上少尉は、陸軍中野学校でグルカの文化も学んでいた。
日本の武士が日本刀に誇りを持つように、グルカ兵はグルカ刀にプライドを持っている。
そこで坂上少尉は、没収したグルカ刀を彼らに返し、常時携帯することを許した。
一緒に釣りに出かける時には、坂上少尉自身は釣り竿一本の丸腰で、彼らはグルカ刀を腰に下げていたが、魚が釣れるたびに嬉々として針から外し、餌の付け替えを手伝うだけで、いつまで経っても逃げる気配がない。
ほどなく、夜間の警備も任せることにして、銃を渡した。




