ミャンマー 2
日英両軍がシッタン河を挟んで睨み合う中、その北側をミャンマー独立義勇軍の本隊2千がこっそりと渡河した。
独立義勇軍の穂積司令官は、兵士たちに厳しく言い聞かせていた。
「隠れて機会を待ち、圧倒的に有利な時にだけ不意打ちをかけろ。それ以外は、さっさと逃げるんだ。5回勝てば、自信がつく。10回勝てば、日本軍並みの強兵に変わる。それがゲリラ戦だ」
一方、小野中尉率いる独立義勇軍水上支隊2百は、3月4日、漁船8隻に分乗して、ヤンゴンの南西70キロのデルタ地帯へ向かった。
首都に迫る日本軍主力に呼応して、イギリス軍の後方を撹乱するのが狙いだ。
とはいえ、エンジンを備えた漁船は5隻しか調達できず、残りの3隻は風頼りの帆走だ。
夜の闇に紛れ一気に警戒線を突破したいところだが、そんな速度は出せない。
小野中尉を含め、全員がミャンマーの民族衣装であるロンジーに着替え、難民のふりをして白昼堂々、船を進めることにした。
すれ違うイギリスの貨物船は、ちらりとこちらを眺めただけでヤンゴンへ去っていく。
ところが、それと入れ替わるように、イギリス軍の警備艇が南下してきた。
水上支隊の漁船に停船を命じ、臨検のボートを下ろしはじめる。
「もはやこれまでか」
小野中尉は、ロンジーの下に隠し持った拳銃の安全装置を外した。
その時突然、最後尾の漁船が警備艇めがけて急発進した。
それを見た他の船も、四方八方へ散り散りに走り出す。
イギリス兵にとっては、漁船の臨検など日常的で退屈なルーティンワークの一つに過ぎず、現地住民は指示に従うものと決め込んでいたのだろう。
漁船の想定外の動きに意表を突かれたのか、ボートを降ろす手も止めて、走り去る漁船を唖然と眺めている。
天の配剤か、信じられないような幸運だが、全員無事にデルタ地帯の水路へ逃げ込むことができた。
水上支隊は、謀略ビラを用意していた。
「日本軍1千と、ミャンマー独立義勇軍2千が、デルタ地帯に上陸して、西方からヤンゴンを攻撃しようとしている」というものだ。
もちろん嘘で、市民の不安を煽り、イギリス軍の足を引っ張るのが狙いだ。
3月5日の夜半、水上支隊のメンバーは、現地の独立運動メンバーとともに入り組んだ細い水路を辿ってヤンゴンに忍び込み、市中にビラをまき散らした。
意外にも、イギリス軍自身がこのビラを真に受ける。
軍司令官の陸軍大将ハロルド・アレグザンダー卿は、水路が入り組んだデルタ地帯の南端に位置するヤンゴンに留まっていては、日本軍に退路を断たれかねないと撤退を決断、翌々日の午後、石油施設、発電所、港湾設備の爆破を開始し、夕刻には最後の列車がターミナル駅を出るという、手際の良さだった。
イギリス軍は、首都を戦うことなく放棄した。




